【第3回】翻訳・通訳会社のクレーム処理「 感情のコントロール」
翻訳・通訳会社は、翻訳者・通訳者には見えない舞台裏で様々なクレーム処理を行っています。本連載は目的は、その一部を紹介することで、翻訳・通訳会社が日々取り組む業務に関して理解を深めてもらうことです。執筆は現役の翻訳・通訳会社コーディネーター。登場人物はすべて仮名です。
人が言い争い、罵倒し合うほど醜いものはありませんよね。当の本人達も気分を害しているかもしれませんが、同じように、周りにも悪影響を及ぼしていることに気付くのは、随分後のことだったりします。しかし、この醜い小競り合いが、通訳の現場で起こってしまったら、どうでしょか。想像してみてください。きっと、何も良いことはありません。残ってしまうのは、周りの不快な表情や驚いた表情でありましょう。今日はそんな“感情”についてのお話です。
一度、感情的になると止められないのが、私の悪い癖です。でも、それを止めることが出来たらと、つくづく思います。今日の現場は丸の内の J ホテルでの通訳の仕事です。仕事中に、この悪い癖が出ないか、つねづね心配であります。でも、仕事はまっとうしなくてはいけない。しっかりと、こなさなければ。感情をいかに表に出さないで、仕事をやり切るかが、仕事人としても、大人としても、心得なければならないことだと思うから。だから、今日も、冷静に、冷静に、やっていこうと思います。
J ホテルは、東京でも有数のホテルで、とても美しいエントランスです。是非、プライベートで泊ってみたいものですが、今日は仕事です。気を引き締めて、業務に徹していきたいとこです。また、今回の通訳は、私を含めた二人。いわゆる、ペアというやつです。今回ペアを組むタニザキさんは私よりも先輩で、はじめてお会いする方です。
「ミキさん、こんにちは。タニザキです。」
「こんにちは。こちらこそ、よろしくお願いいたします。まだまだ、未熟ですが、一生懸命やらせて頂きます。」
「はい。」そう、タニザキさんは冷たく、冷めた目で私に言いました。その時、直感的に、『この人とは合わないな・・・。』と、感じましたが、そんなことを気にしていてはいけないと、心に言い聞かせていました。
そして、通訳が始まりました。大きな会場だったこともあって、とても緊張感が漂っています。私はマイクに口を近付けて、話し始めました。そしたら、タニザキさんが次々にメモのようなものを書いています。そして、時おり、そのメモの一部を差し込むようにして、短文が書かれたものが入れ込まれました。チラっと見てみると、重箱の隅を楊枝でほじくるような内容が書かれていました。気がそれる思いもありました。ですが、私は気にせず集中して業務に取り組みました。やがて、私の通訳が終わり、特に目立ったミスも無く、手応えを感じていました。『よかった・・・。』そう、ほっと思っていたら、タニザキさんが先ほどまで書いていたメモを私に渡してきました。そこには信じられないほど、たくさんのメモがあり、私のパフォーマンスに対する、批判とも取れる内容が、いくつも、いくつも書いていました。そこには、何度見直しても、私が見て納得出来る内容のものは無く、いわゆる、嫌がらせとも取れる内容でもありました。私は、これを見て我慢の限界点を越えつつありました。『これはいただけない』と。しばらくして、タニザキさんのパフォーマンスも終わり、私は彼女に話しかけました。
「お疲れ様です。こちらのメモ等でのご指摘、ありがたく頂戴しました。」
私がそうタニザキさんに伝えると、またあの時の冷めた目で、私を見てきました。人を蔑んで、軽蔑する目。高飛車に、見下すような、腕の組み方。『一体、私に何の恨みがあってこんな態度をとるのだろう。どうして、はじめて会ったばかりの私に、こんな陰険なことをしてくるのだろう。パフォーマンスはそれほど悪かっただろうか。いつもより出来たと、自分で自負できるほどだったのに。どうして。どうして!』
ふつふつと湧き上がってくる怒りに、表情を隠しきれなかった私の目は、ついに彼女を睨み返すほどになってしまっていました。いけないと分かっていても、ここまできてしまったら、表情まではコントロールすることはできなかったのです。
「なに、あなたのその目。私の意見に、何か不服でもあるのかしら?」
「いいえ。ですが、私のパフォーマンスはそれほど悪かったでしょうか。大変おこがましいことかとは思いますが、私はそうは思いません。」
「あなた、そんなこと言えるなんて、ずいぶん生意気ね。」
「私は、私のパフォーマンスに責任を持っています。通訳の仕事に誇りを持っています。私の方でミスがあると感じたなら、それは私も認識出来ますし、それはそれで自覚を持って受け入れます。ですが、申し訳ございませんが、こちらのメモに書かれたことの多くはとても受け入れがたいことです。私も10年近くこの仕事をしていますが、こんなこと言われたことはないです。」
「私の考えに口答えするってどういうつもり!」
タニザキさんの声が会場中に響いて、残っていた人が一斉に振り向きました。私も彼女の言葉に頭が熱くなり、ただ怒りだけが進行して、考えることが出来なくなっていました。もう、我慢出来ない。全部、思ったことを言いそうだ。
「大丈夫ですか。どうかなさいましたか。」
会場に残っていたクライアントの方からの言葉でした。私は少しほっとしました。
そして、「大変、申し訳ございません。お騒がせしてしましまして」と、私は続けました――
――通訳の現場のみならず、老若男女、このような感情のぶつかり合いは、時より起こってしまいます。それを避けて生きることも、当然出来ません。ですが、人を思い遣り、接することは出来ましょう。ひとつ、ひとつの思い遣りが、素晴らしい空間を作り上げていきます。それは、すなわち、力を合わせるということでしょう。
今回のポイント
感情のコントロールも大切である。通訳として技量が優れていてもクライアントを不安にさせてはいけない。