【第6回】大手を振って中道を行く−できない私の通訳雑談「通訳学校でサイトラ頑張るの巻」
台風19号、怖かったですよね。
今回の台風は10月に日本を襲いましたが、通常台風が日本列島を襲うのは9月。少なくとも近畿地方を襲うのは9月と決まっていました。私は9月生まれなのですが、生まれた年もやはり9月に台風が近畿地方を襲い、私が生まれた直後も父は浸水した近くの線路の掃除に追われていたと聞いています。私が子供の頃は毎年のように台風が来ていました。台風が来て「暴風雨警報」が発令されると学校が休みになります。「注意報」だと休みにならないので登校し、警報になった時点で下校できます。このルールは学校ばかりでなく保育所にも適用されていて、暴風雨警報になった時点でお呼び出しを受け、歩いて40分の保育所まで一番下の弟を迎えに行ったこともあります。東京に比べ台風が通過することが多い京都出身の私は、今回の19号も一抹の不安と、子供の頃に体験した「台風の目」をもう一度経験するかも、という少し不謹慎な気持ちでソワソワしていました。台風が上陸した12日は、東京では朝からずっと公共交通機関が計画運休となり、午前中は台風の接近が嘘みたいに普通の曇りの日だったのですが、それでも道路は人影まばらで、週末はいつもオバちゃんやお婆ちゃんで賑わう近くのいなげやスーパーも数人の人がペットボトルや即席麺を買い出している程度でした。この人影まばらな東京はそれだけで何か気味の悪い、正にeerieという言葉がドンピシャな雰囲気でした。台風が東京を通過したのは夜の9時頃でしたので、台風の目を見ることはできなかったのですが、ちょうどその頃風向きは変わったように思います。一番風が強かった時間を中心にベランダから動画で記録をとっていたのですが、確かに夜の9時くらいを境に渦を巻く様な風や反対方向からの風が吹く様になりました。
ところで、台風が接近する人影のない東京の町は、風の音も変でしたよね。唸り声に近いというか。もちろん強風のために異様な音になっていたのだと思いますが、他に音源がない、人の雑踏もないということも寄与していた様に思います。人は音源でもありますが、人体というのはかなりの吸音効果があるらしいですね。たまに少人数の会議の逐次を、がらんとした部屋でやらされると、声が妙に聞き取りにくかったりすることがありませんか?声が響いちゃうというか、飛散しちゃうというか。実は人がいるかいないかで、その部屋の中の音の伝わり方はかなり異なる様です。もちろん人体以外にも置かれている家具や什器の数や素材によっても変わるらしいですが。通訳として聞こえる環境は生命線ですよね。がらんとした大部屋での少人数の会議には気を付けたいものです。
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さて、前回は通訳学校に通い始め、翻訳のクラスでは、惨憺たる試験結果で英訳の先生をがっかりさせたり、「あなたの日本語は変です。帰国子女ですか」などという帰国子女の方に対して失礼千万なコメントを和訳の先生から引き出してしまった話をしました。通訳の授業では、原文を「分かった」と思って訳出したことはなかったと思います。いつも聞こえた(様な気がする)単語をつなげてなんとなく文章にしていました。日本語のスピーチにいたっては、言語はわかるはずなのに意味が全くもってチンプンカンプンでした。
本気で毎回チンプンだったことの背景には、当時の通訳学習では利用できるツールがとても限定的だったことがあると思います。インターネットは皆無でしたし、携帯電話は存在せず、授業の準備で利用できるのは辞書と書籍しかありません。専門の書籍は自宅にあるはずがなく、図書館で調べるしかありません(やったことないけど)。通訳の授業では、見出語の数だけは他に追随を許さない研究社のリーダーズが必携で、自宅には小学館のランダムハウス英和大辞典と研究社の和英大辞典が机の上を支配していました。毎回新しいスピーチが始まる前の週には、スピーチに出てくる単語のリストが配布されますが、基本的に準備はその単語を調べるだけです。おそらく今だとスピーカーの名前やトピックが事前に伝えられると、皆必死になって予習し、関連の分野やスピーカーの発表文献を調べたりしてくると思うのですが、当時は、授業のたびにそういった細かい予習をしてくることはまず無理でしたし、単語を辞書で調べてくる以外、予習をするという考えもなかったように思います。そういう状態ですから授業は毎回「初見」状態で挑み、真っ向から打ち砕かれていたわけです。
