【第15回】柴原早苗の通訳ライフハックス!「心の不調と向き合う」

現役の通訳者の方、あるいは通訳の仕事に就くことを目指しておられる方の共通点は何でしょうか?それは「頑張り屋さん」であることだと私は思います。「勉強が好きで好奇心旺盛」「夢に向かって計画を立てて実行したり、細かいことまで丁寧に調べたりすることに喜びを感じる」というタイプが多いと思うのですね。向上心は尊いですし、謙虚になりつつ目の前のことに全力を尽くすことは、生きがいをもたらしてくれます。

ただ、物事というのは諸刃の剣だと私は考えます。なぜなら一人でしゃかりきに頑張り過ぎてしまい、心をくたびれさせてしまうこともありうるからです。私は他のコラムでカミングアウトしているのですが、境界性人格障害の実母との関係に長年悩まされています。出口が見つからず、私自身、心を病んだ経験もありますし、まだ解決したわけでもありません。今となってはもう無理であると半ばあきらめてもいます。そこで今回のライフハックスでは、そうした中、どのように対処しているかをご紹介します。参考になれば幸いです。

1.まずは休む

 心が疲れていると体も疲労困憊しています。「頑張れば何とかなる」とそれまでの若き日々の乗り切り方も、ある程度の年齢を超えると通用しません。よって、大事なのは「とにかく休むこと」。私の場合、幸い仕事への影響はなかったのですが、時間がぽかりと空いたり家にいたりする際、猛烈なメンタル下降に見舞われたのですね。そのようなときはこまめに横になる、早めに寝るなどして体を労わりました。

2.好きなことをする

 通訳の勉強をしていると、良い意味で我を忘れて没頭できますよね。その瞬間が楽しいのは良いことですが、ややもすると自分の趣味を後回しにすることはないでしょうか?私の場合、コンサートや美術鑑賞などが自分にとっての息抜きなのですが、「次の大型案件が終わるまでは我慢」と自分を抑えることがよくありました。しかもコロナでそうしたイベント自体が中止になってしまい、息抜きができなくなってしまったのです。よって、行き場がなくなったため、よけい仕事や勉強に逃げることを良しとしたのですが、その結果、心がカサカサになり気持ちが落ちました。以来、おいしいものを買ったり(←これもかつては「無駄遣いかも」と抑えていたほどです)、たとえ慌ただしくても美術展の日時指定チケットを入手したりして、「強制的に」好きなことをやるようにしています。

3.心身の不調が出たら専門医へ

 幼い頃から「自分さえ頑張れば」をモットーとしてきた私にとって、自分の不調や弱さを直視することは敗北につながる感覚でした。よって、「昔だって乗り切ったじゃない?だから今回も踏ん張れば大丈夫」と無理に言い聞かせていたのですね。でもそれを続けた結果、気分の乱高下が一層激しくなりました。実行に移さないまでも、よからぬ考えが頭の中をよぎったこともあります。さすがにこれはマズイと諦観して専門医へ行きました。幸い朗らかな先生と巡り会うことができ、お薬も処方されました。通院や投薬は「負け」ではありません。むしろ、「自分の弱さを認めることができた自分こそ、強いのだ」と今は言い聞かせています。

4.カウンセリングの活用

 専門医は主に症状を聞いて薬を処方するという位置づけですが、とにかく話を聞いてほしいというのであれば、カウンセリングをお勧めします。自分の周りに自分を全面的に信じて寄り添ってくれる家族や親友がいるなら、その人に相談するのも良いと思いますが、相手の都合などもありますよね。その点、カウンセリングはお金をこちらが払って話を聞いていただけるわけですので、気兼ねなく話せます。

 選び方としては、行政が行っている無料相談がまずは手軽かもしれません。一方、ウェブサイトで検索すると団体や個人カウンセリングなどがたくさんヒットします。大事なのは、通ってみて「自分とは合わないかも」という違和感を覚えたなら、やめて良いということです。有償無償を問わず、カウンセリングで気を遣うのは本末転倒です。カウンセラーとの相性もありますので、遠慮なく自分で決めて構わないと思います。

