【JIF2018】基調講演 通訳者の『解釈』とはなにか ~歴代大統領の通訳から得た学び~
Posted Sep 28, 2018
講演日時:2018年8月25日(日)9時半~11時
登壇者:鶴田知佳子 TSURUTA Chikako
東京外国語大学大学院総合国際学研究院教授、会議通訳者。NHK衛星放送、CNNなどの放送通訳者。上智大学外国語学部フランス語学科卒業、コロンビア大学経営学大学院修了。金融業界で10年の勤務経験の後に通訳者となり、目白大学助教授を経て現職。英語のほかフランス語、イタリア語も話す。
トランプ発言に頭を悩ませる通訳者たち
長年にわたり、放送通訳者として第一線で活躍する鶴田知佳子さん。これまでに、クリントン、ブッシュ、オバマ、そしてトランプ大統領の演説の放送通訳を担当してきた。
今回、基調講演にこのテーマを選んだ背景には、2017年に就任したトランプ大統領の存在がある。歴代の大統領とは異なる「規格外の」発言内容や言葉の選び方に、「どう解釈したらいいのか」「どう訳すべきなのか」と頭を悩ませる通訳者が少なくないというのだ。
そもそも、鶴田さんが「通訳者の解釈」について考えるきっかけとなったのは、2001年にソウルで行われた学会でフランス人翻訳者Marianne Ledererが話した内容だったそうだ。単純な固有名詞であっても、どこに注目して(=どのように解釈して)表現するかは、言語によって異なる。例えば、ワインのコルクを抜くときに使う道具は、日本語では栓抜き(栓+抜く)、フランス語ではtire-bouchon(栓+引っ張る)、英語ではcorkscrew(栓+ねじる)と呼ぶ。
このような解釈の違いは通訳においても同様で、発話者が使った慣用表現を、単純に別の言語に置き換えることはできない。通訳者は「発言を全体として捉え、何がimplicit(暗黙)に示されているか、何がexplicit(明白)に示されているか、その両方を考えて訳出する」必要がある。そしてもちろん、訳出した結果は、目標言語において過不足なく意味が通じるものでなくてはならない。
レトリックの巧みなオバマ、語彙が独特なトランプ
アメリカ大統領の演説と聞いて、年初に行われる一般教書演説を思い浮かべる人は多いだろう。鶴田さんは、2003年のブッシュ大統領からほぼ毎年、一般教書演説の同時放送通訳を担当している。
ブッシュ大統領の発言には間違いや失言が多く、当時はBushism(ブッシズム)などと揶揄された。続くオバマ大統領は、誰もが認めるスピーチの達人だった。「レトリックがとても巧みなので、通訳者にとっては非常に難解です。それでも、訳出して誇らしくなるような、格調高いスピーチでした」と、鶴田さんも絶賛する。
2009年に行われたオバマ大統領の一般教書演説には、文の冒頭で三つの要素が挙げられ、そのうちの一つがさらに三つに枝分かれしていくというような複雑なレトリックが使われていた。鶴田さんの通訳スタイルは、聞こえた順にどんどん訳していく「即応戦略」型のため、訳出には苦労したそうだ。「それでも、やはり話されている順に訳出したほうが、そのときの勢いや、スピーカーの言葉の力が伝わりやすい気がします」。
そして、いよいよ、就任以来さまざまな発言で絶えず物議を醸しているトランプ大統領が登場する。彼の言葉をどのように訳すかについては、日本のみならず、世界中の通訳者が頭を悩ませているそうだ。
では、具体的に何が問題なのか。トランプ大統領の発言の特徴として鶴田さんは次のように提示した。
◆トランプ大統領の発言の特徴
① 極端に短い文章
② 語句(フレーズ)のくり返し
③ シンタックス(統語)の破たん
④ 意味があいまいな多義語を多用
⑤ 独特な語彙
⑥ 文章の断片
⑦ 皮肉
