【第3回】この台詞に注目! 映像翻訳の楽しみ方『その道の向こうに』

映像翻訳者の松本陽子です。配信作品を中心に字幕翻訳と吹替翻訳を手がけています。映画を見るのが大好きで、2022年は映画館で190本ほど鑑賞しました。動画配信サービスでも多くの作品を見るなかで、すばらしい訳に出会い、「この見事な技術を身につけたい」と思ってきました。そんな日本語訳を、ご紹介します。

第3回の作品は『ミッドサマー』などのA24が製作した映画で、字幕翻訳は伊藤美和子さん、吹替翻訳は野口尊子さんが担当しています。

Causeway — Official Trailer | Apple TV+ ※予告は英語字幕版のみ

ジェニファー・ローレンスが演じる主人公のリンジーは、アフガニスタンから故郷ニューオーリンズに戻ってきたばかりの帰還兵。まだ心身ともに傷ついた状態なので、元の環境に適応するのに苦労しています。ある日、自動車整備士のジェームズ(ブライアン・タイリー・ヘンリー)と出会い、2人の交流が始まります。

さて今回取り上げるのは、実家にいるリンジーが母親と今後のことを話すシーン。母親は、娘が地元で仕事を探して、この家で暮らしていくと思っています。しかしリンジーは、一時的に帰ってきただけで、長居するつもりはないと伝えます。母親はリンジーがなぜ出ていきたがるのか理解できず、こう言います(36:10)。

原文)You’re here for a visit, so visit.

字幕)他人行儀がいいわけね

吹替)お客のつもり? じゃ、それらしく接する

直訳すると「あなたはこの家にお客として来たってことね。じゃあ、お客さんとして扱うことにする」です。お気づきのとおり、直訳に比べて原文はかなり短いので、工夫する必要があります。

字幕では、「他人行儀」という言葉を使って、原文のニュアンスを上手に伝えています。母親がリンジーのよそよそしい態度にいら立っていることが、この短い文章で分かる、すばらしい字幕です。

吹替では、ほぼ直訳のまま訳出されています。この部分の映像は、話者の口の動きが映っていないため、口の動きよりも後半の「so visit」のニュアンスを出すことを優先しており、これも見事な翻訳です。

こちらはR15+指定作品となっていますが、戦場や悲惨な出来事の回想シーンは一切ありません。登場人物たちの身に何が起こったのかは、それぞれの口から静かに語られるのみです。だからこそ、ジェニファー・ローレンスやブライアン・タイリー・ヘンリーの表情や仕草、台詞に思わず引き込まれます。決して派手な作品ではないですが、とても丁寧に作られています。紹介したもの以外にも勉強になる台詞がたくさん出てきますので、ぜひ見てみてください。

次回もどうぞよろしくお願いいたします。

『その道の向こうに』Apple TV+で配信中

字幕翻訳:伊藤美和子さん

吹替翻訳:野口尊子さん


松本陽子(まつもと・ようこ)

大学卒業後、レコード会社や映画配給会社に勤務。アメリカに1年留学後、レコード会社で働きながら映像翻訳学校で学び、退職後はフェロー・アカデミーのアンゼたかし氏のゼミに通う。2017年から英日の字幕と吹替を手がける。Twitter