【第10回】ビジネスオーナーとして考える その1

Posted July 19, 2018

私がまだ沖縄で通訳をしていた頃、ある国際会議で人手が足りず、九州から2人の同時通訳者が派遣されたことがありました。会議が始まる1時間前に現場入りして、すぐに講演者との打ち合わせが始まったのですが、それが一段落したあと、講演者が記念に担当通訳者の私と一緒に写真を撮りたいと言って、近くで資料を読んでいる九州の通訳者Aさんに「写真をお願いできますか?」と聞きました。通訳者Aさんは、「お断りします。それは私の仕事ではないので」と答えました。意外な答えに言葉を失ったことを覚えています。

確かに写真撮影は通訳者の仕事ではありません。ただ、これは作業にしてたった20秒~30秒ほどです。顧客に気持ちよく仕事をしてもらうことがイベント全体としての成功度を高めることにつながると、なぜ考えられないのか? 私は実務者であると同時に、通訳者を雇う立場の人間でもありますが、このようにビジネス全体のことを考えていない通訳者はどんなに上手くても雇いたくないと思いますし、エージェントもだいたい同じことを考えています。

顧客本位の通訳「サービス」

金融業界では「顧客本位の業務運営(fiduciary duty)」という言葉が一般的になってきていますが、通訳業界、特に現場レベルではまだこの意識が広く浸透していないかもしれません。「自分の資料が」「自分の担当時間が」「自分の座る位置が」などと「自分」のことばかり考えて、クライアントのために尽くそうという意識が薄い方が多い気がします。

しかし、キャリアを長いスパンで見ると、顧客本位で行動する通訳者はリピートが多く、レートも比較的高い上に、仕事が安定している傾向があります。これにはちゃんとした理由があります。通訳学校では正確性にフォーカスをおいて訳出するように教えられますが、実は多くのクライアントは通訳者の技術を正確に評価できません。通訳者の技術を数値化することは難しいのですが、仮に正確性が86点と92点の通訳者がいたとしたら、92点の通訳者が毎回選ばれる(好まれる)とは限らないのです。そもそも聞き手は話者が話す内容について原稿を持っているわけではないですし、持っていたとしても逐一確認しながら訳を聞いて評価しているわけではありません。

加えて、通訳者によっては話す速度や声のトーンを変えたり、聞き手が話を消化しやすいように間をあけたり、味のある意訳をすることで、正確性以外の部分、つまり聞きやすさで点を稼ぎ、トータルで訳の効果アップを図ります。ですから「正確性が86点の通訳者」でも、トータルでは「92点の通訳者」を上回る効果・印象を与えることができるのです。

ある講演で「正確性は差別化しにくい」と発言した通訳者がいましたが、私もまったく同意見です。正確性は重要ではない、と言っているわけではありません。そもそも通訳者が正確なのは当たり前のことなのですが、仮に正確性を差別化要因にしようとしても、上記の理由からその効果は低い。それに今は聞きやすさの部分でも工夫している通訳者が増えてきています。

通訳あるある。
何が入ってるの?と聞かれても
英語からはよくわからないので困る。
実物を見てもわからない。
食べても僕みたいな味音痴は
もっとわからない。

では、そのような環境の中で、どのようにして選ばれ続ける通訳者になれるのでしょうか?それはすべてのビジネスに通じる原点で、顧客を第一に考えることです。

具体例を挙げましょう。まず話者との打ち合わせや一緒に移動する時間を使い、時間が許す限り単なる仕事の話だけではなく、小話なども交えてやりとりをすることで話者とのラポールを築きます。これはとても重要で、信頼関係が築ければ訳の効果も上がりますし、クライアントも「またぜひこの人にお願いしたい」と感じるのが普通です。人間は知らないものよりも知っているものを好みますので、同じような技術の通訳者がいたら、間違いなく相性が合う(信頼関係ができている)通訳者を選ぶでしょう。

IR通訳者の丹埜段さんに以前教えてもらったのですが、彼は外国人クライアントとの電車移動用にSuicaを複数所有しているそうです。多くの外国人にとって乗車券購入は簡単ではないので、あらかじめチャージされた交通系ICカードを渡して使わせた方が効率的ですし、私も実際に試してみると、「用意してくれてありがとう!」と感謝されます。エージェント経由の案件ですと請求の関係で実践が難しいかもしれませんが、直接取引のクライアントでぜひお試しを。

レストランを探して予約したり、子どもや孫へのお土産探しを手伝ったり、壊れたメガネをランチ時間に修理に出したり、小さな奉仕は日常茶飯事なのですが(そこまで手間はかかりませんし)、直接取引のクライアントの場合は、これより一歩踏み込んだサービス、つまりgo the extra mileをすることで、通訳者以上にサービス提供者としての自分を強く印象付けることができます。

