【第1回】欧州通勉事情「ヨーロッパでの通訳勉強~はじめの一歩」
皆さんこんにちは。坂井裕美(ひろみ)と申します。イギリスのロンドンを中心にフリーランスの英日会議通訳者として活動しております。日本国内の通訳者さんの中にもヨーロッパの大学院で通訳の勉強をすることに興味を持っている方が多いとJACI本部から伺い、この度ロンドンの通訳仲間である平松里英さんと交代でこの連載を担当させて頂くことになりました。さまざまな項目のなかで、「通訳の訓練に役に立っているが、日本の通訳学校ではあまり取り上げられることがないと思われる」というものを中心にご紹介していく予定です。
まず、私が大学院の会議通訳者コースを取ろうと思い至った経緯についてお話します。ごく単純な理由なのですが、ヨーロッパで通訳者として働くには、通訳関係の修士号あるいはそれと同等の資格を持っていることが重視されるからなのです。
ヨーロッパの通訳エージェンシーに登録する際にも、応募用紙に関連学位を記入する欄があります。大学院入学当時、すでにフリーランス通訳者として3年ほど働いていた私ですが、当時登録していたのはすべて日本のエージェンシーでした。そのため、仕事量を増やすべくイギリス国内のエージェンシーにも登録しようと試みたのですが、通訳修士号の壁が立ちはだかりました。もちろん、通訳修士号は通訳者として働くための「必須条件」ではありませんが、関連学位を持っていることが当然であるかのように各社の応募用紙が作られている実態を見て、私は大学院入学を決意したのでした。
今回が連載の初回ですので、私と平松さんが学んだ修士課程会議通訳科のカリキュラムをまず簡単に紹介します。イギリスでは通常修士課程はフルタイムですと1年で履修し、その中に必修のモジュールが6つあります。コース(授業)がすべて終了してから、最後に修士論文を書くことになっています。
必修のモジュールは、通訳スキル、通訳理論、通訳者の就業環境、会議通訳1と2、会議通訳UN/EUコンテクストで、1、2学期目にそれぞれ3モジュールずつ取ることになっています。平松さんは、UN/EUのモジュールの代わりに、PSI(公共サービス通訳)の司法オプションを選択しました。
では各単位の学習内容を簡単に説明します。
通訳スキル
これが、最初のモジュールであり、基本の授業です。クラスの中には、私のようにすでに通訳者として働いている人もいましたが、ほとんどの学生は通訳経験がまったくない人たちでした。授業では「通訳とは何ぞや」から始まり、練習としてはまずは簡単な内容の逐次通訳から始めます。このとき、メモは取りません。メモを取らずに行う逐次通訳です。
つまり、クラスメートが用意したスピーチを聞きながら「メモを取らずに記憶だけで」英語に訳出します。他言語から英語の場合もあれば、英語から英語の場合=パラフレーズになる場合もあります。そのあと「4単語だけメモ取りが許される逐次」に移るのですが、これにより「たった4単語でも」メモを取らせてもらえるありがたさを実感できます。
もちろんメモ取りの原則も教わりますし、それぞれの学生が考案した便利な記号を壁に張り出してディスカッションしたりもします。このように、クラスメート同士で活発に提案し合ったり議論を展開したりする中から、学んだり考えさせられることも少なくありません。
そして、この単位で最終的な到達点として目指すのが「6分間のロング逐次」です。学期末の逐次通訳試験も6分間のロング逐次となっています。話者が6分間延々と話した内容を黙々とメモし、それを一気に訳すのです。実際の通訳現場ではこのような状況は頻繁にはないかも知れませんが、欧州連合の認定通訳者になるための試験に6分間のロング逐次があるのです。国連や欧州連合の通訳者試験に挑戦できる人材を育成することがこのコースの最終目標と言っても過言ではありませんので、ロング逐次の訓練が重要視される理由がお分かりいただけると思います。この訓練の有効性については後日、別の回でお話しする予定です。
また、通訳スキルと言っても言語的な面だけではありません。ボディーランゲージや間の取り方などの、言語そのもの以外のスキル(non-verbal skills) についても学びます。学期末には、各種通訳スキルについてのグループ研究発表(グループプレゼンテーション)試験があります。ここではチームワークやそれに関連する能力も試されます。