5.書く

 元々子どもの頃から手で文章を書くことが好きであったことから、今でもノートに日記をつけています。辛い時期は自分の思いをひたすら吐露しました。誰が見るわけでもないので、罵詈雑言(失礼!)も良いことにしたのです。そうでもしなければ、いつまでも「頑張り屋の自分」が自分を抑え付けて気持ちを開放することができないのですよね。手が痛くなるぐらい書きまくったことで、スッキリした経験は一度や二度ではありませんでした。

 ちなみにブログを開設して書くという方法もあります。同じ悩みの人とつながれる確率が高まりますので、励みになります。ただ、たとえハンドルネームであっても、細かいホンネまで書くのをためらうのであれば、自分のノートにとどめた方が良いかもしれません。

6.本やテレビで別世界に没頭する

 「読書療法」を勧めておられる寺田真理子さんは、現役の通訳・翻訳者でもあられます。ご自身がうつに苦しんでおられたころ、本を通じて立ち直る経験をされたことから、「読書療法」の活動に今は励んでいらっしゃいます。本は自分を別世界に誘ってくれるものであり、自分が感じている辛さから逃れることができるのですね。テレビやお芝居も同様です。「異なるワールドに身を置いてみる」ことで元気をもらえます。

7.「もし愛する人が私と同じ悩みに見舞われていたら?」と考える

 「苦しいのは私の努力が足りないから。だからもっと耐えて頑張ろう」というのが、かつての私のスタンスでした。でも、どれだけ努力しても好転しないことはあるものです。もう十分努力して心身ともにヘトヘトになり、擦り切れているというのに、それでも粘ろうとしてしまう。それは自分の心と体を偽って、自分を過信しているのと同じです。

 もし今、愛する人が自分と全く同じ境遇に置かれ、疲労困憊している状況にいたら、あなたはどう声をかけますか?「まだまだ頑張れるよ。努力が足りないよ。もっとしたたかになっていかなきゃダメ」「今まで耐えてきたんでしょ?その程度の忍耐力じゃうまくいかないよ」「立場上、あなたは耐えなきゃいけないの」と助言するでしょうか?

 自分の家族や親友、大切な人が苦しんでいたら、「もう十分頑張ったのだもの。よくここまで耐えてきたね」とまずはねぎらい、寄り添い、苦しい状況から脱することをみなさんは一緒に考えてあげるのではないでしょうか?

「自分の最大の親友」は自分です。どうか自分をないがしろにしないでくださいね。

 以上、今月は心の不調との向き合い方についてご紹介しました。冒頭で母が境界性人格障害であると書きましたが、この病は本人に自覚がまったくなく、世間から見た表向きは「良い人」であるため、なかなか外部からの理解を得ることができません。しかも本人のロジックが巧みであることから、弱い立場の者、すなわち家族間であれば「子ども」が被害を受けやすくなります。どうか一人で抱え込まず、専門家の助けを仰いでみて下さい。

 最後にひとつだけ。

 私は通訳業や講師の仕事を続けてきたおかげで、本当に本当に救われてきました。家族問題が苦しいころ、通訳予習に没頭することで辛さを忘れることができ、学生や受講生たちの笑顔からたくさんのエネルギーをいただいてきました。感謝してもしきれません。みなさんも、仕事が自分を励ましてくれるのであれば、どうか続けていってください。みなさんの心に安寧がもたらされることを切に願っています。


柴原早苗(しばはら さなえ)

放送通訳者。獨協大学非常勤講師。上智大学卒業、ロンドン大学LSEにて修士号取得。ロンドンのBBCワールド勤務を経て現在はCNNj、CBSイブニングニュースなどで放送通訳業に従事。NHK「ニュースで英会話」ウェブサイトの日本語訳・解説を担当。ESAC(イーザック)英語学習アドバイザー資格制度マスター・アドバイザー。通訳学校にて後進の指導にあたるほか、大学での英語学習アドバイザー経験も豊富。著書に「通訳の仕事 始め方・稼ぎ方」(イカロス出版、2010年:共著)、「英検分野別ターゲット英検1級英作文問題」(旺文社、2014年:共著)。