【第7回】通訳留学奮闘記~梨花女子大学校通訳翻訳大学院編~「もう何もかもやめたい」

34歳でハングル文字から韓国語学習をスタートさせ40歳を目前に韓国の通訳翻訳大学院(=通大)に入学した私が、「通訳のための海外留学」のリアルな実態をお届けします。

今回は「留学やめて日本に帰りたいと思った話」です。

スタートから波乱含みとなった冬休み

前回記事の最後に「気を引き締めて精一杯勉強していこうと思います!」などと鼻息荒く宣言していた私。そのまま2か月半の長期休暇へと突入したわけですが、初っ端から酷い風邪にやられてしまい絶不調でのスタートとなりました。

あれ? 何か身体の調子がおかしいぞ? と感じたのは、年末年始を過ごすために関東の実家へと向かっている道中でのこと。

到着した12月30日には熱が38度台まで上がり、31日には食欲を失い、年明けの元日には声をほぼ失いました(それでも発音矯正レッスンの先生は私の韓国語を聴き取ってフィードバックしてくださったのですから、さすがネイティブ)。

文字通りの「寝正月」。

それにしても久々の帰省が……まるで看病されに行ったようなもので、親には申し訳ないこと、この上ありません。

そこから何とか声だけは取り戻し、微熱と平熱の間を行ったり来たりしながらあっという間に1月中旬の渡韓の日を迎えることとなりました。

押しつぶされそうな不安

今回の冬休み期間中は、週に12のスタディ(勉強会)をすることにしていました。

ST(サイトトランスレーション)練習を7回、逐次通訳練習を4回、発音の矯正を1回、という具合です。

毎日シャドーイングを録音してスタディ仲間と共有する約束もしていました(互いの発音をチェックするわけではありませんが、相手に聞かれても恥ずかしくないレベルまで練習するためのモチベーションとして)。

このほかにも、語彙を増やすために単語帳を2回転させようか、新聞の社説は引き続き毎日読み込むとして、コラムを翻訳する練習もいいかも、溜まっていた小説の「積ん読」も解消して――などと妄想は膨らむばかりだったのですが、これらがすべて冒頭の体調不良でほぼ2週間分、吹っ飛んでしまったわけです。

やや焦り気味で再開した勉強、しかも未だ万全とは言い難いコンディション。

上手くいくはずがありません。

とはいえ、寝てばかりいるわけにもいかないので黙々と机に向かいました。もはや無の境地でした。

「語学学習に終わりはない」とはよく言うものですが、フィードバック(改善点の指摘)がゼロになることなどあり得ないことです。私のような発展途上の身であればなおさらでしょう。

週に1〜2回オンラインで受講しているマンツーマンの発音矯正レッスンでも、1文ごとに大量のフィードバックをいただきます。他の言語と同様、韓国語にも日本語に存在しない音が多数あり、日本語の発話向けに発達した私の口で韓国語の音を再現するというのはとても大変な作業なのです。

そんなある日のレッスンで、舌を歯に付けずに発音しなければいけない音なのに「舌が歯についているように聞こえる」という指摘を連続して受けたことがありました。

私の舌はどこにも付いていないのに、です!!

どうしたらいいのか、どうしたら正しい音が出るのか、まるで見当がつきませんでした。

思うように動かない身体、思うように動かない舌、相変わらず下手くそな自分、ひとりぼっちの部屋……。

このとき私の中で何かが「ポキッ」と折れてしまい、留学生活の中で初めて

「もう何もかもやめたい」

「日本に帰りたい」

と思ってしまいました。

毎日のSTスタディで、思うように訳出できないことへのもどかしさもあったのかもしれません(そういう挑戦的なテキストを選んだのは自分なのですが……なにぶん欲張りな性格なので)。

普段であれば「まあ、繰り返しトレーニングしていればいずれはマシにはなるさ」「マシになるまで練習すればいいのだ」などと気持ちを切り替えられたと思うのですが(今までもそうやって切り替えてきたのですが)、このときはそのような余裕が全くありませんでした。

――少しばかりマシになったとして、通訳に求められるレベルには死ぬまで到達できないのではないか。

――だとしたら、これほど苦しい思いをしながら練習する意義とは?

――そういえば2学期の成績もあまりよくなかった……(これは単に私が欲張り過ぎていただけなのですが)。

――3学期に入ったら同時通訳の授業が本格的に始まるのに、付いていけなかったらどうしよう。

――通訳は韓国語(と日本語)の上手い人がやればいいのでは。そもそも私ごときが目指そうとするのが間違いだったのでは。

このような考えばかりが頭の中で堂々巡りをして、悶々としていたのが2月中旬までの1か月間(長い!)でした。

救ってくれたのは結局「お金」だった?

そして忘れもしない、2月15日。このような陰鬱とした気分が一気に吹き飛ぶ出来事がありました。

ずばり「第3学期の授業料納付の案内」です。

梨花女子大学通訳翻訳大学院では、授業料納付の案内と一緒に「奨学金の給付有無」も発表されます。発表といっても、元々の授業料から奨学金の分が差し引かれた残額がこのくらいだから期日までに支払え、と通知されるだけなのですが。

3学期は助教(教授の補助役)をすることが決まっていたので、授業料が3分の1減額されるのは分かっていました(それ目当てで、教授からの打診に即答でOKしたのです)。

この3分の2にディスカウントされた授業料の金額を確認しようと、ポータルサイトで振り込み用紙を確認したところ……ん?

何か、もう一つ減額されている項目がある??

よく見るとそこには「優秀」の文字。

あっ、これは!

2学期の成績優秀者を対象とした奨学金!!!

え、ええええーーーっ!

正直、とてもびっくりしました。成績評定が下がったため絶対もらえないだろうと確信していた奨学金だったのです。

助教の1/3減額と、優秀者奨学金の1/4減額。

計算してみると……何と58%OFFの大バーゲン価格!

額にして約45万円の割引! 円安時代の救世主!!

これを見た瞬間、「このまま通っていいのだよ」「あなたはうちの学生だよ」と学校に言ってもらえたような気がして、気持ちがフッと軽くなりました。

現金なものです。やっぱり最後はお金なのか……。

* * *

というわけですっかり全快……とまではいきませんが、だいぶ元気になってきました。

3月からは新学期。大学院生活もいよいよ後半戦です。後悔のないように、最後まで諦めず全力を尽くして頑張りたいと思います。

玄関開けたらすぐ机、の我が住まい。孤独との闘いの場です。


中村かおり

韓日通訳者を目指すライター。マスメディア業界での記者・編集者生活を経て独立後、2018年1月の初ソウル旅行をきっかけに34歳で韓国語学習をスタートさせる。2020年秋から半年間、韓国・ソウルでの語学研修に参加。2023年3月から梨花女子大学通訳翻訳大学院(修士課程・韓日通訳専攻)にて通訳専門訓練中。