たとえばアメリカで2週間の法務案件を担当したとき、私以外にも複数の通訳者が稼働していたのですが、クライアントと一番長い時間を共にしていた私は他の通訳者用に、案件の背景説明書と用語集を自主的に作成してクライアントに提供しました。自分自身の復習にもなりますし、派遣されてきた通訳者の中には背景知識が乏しい人もいるとわかっていたからです。用語集はその後も毎晩更新して担当弁護士に提供し続けました。

その弁護士にはとても感謝されて、今でも多くの仕事を頂いていますし、クライアントの法務担当者が転職した際には、新しい所属先からも依頼を頂けるようになりました(このようなケースは何度もあります)。結局、仕事は人間関係の部分が大きいのですね。小さな積み重ねがポートフォリオに厚みを加えて、仕事を安定化させていくのだと思います。

通訳者を紹介する

私は、自分が一緒に組んだ経験があり、素晴らしい技術と顧客対応スキルをもつと思う通訳者をエージェントにも通訳者仲間にも積極的に紹介しています。「ライバルをなぜ紹介するのだ?」と思われるかもしれませんが、相当な技術を持ち、適切なブランディングをしている通訳者であれば、そもそも仕事に困ることはありません。であれば自分が担当できない案件や明らかに対応分野外の案件などは、必要としている人に紹介した方が適材適所になります。あとで感謝もされます。たまに紹介料を頂いたりしますが、自分から求めたことはありません。

常夏の島国で仕事後にのんびりできることもあれば、
さむ~い田舎の案件ではホテルに缶詰めでNetflixということも…。

私は大企業を経営しているわけではありません。アシスタントは雇用していますが、自分一人ができる仕事量には限界があります。それは他の通訳者も同じでしょう。直接取引の案件でも、自分が対応できない案件は他の信頼できる通訳者に外注したり、案件の性質によっては案件自体を譲ってしまうこともあります。

長いスパンでみると、案件の相互紹介などを通して他の通訳者とのゆるやかなつながりを構築しておくことで、病気や緊急事態が発生したときに代役の手配がしやすくなります。セーフティネットの構築という意味合いもあるでしょう。「他の通訳者を紹介」というと、自分の仕事が減ることばかりを心配する人が多い印象がありますが、紹介を通して得ることが多いことをぜひ知ってもらいたいのです。

というか、単純に通訳者を紹介すると、自分も相当な頻度で紹介されるようになります。心理学でいう返報性の原理ですね。

社内通訳者とは仲良く

フリーランス通訳者は、ときに企業に派遣されて会社所属の通訳者(いわゆる社内通訳者)と一緒に仕事をすることがあるのですが、実は多くの中小企業では社内通訳者がコーディネーター業務も兼務しています。通訳技術は当然として、彼らとしては仕事がしやすい人に依頼を続けたいでしょうから、社内通訳者とは仲良く助け合って仕事をしましょう。社内通訳者と仲良くすることはビジネス上な理由だけではなく、パフォーマンス上の理由もあります。

社内通訳者は会社の状況や案件の背景、業界用語などについてフリーランスが逆立ちしてもかなわない知識を持っています。協力した方が仕事の質が上がるのは容易に想像できると思います。きちんと頭を下げて丁寧にお願いすれば、協力を断る通訳者はあまりいません。

「社内通訳者は気難しいから一緒に仕事がしにくい」と考えるフリーランス通訳者もいるようです。確かに気難しい人はいますが、社内通訳者の立場を考えないで仕事をしているフリーランスも相当数いるので、このあたりはどちらが悪いとは言えません。社内通訳者は社内通訳者で、いずれフリーランスになることを検討しているのであれば、社内で稼働中に現場で出会うフリーランス通訳者などとネットワークを構築しておくことも大事です。

いざフリーになったときすぐにエージェントを紹介してもらったり、仕事を紹介してもらえるような体制を整えていきましょう。この業界は狭いですから、フリーランスをいじめる社内通訳者は、いざフリーになったときにとても苦労すると思います。

関根マイク

Mike Sekine

通訳者。関根アンドアソシエーツ 代表、日本会議通訳者協会理事、名古屋外国語大学大学院兼任講師、元日本翻訳者協会副理事長。得意分野は政治経済、法律、ビジネスとスポーツ全般。

現在は主に会議通訳者として活動しているが、YouTubeを観てサボりながらのんびり翻訳をするのも結構好き。近年は若手育成のため精力的に執筆活動も行っている。「イングリッシュ・ジャーナル」で『ブースの中の懲りない面々~通訳の現場から』を連載中。