そんなとてもアナログな時代の通訳学校でしたが、毎回欠かさず完璧な準備で挑んでいたものがあります。それがサイトラでした。通訳の授業自体は2、3週間でスピーチ1本を訳すというものでしたが、そのスピーチ教材に類似する(しないことも多い)内容のサイトラの教材が用意されていました。ほとんどはTIMEやNewsweekの記事を印刷したもので、一回あたり大体1ページから長くても1ページ半くらいの教材だったと思います。それが毎回宿題として配布され、次回の授業までに訳出できる様に準備するわけです。TIMEやNewsweekを読んだことのある方なら想像できるかと思いますが、どちらの雑誌も記事も修飾句や持って回った様な表現がふんだんに盛り込まれたものが多く、訳出の練習どころか、ごっつい辞書で知らない単語を調べるだけでも大変でした。今は仕事でも単語リストを手書きで作ることはなくなりましたが、当時は100%アナログの世界でしたから、調べた単語を単語帳に書く、その作業にもかなりの時間がかかりました。もちろん単語帳には、単純に単語とその和訳・英訳を書き留めるだけでなく、その単語がどんな文脈で出てきたのか、どんな動詞や前置詞と組み合わされるのかまで書きますから、延々と時間がかかります。おまけに作った単語帳は大きくなるばかりで、あまり見直すこともありません。新しい単語を調べて書き留めるだけで手一杯なわけです。
やっと単語が調べ終わったら、今度は訳出の練習です。目標は正確な訳を淀みなくスムーズに。これがまた難しいのです。大体において、原文の構文を理解すること。何が主語で何が動詞か見極め、余った修飾句が何を飾っているのか読み解き、一歩下がって筆者が何を言っているのか理解することは至難の技でした。今同じことをやったらもう少し早く訳出できると思いますが、当時は「英会話」としてしか英語を学んでいませんから、文章を読みこなすことが難しかったのです。ぶっちゃけ、内容も楽しいと思ったことは一度もありません。ただこういった必死の読解を毎週行う中で、高校時代は頭を素通りしていった英語の文型、S+VだとかS+V+Oといった文型の意味するところが少しずつ腹落ちしてくる様になったと思います。私は帰国子女でもバイリンガルでもなく、英語を耳から聞いて自然に習得したわけではありません。英文をさっと見るだけでは、「はあ〜?」って感じです。その点、日本語は漢字がさっと目に入ってくるので、読まなくても何の話かざっくり想像できますよね。ネイティブの人は、英語を見るとさっと意味が読み取れるのかもしれませんが、私には無理です。ですからこそスラッシュを入れ、スラッシュ毎のチャンクを文法的に分析し、文型を把握して初めて文章の意味がわかるのです。
ところで、私は一年の3分の1くらいを東京で過ごしていて、超スーパーに小さいアパートも持っています。東京に滞在している時は完全に仕事モードで、仕事以外の時間はジム通い洗濯くらいしかしません。台所は一口コンロしかないので、食事も「フライパンひとつでOK」くらいしか作らないのですが、オーストラリアにいる時はレシピ本を読んだりして比較的ちゃんと料理をしています。和食は材料調達が難しかったり、入手できても高額だったりするので、基本的には英語のレシピ本で洋食かエスニック料理をつくります。一時凝っていたのがJamie Oliverの”Jamie’s 30 Minute Meals” というレシピ本です。これが結構すぐれもので、30分で主菜、副菜、デザートまで出来ちゃうというものです。ただ、一つだけ問題があります。それはレシピの書き方にあるのですが、全ての料理の手順を時間軸に沿って平行で進められるようになっているので、少し慣れないと混乱するのです。たとえば「最初に副菜の人参をフードプロセッサーに投げ込んで、その間に主菜用にフライパンを温め始め、その隙にパイシートを冷凍庫から出したら、フードプロセッサーにレモンの皮を削り入れて、フライパンに油を敷く」といった感じです。もう想像いただけるかと思いますが、ここで大いに役立つのがスラッシュ読みなのです。まず全体に軽くスラッシュを入れ、次に材料は全て丸で囲み、手順部分は下線を引く。そして料理毎に二重スラッシュを確実に入れたら、あとはチャンク毎に処理するだけです。私の主人もこの「30分料理」のレシピ本を試したことがありますが、1時間半くらいかかった上に逆上して暴言を吐いていました。スラッシュをちゃんと入れないからダメなのだと思います。
