【最終回】インドネシア語通訳の世界へようこそ「インドネシア語通訳の世界へようこそ」

約1年にわたってお届けしてきた本連載。最後は皆さんからの質問特集です。
事前にお寄せいただいた中から、いくつかピックアップしてお答えしてみようと思います。

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【Q-1】
「クライアントやエージェントとは、お互いに必要とし必要とされ、選び選ばれ、持ちつ持たれつの対等な関係」で「こびへつらわず、必要とあらば毅然とした態度で接することも必要」。確かに理想としてはその通りなんでしょう。
ただ、そうはいっても自分はまだまだ駆け出しの分際ですので、どうしても気後れがしてしまいます。
何か物を言うと、「うるさい」、「面倒くさい」、「扱いにくい」、「生意気だ」と疎んじられ、干されてしまうとも聞きますし……。
少なくとも最初のうちは、何も言わずおとなしくしていたほうが身のためではないでしょうか。

【A-1】
おっしゃる気持ちはよく分かります。私もかつては物を言えない、言わない通訳者でした。
干される怖さで、思っても言えない。事なかれ主義で目をつぶり、あえて言わない。
「黙って何でもこなせば担当者から重宝がられ、次にまた使ってもらいやすくなるかも」という打算もありました。
むちゃぶりの連発にも四の五の言わず淡々と応え続け、おかげで種々の逆境に強くなったのも確かです。

ところが、そうしているうちに「こんな姿勢でいては駄目だ」という思いが募ってきました。
通訳者は、立場と経験上「このまま行くと本番でまずいことになりかねない」という、ある種のリスクがいち早く察知できます(例えば先方の担当者が不慣れだったりすると、通訳者の人数と時間配分、資料の手配、会場・機材・音声環境、立ち動きの流れなどに致命的な無理があることも珍しくありません)。
その手のリスクに対して「こうすれば防げる」という方策を誰より的確に示せるのも、多くの場合他ならぬ通訳者自身です。

クライアントやエージェントがリスクに気付いていない場合、「言えない、言わない」ではあまりに不誠実で無責任ですし、その報いは結局ブーメランとなって本番でわが身に返ってきます。
痛い目に遭ってから、裏で「あれはクライアント(またはエージェント)側の担当者が悪い。自分は与えられた状況の下でベストを尽くした」などと独りごちても意味がありません。
「あの逆境にしては、よく健闘した。本来の力を10とすると3しか発揮できなくて仕方ない状況を強いられたのに、自分は5も出せた」というのは、単なる自己弁護であり自己満足です。
事情を知らない大多数の人にとっては「今日の通訳者はひどかった」でしかなく、信用に傷がついた代償を以後延々と払い続けるはめになるのは誰かをよく考える必要があります。

場数を踏むうち、ブーメランを上手にかわす、つまり本当は案の定まずい事態に陥っているのに、周囲にそうと悟らせず乗り切るうわべのテクニックばかり身に付き、それを「逆境に強くなった」と誇るようになったりしますが(確かついさっきも、そんな人を見かけたような……)、危険な勘違いでしょう。
急場をしのぐテクニックも一とおり身に付けているに越したことはないにせよ、それが通用しない類いのリスクもあります。
これまで乗り切ってこられた(と思っている)のは、たまたま運が良かっただけという面もあるはず。なれて油断していると、いつ運が尽きて職業生命に関わるレベルの大失態を演じることになるか分かりません。
そうなれば、クライアントにも、現場の話し手や聞き手にも、エージェントの看板を背負っている場合はエージェントにも、多大な迷惑と損失を及ぼしてしまいます。

では、どうすればよいのでしょうか。
ひと言でいえば、そんな逆境をみすみす招かないことです。10の力がちゃんと10出せる状況を整える。現場で本番中に発せられた言葉を訳すだけでなく、事前・事後を含め常に全体最適を考えながら、クライアントの利益のために通訳者の立場でできることは全てやる。言うべきは言う。尋ねるべきは尋ねる。
仕事として請け負った以上そうする責任があり、そこにはベテランも駆け出しもないと私は思います。

もっとも、駆け出しのうちは何が全体最適なのか見えず、リスクに気付けなかったり、気付いても忙しそうな相手にわざわざ言う(尋ねる)べきほどのことか軽重の判断がつきかねたりする場合も多いでしょう。それはある程度仕方のないことです。
一方で、経験が浅くても気付けること、明らかに言わないとまずそうなことも多々あるはずですから、そうした部分まで「何も言わずおとなしくしていたほうが身のため」と黙っているのは違うと思います(自分がそうだったくせに偉そうな物言いで何ですが)。

「与えられた状況の下でベストを尽くす」は、まず状況を整えるために打てる手は全て打った上で、最後の最後に言う言葉。
立場上タッチできない部分も残りますから、その意味で「与えられた」にはなりますが、当事者意識を欠いた受け身一辺倒の「与えられた」では決してないということです。

