【第24回】柴原早苗の通訳ライフハックス!「ホントにマルチタスクで良いの?」

通訳の業務を依頼されると、私の頭の中ではボクシングのゴングが鳴り響きます。「さあ、準備開始!」となるわけです。準備項目だけでも実に沢山。単語リストの作成、登壇者のプロフィール下調べ、登壇者の著作や学術誌の記事探し、登壇者の講演が動画サイトにあればそちらのチェックなどなど。もちろん、当日の発表原稿やスライドがあればそれらもくまなく読み込みます。当該の仕事「だけ」に集中できれば良いのですが、大抵の通訳者はさまざまな仕事を兼任しています。私の場合は大学や通訳スクールの講師やコラム執筆。他の先輩・同僚通訳者の方々を拝見すると、会議通訳や放送通訳など多くを抱えておられるのですよね。

このような状況下にありますので、スケジュール管理はもちろん、体調を整えることも大事になります。無理をし過ぎて当日に調子が出なければ、100パーセントのパフォーマンスを発揮できません。寝不足では集中力が出ませんし、免疫が落ちて風邪をひいたり体調不良になったりすることも。あるいは、注意力散漫でケガに見舞われる、というケースもあるでしょう。アスリートのごとく、日ごろから仕事を意識しつつ、逆算して業務準備と体調管理をせねばいけないのです。

ただ、「大変だぁ!」と言いつつも、この仕事、アドレナリンが急上昇するため、実はその緊張感と業務終了後の達成感サイクルが心地よかったりもします。「今日も頑張った!よくやった、自分!!」と心の中でガッツポーズをしたくなることも少なくありません。おまけに「今まで知らなかった分野を、仕事のお陰で身近に感じることができる」という稀有な職業でもあるのですよね。

そんなわけで、通訳者というのは実は自分の仕事をこよなく愛し、使命感とモチベーションMAXで業務に励んでいます。「お客様のお役に立ちたい」という思いも強くあります。だからこそ、「あの準備も、この準備も」となっていくのです。時間がいくらあっても足りない、でも最大限がんばりたい、というわけです。

私の場合、このようにして「あれも、これも」と欲張りたくなってしまい、どんどん手を広げることが常態化しています。それは決して「苦行」ではなく、むしろ自分の限界を試すような感覚です。よって、最近に至るまではとにかくできる限り準備するということを心がけてきました。

しかし!

実はこうしたマルチタスク、効率的なようでいてかえって集中力が分散化されてしまい、自分が理想としているのとは異なる結果をもたらしていたことに最近気づいたのです。たとえば私の場合、「通訳準備をしつつ、通訳授業で使うスライド作成をする」などということがあります。単語リストを作りながら、「あ、そうだ、次の授業ではスライドに○○を盛り込もう」と思い出し、PCのフォルダからパワーポイントを立ち上げて・・・という具合。すると、通訳業務の単語リストはいったん中断となり、「ほんの少しの時間だけスライドを作ろう」と思っていたのが、今度はそちらに集中となってしまうのです。

しばらくそちらにかかりきりになっていて、ふと手帳を見ると、件の通訳業務は2日後であることに気づき、「あ、いけない。早く単語リスト作らなくては」と戻ることになるのですよね。「あれ?どこまで作成したっけ?どのトピックの単語リストだっけ?」などと思考をよみがえらせることで不要なエネルギーを使うことになります。

「忘れないうちに『気になる事』をやっておく」という姿勢自体を否定するつもりはありません。けれども、こうして自分の脳みそや思考があちこちに向けられてしまうと、どれも中途半端になってしまうのですよね。しかも頭の中はせわしなくなり、常に緊張状態であれこれ準備することになってしまいます。しかも、そのような状況下で準備したときに限って、通訳現場で準備不足を発見したり、通訳授業のスライドの校正が甘かったり、というケースも私の場合はありました。

マルチタスク、一見とても効率的に思えてこれまで続けてきたのですが、実はどうもうまくいかない。なぜだろうと改めて考えてみると、やはり集中力の中断が大きいようです。禅僧・川野泰周さんは著作の中で、

「やるべきことを十分にしなかった場合、自己肯定感が低下してしまう」

と述べておられます。準備不足に現場で気づき、「ああ、もっとちゃんと備えておけばよかった」という思いに見舞われると、それが自分へのネガティブ評価になってしまう、というわけなのですね。

私自身、マルチタスクをやめようと決意してから意識しているのはたった一つ:

「とにもかくにも締め切り順」

これだけです。締め切りが一番近いものから取り組んでいく。もし、その作業をしている間に「その先の業務」について色々と思いつきがあったら、とりあえずメモにざっと書いておき、頭の中をすっきりさせて、今目の前の仕事に集中するということです。

かつて私はマルチタスクを信奉したり、とりあえず取り掛かりやすいものから着手したりと変遷してきました。でも、「締め切り」を第一に考えるようになり、エネルギーの無駄遣いを減らせるようになったと思っています。

よろしければぜひお試しくださいね!


柴原早苗(しばはら さなえ)

放送通訳者、獨協大学非常勤講師。上智大学卒業。ロンドン大学LSEにて修士号取得。英国BBCワールド勤務を経て現在は国際会議同時通訳およびCNNや民放各局で放送通訳業に従事。2020年米大統領選では大統領・副大統領討論会、バイデン/ハリス氏勝利宣言、大統領就任式などの同時通訳を務めた。NHK「ニュースで英語術」ウェブサイトの日本語訳・解説担当を経て、現在は法人研修や各種コラムも担当。ツイッター(@Addington76)も日々更新中。