さて、この様に一旦スラッシュを入れ単語を調べたら、後はひたすら声に出して訳出の練習をします。スラッシュを入れて文章を理解したつもりでいても、声に出して訳出すると意外と理解不足だったり、背景知識がないために訳せないことに気づくことが多くあります。今だと背景知識はググれば直ぐに確認できますが、当時は辞書か「現代用語の基礎知識(!)」くらいしかありません。再び分厚い辞書をまさぐって用語を確認し、辿々しいながらもざっと訳出できる様にしていきます。ここまでで少なくとも2時間近くかかります。あとは原文を音読するのと同じくらいの速さになるまで訳出のスピード上げて完成です。この最後の仕上げに大体1時間くらいかかりますから、最低でもサイトラの宿題だけで最低3時間はかかるのです。もちろん、もっと本気でやろうと思ったら、原文を読んでテープに録音し、録音に合わせた訳出の練習なんかができるのですが、流石にそこまで出来たことはありません。通訳「入門科」にいる間は翻訳のクラスも取っていたので週3回通っていましたし、サイトラは週に2本やっていたと思います。翻訳の宿題に必要な時間を考えると、サイトラ1本にかける時間はおそらく3時間ぐらいでギリギリだったと思います。通訳の授業でまともに出来たと思ったことは1度もないのですが、このサイトラを必死で準備したことがかなり英語力の向上に役立ったと思いますし、訳出の言葉選びや同通のスキルを学ぶ基礎づくりにもなっていたんじゃないかと思います。
ちなみに私はサイトラは大きく二つの取り組み方があると思います。
一つは今書いたように徹底的に準備をして、普通のスピーチと同じくらいの速さで訳せるくらいまで練習をするというやり方。もう一つは、初見に近い形でいきなり訳出するというやり方。この後者のサイトラが、”sight translation (=interpreting)”本来の意味だと思いますし、実際の仕事でサイトラをするシチュエーションに近いと思います。また、2、3行先までざっと見ながら訳すので、速読の能力も鍛えられるんじゃないでしょうか。それでも私は、通訳のスキルを学ぶというところでは、前者の徹底的に準備するサイトラが間違いなく有効だと思います。ただ、初見でも大極的な視点を失わずに訳す能力を身につけるには、後者の訓練も時間が許す限りやった方がいいでしょうね。それでも時間が本当に限られているなら、前者のアプローチでサイトラを一本するべきだと思います。この二つのサイトラの練習は、ちょうど机に座って、スピーチ教材を聞いて通訳の練習をすることと、犬の散歩をしながらニュースやポッドキャストを聞い流しながら「なんちゃって」通訳の練習をすることに似ているように思います。「なんちゃって」通訳練習だけだと上手にならないと思うのです。あー自分で言っておいて耳が痛い。
さて、今回は通訳学校から大学院に入学するところまでを語ろうかと思っていたのですが、サイトラの話で(勝手に)盛り上がってしまいました。サイトラ、大事です。通訳訓練として欠かせない手法だと思います。
さて、次回はいよいよ通訳学校の階段を駆け上って天井にぶつかり、オーストラリアの大学院に通った経験をお話ししたいと思います。
エバレット千尋
フリーランス通訳。オーストラリアのモナッシュ大学大学院で通訳翻訳の講師を務める傍ら、一年に10回以上日本とオーストラリアを往復し、日豪両国で医療、医薬、金融、IT、その他幅広い分野で活動中。高校時代は、受験に主眼を置いた日本の悪しき英語教育の中で脱落し、英語への関心がゼロに失墜。その後、美術学校時代に一人旅をしたインドで「コミュニケーション」としての英語に目覚める。NOVAやECCで英語の基礎を学び、インタースクールで通訳訓練を受けた後、クイーンズランド大学大学院に留学。日本語通訳翻訳学科での修士課程を経て通訳デビュー。英大手通信会社で社内通訳を経験し、フリーとして独立。2007年にオーストラリアに移住。一年の3分の1を東京で過ごすが、心は関西人。街で関西弁を聞くと、フラっとついて行きそうになる。京都市生まれ。