【第1回】ロンドン・メトロポリタン大学会議通訳修士コース編「コロナ禍に入学!」
「今、世界で起きていること、通訳者の役割をしっかり見ておくように。世界中の人達への情報の架け橋となること、それが私たち通訳者の使命です。」
2022年2月末、ロシアのウクライナ侵攻が開始された直後の授業で、最初に言われた言葉です。第二次世界大戦を前後して、国連やNATO、後のEUとなる国際機関が次々と設立されました。その大きな目的の一つが、国際平和です。同時通訳が世界で初めて公式に使用されたのも、1945年にドイツで行われたニュルンベルク国際軍事裁判であったと言われています。会議通訳者は、そういった国際機関の中でコミュニケーションの架け橋として、今日も歴史を支え続けています。そして欧州の通訳者養成機関では、そういった背景がカリキュラムにも深く反映されています。
今回から数回にわたって、いま私が学んでいる英国ロンドン・メトロポリタン大学(以下ロンドンメット)会議通訳修士コースの様子を書いてみたいと思います。
ロンドンメットの会議通訳修士課程には、毎年15〜20名ほどの学生が入学します。その年により言語ペアは様々ですが、英語、フランス語、スペイン語、イタリア語、ドイツ語、アラビア語、ロシア語、中国語、日本語などを母国語とする学生がいます。今年、日⇆英通訳を専攻している学生は私を含めて2人です。様々な言語の学生が一緒に授業を受けるのがロンドンメットの大きな特徴の一つです。授業の中では、多言語の通訳者がチームとなり、ディスカッション、共同でプレゼンの作成、模擬会議の企画運営などを進めて行きます。それはまさに、国際機関にずらーっと並ぶ通訳ブースさながらなのです。
コロナ禍に入学!
2020年コロナ禍の真っ只中、私はロンドンメットの会議通訳修士課程に入学しました。日本で大学を卒業してから長い時間を経て「出戻り学生」となったのです。私が初めて日本で通訳学校の門を叩いたのは、今から15年ほど前、20代後半の時でした。そこで紹介していただいた社内通翻訳のお仕事をしながら、しばらく通訳学校に通っていました。しかしその後、縁あってイギリスに移住。現地で大学職員として働き始め、もう日英通訳の仕事をすることはないだろうと思っていました。けれども近くに大学病院があったことで、医療通訳をする機会に恵まれ、それがきっかけで「もう一度きちんと通訳を勉強しなおしたい」と思うようになります。そんな時、イギリス在住で会議通訳者のグリーン裕美先生が主催するオンライン通訳講座グリンズ・アカデミーに出会い、通訳を基礎から学びなおすことに。それと同時に、ロンドンメットのコミュニティー通訳短期コースにも通学しました。そこでロンドンメットの熱心な講師の方々、カリキュラムの素晴らしさ、他言語の通訳者と一緒に学んだことが刺激となり、いつか同大学の会議通訳修士コースに進学できればいいなと考えていました。それが2020年初めのことです。ところがその直後、世界がコロナ禍に突入。思いもよらず在宅勤務となり、大学院の授業もオンラインに移行したことで「今しかない!」と、大学院進学を決めました。
モジュール構成
2020年10月からオンラインで始まった授業は、現在ハイブリッド形式へと移行しています。卒業まで残すところあと半年となりました(順調にいけば…)。私は仕事をしながらの学生なので、2年間のパートタイムを選択しています。ロンドンメットの会議通訳修士コースは、フルタイムの学生であれば1年間、パートタイムを選べば2年間で修士号を取得できます(注)。どちらの形態を選んでも、履修科目(モジュール)と最終的な取得単位数は同じです。会議通訳モジュールでは逐次通訳、同時通訳(いずれも両言語方向)、通訳理論、通訳者の職業倫理と仕事環境、国連とEUを想定した国際機関での通訳を学ぶモジュールがあります。またコミュニティー通訳モジュールの履修を選択することもできます。そして、会議通訳修士号取得を希望する場合には、修士論文の提出も必須です。修士論文を提出せずコースを修了することも可能ですが、その場合は修士号ではなく、ディプロマという卒業証明の取得となります。(注: 留学生の場合、1年間のフルタイム履修のみ可能)
大学院ならではの通訳学習
授業は多言語の学生どうしが一緒に受けると前述しましたが、それとは別に言語別のチュートリアルと呼ばれる授業もあります。逐次通訳、同時通訳とも自分の言語ペア(私の場合は英語⇆日本語)双方向のモジュールがあります。そのため多い時で週に4時間、自分の言語ペアに特化したチュートリアルが行われます。これにはかなりの予習・復習が必要です。それに加えて、学生は自分の選んだトピックや指定されたトピックについて、毎週5-6分のスピーチを作成することが課題となります。私の場合は、日本語と英語でスピーチを作成していきます。これは、逐次、同時通訳のモジュールを通して行われる作業となります。ここで作成されたスピーチは、学生同士で通訳練習に使用する教材にもなるわけですが、一番の目的は、各自がパブリック・スピーキングに慣れることです。個人的にキツかったのが、作成したスピーチを動画形式で提出しなければいけないことでした。しかも、自分がスピーチをする間、原稿を読んではいけないというルール。動画なので、原稿を読んでいるとすぐにバレてしまいます。自分で調べた内容について話すという単純な作業さえ、時間内にまとめるとなると、かなり話の構成や流れに気を配らなければなりません。この作業を通して、普段自分が話している言葉が、いかにいい加減かということも、嫌というほど思い知らされました。動画で撮影しているというプレッシャーも加わり、最初のうちは2分の動画作成に2時間かかるということもありました。しかし、こういった経験を通して、学生は自分の発する言葉に普段の何倍も意識を向けるようになります。トピックの事前リサーチで語彙や背景知識をつける、正確で簡潔な発話で伝える、動画撮影のプレッシャー。。。この課題は、まさに通訳者として必要な下地のトレーニングとなっていたと思います。
また、学期中は「Portfolio of Practice」と呼ばれる、毎週の学習内容と分析を記録していくことも課題になります。週ごとにフォルダーを作り、そこに自分が作成したスピーチの動画リンク、用語集、準備の参考にした資料、行った通訳練習の録音(または動画)、サイトトランスレーションの録音などをアップロードしていきます。特に重視されるのが、自分の通訳パフォーマンスを録音して聞き、課題を把握し、改善策を立てることです。この反省作業も動画で提出することが求められます。最初は「〇〇ができていて、よかった。XXはまだ改善の余地あり。」など1分程度で終わっていた動画が、週ごとにどんどん長くなっていきます。学生は、自分の通訳デリバリーと深く向き合い、課題を言語化して掘り下げて行くことで、改善するためにどのような対策をとったらいいのか、じっくり分析をすることを学んでいきます。同じように、模擬会議や、自分が実際に通訳した案件でのパフォーマンス分析もあります。受注の段階から通訳が終了するまで、どのように準備したか、本番中の取り組み、反省までを3000語のレポートにして提出する課題もありました。こういった作業には多くの時間と忍耐を要しますが、大学院ならではの貴重な学習体験だったと思います。
次回は、コロナ禍を経て、ロンドンメットの授業やカリキュラムにどのような変化があったか、ハイブリッド形式の授業の様子などを書いてみたいと思います。
渡辺有紀 Yuki Watanabe
2020年よりロンドン・メトロポリタン大学会議通訳修士課程に在籍(2022年9月卒業予定)。日本で大学卒業後、短期語学留学を経て日本で社内通翻訳を経験。2013年に渡英。現地企業で勤務後、通訳者として再挑戦すべく大学院へ進学。