【第3回】はじめての通訳~通訳と訓練方法に対する誤解「TOEIC 730点を持っていれば通訳できますか?」

答え

そうですね……条件つきで可能といったところでしょうか。

例えば、営業担当、技術者など対象分野に詳しい、該当分野について日頃から日英ともによく話しているといった揚合。

あるいは、ごくごく簡単な内容とかゆっくりとした話し方をされる方の話である場合です。

なぜこのような質問が?

まず、通訳の能力の判断やフィードバックは、日本人の担当者が通訳者の日本語の訳出を聞いて行われることが多いようです。また英語で訳出した揚合、経験上英語圈の人たちは多少言い回しが違っても意味を汲みとろうとしてくれるのに対し、日本人はかなり単語の訳出に対して厳しく、該当分野で違う言い回しを使うと、その単語にひっかかり訳出全体を聞いてもらえなくなる傾向があるようです。

一方、英語力は高くなくても営業担当、技術者など専門性のある方は内容がわかっていることはもちろん、的確な日本語を使ってくれるので聞いている方はわかりやすく、理解できる。我々はこうした方々が通訳できた理由を十分な背景知識があることに重きを置くべきなのですが、わかりやすい、手近な判断基準としてTOEICスコアを使用するようになってしまったようです。

では何が必要?一通訳に必要な英語力とは

通訳に必要な語学力として、関西大学の染谷泰正教授は以下の4つをあげています。

http://www.someya-net.com/kamakuranet/39thTsuyakuKenkyuReport.html

1)語彙力

NewsweekやTIMEなどの英文時事雑誌を特に大きな支障なく読みこなすことができるだけの認識語彙力(passive vocabulary)があること。具体的な目安としては、およそ1万語から15,000語を下限値とする。

2)読解力(文字情報処理能力)

学習者用に編集されていない英文情報(英字新聞や英文雑誌など)を、80パーセント程度の理解度を確保しながら160±20 wpm (words per minute)程度の速度で安定して読むことができる。

3)聴解力(音声情報処理能力)

一般的な内容について、160±20 wpm 程度のナチュラルスピードで発話された英文清報(学習者用に編集されていないもの)を特に大きな支障なく理解することができる。

4)プロソディー(アクセント、イントネーション、リズム、ポーズなど、話し言葉に含まれる各種の音声要素の総称)センス(言語技術としてのプロソディー認知および運用力)与えられた文字情報に隠されたプロソディー諸要素を読み取り、これをほぼ的確に音読再現することができる。同じく、音声情報についてもその中に含まれるプロソディー信号を的確に感知し、その<意味>を理解することができる。

TOEIC 730点の揚合、語彙力は8,000語であり、1)語彙力の下限を下回っています。

TOEIC Part 7 を45~50分で解いた場合、2)読解力の基準160 wpm を満たしていることになりますが、TOEIC 730点取得者の場合、おそらく最後まで問題を解けない人が多いでしょう。

そして3)聴解力。TOEICのリスニングスピードは150~160 wpm、しかも学習者用に編集されていますから、聴解力もかなり不十分であるといわざるを得ません。

では何が必要?-TOEIC 730点の人はどうすればいいのか

では、TOEIC 730点の人は通訳コースを受けるな、と……という訳にはいきませんよね。

現にレベルチェックを必要としない短期コースには受講レベルの目安としてTOEIC 730点以上、と書いています。また、企業から「~さん(TOEIC 730点レベル)に今度の~案件の通訳をしてもらいたいので、通訳訓練をしてほしい」と依頼された揚合、学校運営上、依頼を断るわけにはいきません。

教える側としてはできる限り受講生の希望に沿った授業を行うようにしていますが、受講生の心構えひとつで授業の達成度、満足度が異なってきます。

日本における通訳者教育は、多くの場合、通訳技術の習得と語学学習という2つの側面を持っていますが、これから皆さんが受けようとしている授業は両者を組み合わせた「通訳訓練を用いた語学学習」と考えてみてください。

あとの回でも述べますが、即訳やシャドーインク、記憶保持力強化の訓練、その他口を動かす訓練は英語力を伸ばすのに有効です。これは、上記「4)プロソディーセンス(言語技術としてのプロソディー認知および運用力)」に関連します。

他方、「通訳技術の習得」にはメモ取りが含まれますが、この段階でメモ取り訓練を開始するのは時期尚早です。これもあとの回で述べますが、記憶保持力や英語力が十分ついていないままメモ取りの訓練を始めても身につかないどころか変な癖がついてしまいます。

ですから、これから「英語力が不足しているけれども通訳訓練を受けてみたい」という方は英語から日本語への変換ができるよう、ある程度進んだら日本語から英語への変換ができるよう、「囗を動かす」通訳訓練を通じて英語力を強化しよう、といった心構えで受講されると充実した授業になることと思います。

終わりに

TOEIC 730点というとなんとなく聞いてわかってしまうため、「私にも通訳できそう」と思ってしまうのは無理もないことです。しかし、「聞いてわかる」のと「わかったことを実際に囗に出す」との間には大きな違いがあります。

さらに問題なのは「コツさえわかれば通訳ができる」とばかりに、こちらが組んだ「語学学習」用の通訳訓練をしてこない人が少なからずいるということです。囗を動かす、記憶保持力強化の訓練は地味で頭から煙が出るほど負荷がかかるので、できたら避けたいのでしょう。

しかし、今受けているのは「通訳訓練を用いて語学力を伸ばしている」、または「語学力を伸ばして通訳技術を習得するだけの土台を作る」と思って通訳訓練を受けてみてください。自分の立ち位置、目標がわかってくると充実した訓練が受けられることでしょう。

次回は、英語以外の言語の受講生からの質問を取り上げます。


菊池葉子(きくち ようこ)

英語通訳者、英語講師、京都女子大学非常勤講師。2008年通訳デビュー。主な通訳分野は技術、IT, 建築、IR。2011年に通訳学校卒業後、同年通訳学校の講師として稼働開始。主に通訳初心者向けの授業を担当。また、2015年より大学講師として会議通訳演習を担当。受講生からは、最初から順を追って丁寧に指導してもらえる、飽きさせない授業をしてくれる、との評価を受けている。