【第3回】大手を振って中道を行く−できない私の通訳雑談「通訳になりたい!?ECCのスパルタ教育」

天津は今日も晴れ。空は薄めに溶かしたクリームシチュー。

今週は月曜日から憧れの(本当かよ〜)春秋航空で天津に来ています。成田空港第3ターミナルから直行便で渡航できる天津。東京から約3時間、往復3万円強で渡航できる天津は、陸水運の要衝でもあり、天津飯でも有名です。と・こ・ろ・が、なんとここには天津飯がない!どこに行っても天津飯がありません。薄々想像してはいましたが、どうやら天津飯は日本の素晴らしい発明品のひとつのようです。

さて、今回天津に来たのは、現地の天津飯を食すという野望もあったのですが、メインの理由は会議でした。ある国際機関の非公式ワーキンググループの会合の通訳です。会議は火曜日から始まり、先程、2日半の日程を無事終了しました。今回は月曜日に現地入りし、今日で4日目となるのですが、一昨日くらいから胸がいっぱいになってしまいました。「胸がいっぱい」とはどういうことか。それは中国の空気の影響です。日本でも冬場を中心に中国から風に乗って運ばれてくるPM2.5がよくニュースでも取り上げられますが、現地では夏場も現在進行形で大気汚染は深刻な状態です。天気予報では快晴のはずの日も、空は薄く溶かしたクリームシチューのようにどんよりとしています。実は以前、冬の北京に6週間の長期出張をしていたことがります。その時も大気汚染が半端なく、外出時はマスクを二重で装着という生活をしていたのですが、現地の人から大気汚染は冬が特に深刻だと聞いていました。今回は夏場なので、少しマシかと期待していたのですが、甘かった。2日目を過ぎたあたりから気管や肺が何かモヤモヤしてきました。最初は油断をしていたので、マスク装着を怠っていたのが悪かったのかもしれません。しかし時すでに遅し。もはや胸がイケナイもので一杯な状態です。もしかしたらこの気管支が詰まったような症状は、仕事の合間にお客さんとおしゃべりし過ぎていたのが原因かもしれませんし、運河の夜景ツアーで大騒ぎしたのが原因かもしれません。それでも大気の影響は否定できないと思います。

さて、世の中には色々な二元論というか、対極的なものの見方や分類の仕方があると思います。男と女、聖と俗、生と死、戦争(暴力?)と平和だとか。そんな中で、私たち通訳があまり普段考えない分類が「英語を話せる人」と「話せない人」というものじゃないでしょうか。もちろん通訳の現場では通訳を「必要とする人」と「必要としない人」がいますが、少なくとも私は、英語を話せる、話せないというカテゴリー分けはあまりしなくなっています。ここでキモなのは、「しなくなった」というところなのです。

前回は、「素晴らしきNOVA!」ということでお話を進めました。何が素晴らしいかというと、NOVAこそ英語を話せなかった私を、英語を話せる私に変えてくれたからなのです。もちろん話せるといっても色々なレベルがありますし、当時は欲目で見ても中級程度だったと思います。それでもNOVAをやめた頃の私は、「英語は話せません〜」とは感じないようになっていました。これは意外に大きなことじゃないかな、と思います。例えば、中国語やフランス語など、話せればいいなと思う言語はいっぱいあったりしますよね。でも、一歩踏み出して新しい言語を学ぶのは大変なことです。それなりの時間がかかりますし、モチベーションを維持して勉強していくのは、何らかの目標や差し迫った理由があれば別ですが、一般的には難しいと思います。ですからこそ中国語などはいまも話せないままなのですが、真面目な理由や差し迫った事情もなかった私が、NOVAではひたすら楽しく英語が学べました。そして楽しい外人のお兄さん達と遊んでいるうちに、いつの間にか英語が話せる人になっていたのです。

そんな楽しいNOVAで一つの境界線を超えたところで、私はもっと英語が上手になりたいと思うようになりました。まだまだ英語では自分の表現したいことをどう言えば伝わるのか分からない時もいっぱいあるし、単語力も幼稚園レベルです。文法だって現在完了形がちょっとわかる程度です。そこで、今度は意を決して集中的に英会話を学ぶことを決意し、ECCの全日制英会話専科なるところに通うことにしました。

Back to School, ECC!