「発話者と通訳者自身の間で、倫理基準の衝突が起きています。『聞き手は大統領の言葉を待っているのに、こんなことを言ってしまっていいのだろうか』と迷うのです。放送通訳の場合は画面の向こうに視聴者がいますから、ののしり言葉や不快感を与えるような表現をそのまま訳すべきかどうかも悩むところです。また、トランプはgoodやbadといった二元論的な用語を多用するので、何を意図しているのかをつかみづらい。自分が大好きで、最終的には自分に関する話に帰結するのも大きな特徴です」
発話者の意図はどこにあるのか
トランプ大統領の発言を検証するための具体例が、いくつか挙げられた。2017年1月の就任演説の中には、And whether a child is born in the urban sprawl of Detroit or the wind-swept plains of Nebraska …という一節がある。「子どもがデトロイトの街中で生まれようと、ネブラスカの草原で生まれようと」という意味だが、このDetroitとNebraskaという都市の対比にはどういう意図があるのか、同時通訳をしていた鶴田さん自身も理解できなかったという。
同年8月には、核開発やミサイル発射実験を続ける北朝鮮に対しThey will be met by fire and fury …と述べている。おおむね「炎と怒り」という訳で落ち着いたが、fireは果たして何を意味するのか。「戦争を意味するのなら、explicitに訳したほうが伝わるのかもしれません。でも、わざとあいまいな言い方をしているのだとすれば、通訳者が勝手にそのように訳してはまずいのではないか。そういうジレンマがあります」。
メキシコとの国境に建設するとした壁については、その費用を「アメリカは負担しない」と発言した。聞こえたとおりに訳出することは、難しくない。ただ、「メキシコは費用を支払わないと言っているのに、トランプはこんなふうに言ってしまうのか」と戸惑い、通訳しながら思考が止まりそうになることがあるのだという。
ほかに、トランプ大統領がSNS上で過激な発言をくり返していることや、sad、good、badなど「簡単ではあるが正確な意図を取りづらい語」を多用することなどについても検証された。「次から次へと新しい材料が出てくるので、現状は、毎日、どうしたらいいのか考えながら訳しているところです」と、鶴田さんは吐露する。
結局は「原発言を理解する」しかない
セッションのまとめとして、通訳者が役割を果たすために必要なことは何かが論じられた。
「まずは、比ゆ表現。修飾語を適切に訳出できているのか、言ったことを適切に捉えられているのかといったことが、通訳者の解釈には求められます。もう一つは、何を強調しているのかということ。それを適切に把握できていないと、同じ発言でも違うメッセージに受け取れてしまいます」
トランプ大統領の発言が、通訳者にとって悩ましいものであることは間違いない。例えば、起点言語にあるののしり言葉のバリエーションが、目標言語にはない。また、通訳者として、一国の大統領である発言者の「顔を立てる」必要はあるのか。その発言の中に登場する国や人々に配慮する必要はあるのか。画面の前にいる不特定多数の視聴者との折り合いをどう付けるべきか。放送局の規定や通訳者自身の品位を守りたいというジレンマもある。
「結局のところ、通訳者が理解できなかったことは伝わらないというのが大前提です。不特定多数の視聴者に伝えるには、まずは通訳者が原発言を理解することが必要。起点言語も目標言語も理解した上で、どうすればその表現を伝えられるのか。それを考えながら仕事をしていくことが肝心です。通訳を長く続けてきましたが、今後もさらに表現力、理解力を磨き、専門性を高める努力が求められていると思います」 トランプ大統領の発言に戸惑った経験のある人は多いと思うが、ベテラン通訳者でさえ、これほどまでに頭を悩ませていると知るのは興味深かった。一方で、発言に問題が多い大統領の登場は通訳者をさらに成長させ、その専門性を高める機会を与えてくれているのかもしれない。通訳というものは、決して終わりのない、じつにエキサイティングな仕事だと感じさせられた。