【第2回】翻訳・通訳会社のクレーム処理「 通訳者編 Case 2: プロの自己管理」
翻訳・通訳会社は、翻訳者・通訳者には見えない舞台裏で様々なクレーム処理を行っています。本連載は目的は、その一部を紹介することで、翻訳・通訳会社が日々取り組む業務に関して理解を深めてもらうことです。執筆は現役の翻訳・通訳会社コーディネーター。登場人物はすべて仮名です。
六月も後半に差し掛かり、梅雨の季節になりましたが、皆さまどうお過ごしでしょうか。こう、梅雨の季節になりますと、体調を崩したり、いつもは眠くならないのに、突然眠くなったりしますよね。ですが、通訳の現場に置いてはそうは言っていられません。特に、“寝る”ことなどについては言語道断で御座いましょう。今日はそんな“自己管理”についてのお話です。
通訳者のキドさんはいつものように現場に向かいました。彼はこの仕事を続けて二十年になります。それまで仕事を卒なくこなし、特に大きな問題も無く、これまで順風満帆にキャリアを積んできました。今日も難なく業務を終えることが出来る。そう、思っていたのでした。
彼が通訳の依頼を受けたA社は、最近急成長を遂げている会社で、今回はじめて受け持つクライアントです。そんなA社は、会社の今後を左右する重大な会議を、今日、控えているのでありました。
「キドさん、今日は宜しくお願いします。」
A社の重役である、コンドウさんがはつらつとした表情で彼に話しかけてきました。
「こちらこそ、よろしくお願いします。」
「キドさんの通訳での実績は常々耳にしておりますよ。今日はB社とわが社の重大な会議ですので、キドさんのようなキャリアがある方に来ていただきますと、とても安心します。期待していますよ。」
「いえいえ。そんなことは御座いませんよ。しっかり、ミスがないようにやらせていただきますので。」
会議は正午過ぎの、雨が激しく降りしきる中で始まりました。会場は緊張に満ちています。キドさんも同じように、普段は感じない緊張を感じていました。そして、彼の業務がスタートしました。淡々とキドさんは通訳を開始し、とりあえずはその場での業務をまっとうし、心の中で一息ついていました。
『とりあえずは終わったぞ。後は、会議が終わるのを待つだけだ。』
しかし、そんな彼に思わぬ誘惑が訪れるのでした。“眠気”です。珍しく緊張していたのもあって、気を張っていたのでしょうか。気持ちの糸が緩みかかった途端、その隙を狙っていたかのようにして、“眠気”に誘われてしまいました。
「キドさん、キドさん…」
小さい声で、彼を呼ぶ声がします。
キドさんはハッと自分が寝ていたことに気づき、声の方に顔を向けると、コンドウさんが居ました。彼の顔は先ほどの期待に溢れた表情は消え、落胆と不安の表情に変わっていました。そして、A社と会議を行っていたB社の社員がキドさんの方を向いてひそひそと話をしています。
『これはやってしまった……。』
後日、彼の元に一本の電話がかかってきました。携帯の画面を見てみると、エージェントのコーディネータからでした。
「もしもし、お疲れ様です。キドです。」
「お疲れ様です。前回の会議の件のことで、お電話させて頂いたのですが、寝てしまっていたというのは間違いないでしょうか?」
「本当に申し訳ございません。実は……。」
彼の言い分としてはこうでした。その時期、通訳業界が繁忙期ということもあり、キドさんは仕事を入れ過ぎていました。それで、体調を崩してしまい、風邪薬飲んでいたこともあって、眠ってしまったと、彼に説明しました。しかし、それを説明しても、コーディネータは少し落胆しているようでした。
――プロなのにどうして、“自己管理”が出来ないのか—―
そんな言葉が聞こえてきそうです。
その後、彼の元にA社からの依頼は二度となかったのでした。
キドさんがやったことは、例えるなら、プロ野球選手のピッチャーが風邪薬を飲んでしまったので、味方の攻撃中にベンチで寝ているような感じでありましょうか。それは、やはり言語道断でありましょう。皆様も、ぜひ、“眠気”には気を付けて“自己管理”を日々しっかりと行ってください。
今回のポイント
・繁忙期の健康管理には特に注意するように!(出席者の多いセミナーなどでは、通訳者の声が掠れていた、咳をしていて聞きづらかったとクレームがあることも)
・今回会議中に寝てしまった事実は通訳者もわかっていたのだから、クライアントからエージェントに連絡が行く前に、業務報告としてエージェントに連絡する
・通訳者はクライアント企業の一員とみなされるので(今回のコラムではB社からみたらA社の社員とみなされる)常にクライアント企業の一員として自覚を持つ