【JITF2021】川根紀夫「ろう者の願い、手話通訳の理論・実践から手話通訳の思想を探る」
川根紀夫
手話通訳の担い手としての第1歩は、1971年(1970年度)、千葉県ではじめて開かれた全20時間の「手話奉仕員養成講座」(現在の手話奉仕員養成カリキュラムでは80時間)でした。よちよち歩きの私が、手話通訳士として成長できたことは、ろう者をはじめとする地域の仲間や全国の仲間の支えの賜物です。以下、私の中央団体の活動の一部を紹介します。
1974年、聴覚障害者福祉と手話言語通訳者の社会的地位の向上のため、手話言語、手話言語通訳や聴覚障害者問題の研究・運動を行う全国組織である「全国手話通訳問題研究会」の誕生に伴い、会員に。
1976年、手話言語通訳の出来るケースワーカーとして千葉県佐倉市役所に入職。
1989年、第1回手話通訳技能認定(手話通訳士)試験(厚生労働大臣認定)が始まり、1991年には、手話通訳士の資質および専門的技術の向上と、手話通訳制度の発展に寄与することを目的に「一般社団法人(現)日本手話通訳士協会」が設立され、1993年、理事に就任。
私が所属している学会は、「日本手話通訳学会」「日本早期認知症学会」「自治体学会」で多くの学びを提供してくれています。
ろう者の願い、手話通訳の理論・実践から手話通訳の思想を探る
手話通訳の要求は、音声言語が中心で、手話言語を否定する社会と対峙してきた「ろう運動」から生まれ、深化してきました。ここに手話通訳(士)の思想の原点があります。
情報の取得・発信、対人関係におけるコミュニケーションや社会の様々なシステムは、聴こえることが前提となって動いています。
ろう者と聴こえる者との平等を保障するために必要な社会的な対応が不十分なため、生活上の不利益、手話言語による教育機会が得られないなど様々な困難をろう者に負わせ、課題の解決をろう者個々の努力に委ねてきた我が国の姿が明らかになっています。
さらに、優性思想、劣等処遇の原則などを生み出す社会意識が「平等」を実現する壁となっています。
「ろう運動」「手話通訳運動」「手話運動」は、誰もが「平等」な暮らしが営める成熟した社会の実現に大きな役割を果たしています。一人ひとりが大切にされる社会づくりの運動から学び、手話言語の否定、障害による排除、生活者としての困難の3重に張り巡らされた「ろう」という障害の状況下、手話通訳実践から手話通訳の思想について改めて考えてみたいと思います。
※劣等処遇とは、自力で生活する一番貧乏な労働者の生活水準を上回らない水準で救済するとする原則。我が国では、生活保護法(1950年)誕生前の救護法(1929年)の成立経過はその代表例。