そうやってお互いのために言うべくして言い、尋ねるべくして尋ねたことに耳を貸そうとせず、「うるさい」、「面倒くさい」、「扱いにくい」、「生意気だ」とあしらうようなクライアントやエージェントに当たってしまったときは、ダメージの少ないうちにさっさと離れるのが吉でしょう。
逆に、お互い進んで耳を貸し、しっかり受け止め合えるところと出会えたときは、本当に大事にして全力で貢献することです。
駆け出しの人も、いやむしろ真っさらな駆け出しの人こそ、古い固定観念やおかしな感覚に染められてしまわないよう付き合う相手、組む相手をシビアに選ぶ必要があります。

そうやって主体的に「組む」か「離れる」かが「お互いに必要とし必要とされ、選び選ばれ、持ちつ持たれつの対等な関係」における基本です。「干す」、「干される」といった一方的な力関係を前提とした発想とは無縁の世界だと言えるでしょう。

何だ、結局また理想論じゃないかと言われれば、そうかもしれません。
ただ私のそれは、欺瞞(ぎまん)と妥協に満ちた現実論をいったんは受け入れて長いこと泥臭くもがいた末に帰り着いた、いわば「一周回った理想論」です。
需要の規模、供給とのバランス、業界のあり方、その他もろもろの要素に照らしても、理想を現実のものとする機運は今や十分に熟していると感じます。
あとは信念と覚悟を持って行動するまで。人に無理強いはできませんが、私はそうするつもりです。

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【Q-2】
連載全体を通じて、「通訳(と翻訳)だけで食べていける」ことに固執しすぎではないかと感じた。私は兼業で別にそこまで求めておらず、家計の足しになれば十分だと思っている。そうしたスタンスでは駄目なのか。

【A-2】
兼業自体が駄目だとは言いません。考えや事情は人それぞれで、専業以外の形をあえて選ぶ人もいれば、選ばざるを得ない人もいて当然だと思います。
インドネシア語に限らず大半の言語では、通訳者や翻訳者を名乗る人のほとんどが兼業だというのがむしろ実態でしょう。

ただ、人生いつ何があるか分かりません。ましてや今のご時世です。
「食べていく上で、手持ちの通訳・翻訳スキルだけが頼みの綱になる? そんな日など自分には一生来るはずがない」と言い切れる人がどれだけいるでしょうか。

人の心だって、どう転ぶか分かりません。
「片手間に軽い気持ちで始めたけれど、やがて仕事としての意義や面白さに目覚めて引き込まれ、これ一筋で行きたくなる? そんなこと自分に限って絶対あるはずがない」と言い切れる人が果たしているでしょうか。

いざそうなってから、これまで「別に生活が懸かっているわけじゃないし……」とブラックな条件でも無分別に受け入れ(※)、健全な市場環境づくりに努める同業者たちの足を引っ張ってきた(後ろ矢を射てきた)ことを悔やんでも遅すぎます。
※:質問者さんがそうだと決め付けているわけではなく、一般的な傾向としての話です。

たとえ今は小遣い稼ぎのアルバイト感覚や副業止まりであっても、料金設定の考え方のところ(第3回)でやったように常々「自分がこれ一本で食べていくことになった場合」を想定し、そこを一つの基準に置いて考えてみる。そんな習慣を付けてもらえればとの願いから、ご指摘のような書きぶりになった次第です。

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【Q-3】
お勧めの辞書や資料、通訳練習用の素材などはありますか。
情報収集や調べ物をする際のコツは何ですか。

【A-3】
そう、その辺りの話があまりできていませんでした――が、最終回にしてまたも字数が……。ついつい最初の一つに力が入りすぎてしまったもので、すみません。

他にも書き切れなかったこと、盛り込めなかった視点は山ほどあります。それらについては、また別の機会があれば改めて書くことにさせてください。

通訳業界とそれを取り巻く技術や環境、日本とインドネシア両国の情勢や関係、その他あらゆる要素が変化するに連れ、この連載に記した状況も、私の考え方、動き方も変わっていきます。
今後も引き続きツイッターやフェイスブック、リンクトインその他各種のSNSを通じて、情報発信や皆さんとの交流を図っていければ幸いです。

なお、今月(2019年8月)24日に開催される日本通訳フォーラム2019でも、
「通訳で食べていけるのは英語だけ? ~インドネシア語の危うい現状から考える~」
という演題でお話しする機会を頂いています。
毎年とても楽しく有意義な催しですので、ご都合の許す方はぜひ。

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末筆ながら、これまでお読みくださった皆さま、ご意見・ご質問を頂戴した方々に深くお礼を申し上げます。「いいね」やリツイート、シェア、ブログでのご紹介なども、大変励みになりました。
日本会議通訳者協会(JACI=ジャシー)の関根編集長、諸橋デスクをはじめ、役員やスタッフの方々にも大変お世話になり、心から感謝しています。
皆さま、どうもありがとうございました。

それでは、また!

 


土部 隆行(どべ たかゆき)

インドネシア語通訳者・翻訳者。1970年、東京都小金井市生まれ。大学時代に縁あってインドネシア語と出会う。現地への語学留学を経て、団体職員として駐在勤務も経験。その後日本に戻り、1999年には専業フリーランスの通訳者・翻訳者として独立開業。インドネシア語一筋で多岐多様な案件に携わり、現在に至る。

インドネシア語通訳翻訳業 土部隆行事務所