また、このモジュールでは逐次通訳の訓練だけでなく、毎日ほぼ即興のミニスピーチをクラスメートの前でさせられます。当初は「通訳のコースなのになぜスピーチ?」といまひとつ納得がいきませんでしたが、実際の通訳の現場では、これが実に役に立つのです。これについても、改めて別の回で詳しくお話しいたします。
通訳理論
このモジュールは通訳理論・研究に関する授業です。毎週、指導教諭が選んだ通訳関連の論文の一部を読み、与えられた課題(タスク)をこなします。例えば、「その論文に対する客観的な批評をする評論文を書く」などです。この授業の最後には5000ワード程度のミニ論文の提出と、グループごとの研究発表が義務付けられています。修士論文を書くための準備トレーニングのような感じでしょうか。
会議通訳1
日本の通訳学校では、逐次通訳をある程度極めないと同時通訳のクラスに進むことはできませんが、ヨーロッパの通訳コースでは、通訳の初心者にもいきなり同時通訳を練習させます。逐次通訳と同時通訳の訓練が並行して行われるので、まったくの通訳初心者も、通訳経験の豊富な人も、一緒に同時通訳の基礎から学びます。最初はだれにでも入りやすい「世界の都市」といった一般的なトピックから始め、徐々に「人口の高齢化」など、やや専門的なトピックに進んでいきます。しかし「会議通訳1」の段階では、まだまだトピックは一般的です。
また、毎回、各自7~8分の英語のスピーチを用意するのも宿題の一つです。それを希望者(もしくは指名された学生)が授業中に発表し、その間に残りの学生は言語ごとにブースに入って同時通訳をします。こうして数週間同時通訳の練習をした後に、いよいよ各学期4回ある模擬会議が始まります。模擬会議は国際会議を模したもので、毎回違うテーマが決められます。「会議通訳1」の時点では、まだ言語方向はB言語からA言語(日本人の場合は英語から日本語)のみです。
会議通訳2
二学期に入り「会議通訳2」ともなると、取り上げるトピックは専門性が高くなってきます。例えば、私の年には「労使問題」などがありました。また、「会議通訳2」ではA言語からB言語(日本語から英語)の訓練も行われます。それにともない、リレー通訳の練習が始まります。リレー通訳については別の回でも取り上げます。
会議通訳UN/EUコンテクスト
二学期には、上記「会議通訳2」の他に、同時通訳の授業がもう一コマあります。ヨーロッパには欧州連合だけでなく国連のジュネーブ本部もあるため、学生の多くはそれらの機関の通訳者認定試験を目指しており、そのための授業です。この「会議通訳UN/EUコンテクスト」のモジュールでは、国連と欧州連合の歴史や組織について(通訳者の出番がある部門を中心に)学ぶとともに、実際に国連や欧州連合の会議で取り上げられるトピックに即した内容で模擬会議が行われます。このモジュールに限っては、トピックの設定を含む模擬会議の企画運営も、学生たちが自分たちで一から行うことが特徴です。そのようにして、国際会議運営の基礎も同時に学びます。
言うまでもなく、各学期の最後には同時通訳試験があります。1学期は英→日のみでしたが、2学期には英→日、日→英の両方向の試験があります。
通訳者の就業環境
フリーランスの会議通訳者としてどうやって市場に参入したらよいのか、この世界に入ったらどういった倫理規定があるのか、継続的な職業訓練はどうするのか、などについて学ぶのがこのモジュールです。自分のマーケティング、通訳料金の設定、通訳者の行動規範、名刺や履歴書の書き方など、実践的な内容になっています。このモジュールの最後にも、グループごとの研究発表が義務付けられています。
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以上が必修単位の概要です。次回からは、平松さんと坂井が交代で、イギリス・欧州ならではと思われる内容を中心に掘り下げながら、引き続き紹介していきますので、お楽しみに。
証券会社社内翻訳職、専業主婦業を経てフリーランス通訳者に。好きな通訳分野はIR、エネルギー、インフラ、行政、医療・医薬品、舞台芸術。ファッションと中国語の学位も保有。イギリス生活は通算17年。イギリス人の夫との間に1男2女あり。
北アイルランドで国際メディア研究修士課程修了後、日本の外資系企業の社内およびテレビ通販の生放送主任通訳者を経て、フリーランスの通訳者に。2007年からロンドンを拠点に活動。得意分野はテレビやラジオなどメディア。その他、好きな分野はIT、行政、司法、軍事・防衛。1男1女(双子)の母。