ECCの英会話専科は、全日制とされているだけあって、専門学校のように月曜日から金曜日まで終日バッチリ授業があります。入学を申請すると面接があり、過去の英語学習経験やECCでの1年間で何を実現したいか、また将来の目標は何かなどを聞かれます。私は何を思ったか「英会話専科に入って通訳になりたいです」と答えました。当時はそんなことこれっぽっちも考えていなかったのに、なぜそう答えたのか、今もまったく不明です。ただ、その答えを聞いた面接担当の先生が一瞬絶句し、「英会話専科の1年では通訳になることは無理です」とキッパリおっしゃいました。それだけは今もハッキリと覚えています。

ECCでの授業内容は幅広く、英会話から文法、貿易英語だとか英文タイプ(!)の授業までありました。英文タイプの授業では、カシャカシャいう手動式のタイプライター、ミシンで言い換えると足踏み式ミシンで授業を行います。タイプライターや足踏み式ミシンなど、実際に使ったことがない方も多いのではないでしょうか。授業では、まずキーがどのように並んでいるのかを学ぶところから始まります。次に隣り合った文字ばかりをなんども打つ練習をします。少し慣れると、小指や薬指で打ったり、かなり離れたと場所にある文字を連打する練習や、数字を打つ練習に進んでいきます。Typoをしたら、戻って消して打ち直すという作業もしました。私は子供の頃そろばんを習っていた時期があったのですが、とにかく雑な性格なのでコマを一つずつ上手く弾くことができません。いつもどっかで弾き間違いがあり、先生が検算をすると答えが合わない。そろばん塾でも毎回最後まで残ってやり直しをさせられていました。タイプも同じで、打つスピードは人並みのだけど、誰よりも間違いが多いという辛い経験をしました。ちなみにこの点は今も全く成長していません。素晴らしい速さで正確にブラインドタッチする人を見ると、今でも心が奪われます。

ECCの数ある授業の中で、一番つまらなかったのは貿易英語の授業です。貿易英語なんてまず興味がないし、貿易事務の仕事などやるつもりもないですから、モチベーションはゼロです。ただ、先生がベテランの柔和なおじいちゃんで「優しくしないといけない」と思わせる雰囲気を持った方でしたので、何とかサボることもなく授業に参加していました。この授業で今も覚えているのは柔和な先生の雰囲気と、世の中にはFOBとCIFというものが存在するということ。そして貿易関連のレターの日付はonじゃなくてof、つまりletter of 25 June 2019と記述するのだということを頑なに強調されたということです。

さて、本来の目的の英会話の授業はどうだったでしょう。ずばり、素晴らしかったです。本当に素晴らしかった。先生も神でした。1年間で大学4年間と同じくらいの英語授業、タイプや貿易英語で一息つく以外は、ずっと英会話の授業がびっしりでした。一番最初の授業では、オールイングリッシュポリシーだという説明を受け、授業では生徒の間でのおしゃべりも英語ですること、そしてお互いの呼びかけは英語のニックネーム行うように言われました。英語のニックネームなんてドメドメな私には抵抗があります。そこで当時のイニシャルのNとCをベースに、好きだった(Nico &) Velvet Undergroundからの連想で「Nico」にしました。これだと、日本人っぽい響きもあり「ちゃん」付けで呼ぶと照れ臭さもありません。私には抵抗があった英語名ですが、同級生たちはかなり自由にニックネームを選んでいました。マイクやトムにはじまり、ビクトリア、エリザベス、ジュリエット、キャンディなど、みんなこぞって憧れのキャラクターや王族の名前をニックネームにしていました。当時も校外でお互いを呼ぶ時は心なしか声が小さくなっていましたが、あれから30年、当時のクラスメートに街でばったり出会っても「あらジュリエット、久しぶり!」と呼び止めることは出来ないような気がします。

ECCは独自の教科書を作っていて、体系的に文法上の要点もカバーしながら英会話を教えていきます。それほど分厚い教科書でもなく、毎回の授業でカバーする量は全て暗記できるくらいの量で、内容もすぐに使えるような表現が多く含まれていました。もちろん、今は詳しく覚えていませんが、教科書ではレッスンごとに特定の文法上のポイントや、日常良く使うトピックなどがまとめられていました。各レッスンで学ぶ文法や文章の骨格をマスターすれば、あとは単語を置き換えたり、少しアレンジするだけで様々な応用が可能となる内容でした。中級レベルぐらいの英語学習者だと、まだまだ文法の理解も不十分で文章の構成能力も限定的ですから、教科書に沿って改めて文法をおさらいし、会話形式で使える形で学んでいくのはとても効率的だったと思います。私の英会話の先生はジェニーという若い日本人の先生でした。帰国子女ではなく、1年ほど英国に留学しただけということでしたが、分かりやすい綺麗な英語を話す人でした。毎回授業のためにとてもしっかりと準備をしてくるのが良く分かる先生で、今日学ぶのは何なのか、それはどんなシチュエーションでどのように使うのかを明瞭に教えてくれました。質問にも丁寧に答えてくれましたし、何よりも毎回何かを学んだという具体的な手応えが得られました。文法の説明は、英語を外国語として学んだ日本人に教えてもらうことが非常に効果的だと思います。あくまでも英会話の中級レベルの話ですが。

またECCでは資格の取得やTOEICの受験なども奨励されました。TOEICなどはコツもあるし、4択式の回答が多いので少し準備勉強をするとその効果が出やすい試験だと思います。一方資格、ここでは英検だったのですが、こちらはもう少し幅広い勉強が必要だと思います。まず奨励されたのは英検2級の取得でした。私は体育会系の人間ですので、試合(つまり試験)があればその目標に向けて準備をします。英検2級の受験が決まってからは、猛烈に勉強を始めました。まず巷には数多くの英検受験準備のテキストブックや過去問題、模擬試験などのドリルが売られていますから、それを片っぱしから入手して勉強しました。とはいえ、この辺りは誰でも普通にやることだと思います。私がもうひとつ、英語学習、特に英検受験の大きな武器にしていたものがあります。それは「英検2級合格のための必須単熟語2000カセットテープ(1800だったかな?)」です。もしかしたら自分も使っていたという方もいらっしゃるかもしれませんね。2本のテープが1セットになっていて軽快なミュージックを背景に、英単語とその日本語訳が交互にひたすら読み上げられるというものでした。おそらく1本60分か90分のテープだったと思いますが、私はこの2本のテープを寝言で暗唱できるくらい、ひたすら聴き倒しました。「チャチャチャチャチャーンチャン」というバックグラウンドミュージックは、今でも頭の中で奏でられます。

効果的な学習方法というのは、個人の性向によって異なるといわれています。文章を読むなど目からの情報で効果的に学ぶ人もいますし、情報を耳から収集して学ぶことを好む人もいます。私は圧倒的に耳派です。今でも専門性の高い新しい分野の仕事をするときは、事前にYouTubeやポッドキャストなどで関連のトピックを聞いて事前準備をしています。そんな耳派の私には、このカセットテープは肌身離さず携帯する宝のような存在でした。ウォークマンで1日2時間はこのテープを聴いていたと思います。そのおかげもあってか、英検2級は見事1発で一次試験を合格しました。ほんの2年前は「どぅーゆーはぶあるーむ」しか言えなかった私です。そんな自分が英検2級に受かるとは!思えば遠くに来たものです。しかし実は、合格したのはあくまでも一次試験の話でした。英検には二次試験もあり、このスピーキングの試験もパスしないと合格とはなりません。実はここからが私にとっての苦労の始まりとなってしまいました。

次回は「英検2級の苦難と通訳学校に通うの巻」でお話ししたいと思います。


エバレット千尋

フリーランス通訳。オーストラリアのモナッシュ大学大学院で通訳翻訳の講師を務める傍ら、一年に10回以上日本とオーストラリアを往復し、日豪両国で医療、医薬、金融、IT、その他幅広い分野で活動中。高校時代は、受験に主眼を置いた日本の悪しき英語教育の中で脱落し、英語への関心がゼロに失墜。その後、美術学校時代に一人旅をしたインドで「コミュニケーション」としての英語に目覚める。NOVAやECCで英語の基礎を学び、インタースクールで通訳訓練を受けた後、クイーンズランド大学大学院に留学。日本語通訳翻訳学科での修士課程を経て通訳デビュー。英大手通信会社で社内通訳を経験し、フリーとして独立。2007年にオーストラリアに移住。一年の3分の1を東京で過ごすが、心は関西人。街で関西弁を聞くと、フラっとついて行きそうになる。京都市生まれ。