【第17回】社内通訳の世界

中村いづみさん

update:2016/12/01

私は現在フリーランスの通訳者ですが、過去に数多くの企業で社内通訳をしてきたことから、「社内通訳とは」というテーマでコラムを書いてほしいという依頼をいただきました。多様な通訳業界の中で、私が経験したこと、また他の通訳者から聞いた話などもふまえて、社内通訳とはどのようなものなのか述べたいと思います。社内通訳に特有でない事例もありますし、また、同じ企業でも、通訳体制やニーズが変わることもあるので、あくまで個人的な経験に基づいた内容になります。

通訳者になった経緯

予備校で国語科講師を勤めた後、日本語教師に転向するとともに英語教授の資格を取得しました。日本語・英語教室を経営する傍ら、生徒さんの事業やNPO等で通訳を経験する機会があったことから通訳という仕事に興味をもちました。そこで様々な派遣会社に登録をして通訳ポジションを探したところ、運良く自動車メーカーの社内通訳者として採用されたのです。その後、別の製造業での通訳・翻訳者を経て、ヴァレオというフランスの自動車部品製造会社の社長付通訳、マクドナルドジャパン、IBMジャパン、ボシュロム・ジャパンの社長付通訳、小売のイオンでの役員付通訳を経験しました。

社内通訳とは?

社内通訳といっても様々な形態があります。雇用形態だけの話ではなく、プール制か、部署付きか、個人付きか、社内通訳者は一人のみなのか、他の社内通訳者と組んだり、フリーランスと組んだりする機会があるのか、さらにはブースの有無、日英・英日の割合などです。

私の場合は、月に一週間ほど国内出張に行ったり、数ヶ月に一回海外出張があったりと、移動頻度の高いポジションが多かったように思います。社内通訳者が一人の場合、結果的に長時間通訳することもある反面、多様な通訳経験ができることもあります。学会中の講演などを訳す機会が多くあったのは後に役に立ちました。一方、パートナーと組む機会が日常的にある場合は、パートナーとの働き方を学べますし、組んだ通訳者から学ぶことも多くあります。

社内通訳とフリーランスの違いはあるか?

個人差があると思うので一概には言えません。社内通訳の場合は、例えば、ある講演の通訳をすることになっている場合、プレゼン資料の準備のための会議で通訳をしたり、本番までに演者と何度も打合せをしたりする機会もあるかと思います。

フリーランスの場合は、同じ会社に勤務しているわけではないので、仕事をする場所もほぼ毎日違いますし、対応する案件も日々様々です。スピーカーとの打ち合わせがないこともあれば、あっても短時間ということもあります。社内通訳者の場合は、雇用条件によって若干の差はあるかもしれませんが、月曜日から金曜日の9時?17時など勤務時間が決まっていて、勤務時間の中で会議準備をするのが基本です。

それに対しフリーの通訳者は、案件の拘束時間外に準備をすることが一般的ですが、仮に月曜日から金曜日まで毎日終日案件を入れたとすると、案件終了後の夜や週末に準備をすることになります。

また、案件が終わった17時頃から国内外のエージェントさんとのメールのやり取りが発生することも多く、繁忙期になるとそれが夜中まで続くこともあります。私は社内時代、自分でカレンダーを管理したことがありませんでしたが、自分で全て管理する身になって、秘書の方々の有り難さをひしひしと感じています。

社内通訳者時代のびっくりエピソード

ある講演の5分間のオープニングスピーチの英日逐次通訳と講演の日英同時通訳をするため、会場にタクシーで移動している時でした。そのタクシーの中で、オープニングスピーチ担当者がスピーチ原稿を修正し始めました。英語の修正内容を私が電話で本社の広報担当に連絡し、開会の20分前にやっと日本語版が完成したのですが、会場に到着して着席した後、オープニングスピーチを3分以内に短縮するよう要請がありました。

すでに開会数分前でしたから、やむを得ず私が英日原稿ともに省略する箇所を決めて乗り切りました。これには肝を冷やしましたが、社内でこういったハプニングに数多く遭遇しているので、フリーランスの案件中でもそれほど驚くことはありません。

そのほか、変わった体験といえば、英語で映像のボイスオーバーをしたり、株主総会の質疑応答の時だけ舞台裏にまわり、急遽ピンチヒッターとして、登壇者の前のスクリーンに表示される質問の英文タイプをしたりしたこともあります。

インハウスで経験を広げるには?

最初に通訳のポジションを得たのは自動車業界でしたが、そこから徐々に業務の幅や業界を広げていきました。短期契約で製造業での品質管理に関する通訳をしながら、大手米自動車メーカーのサプライヤー・クオリティマニュアルの英日翻訳や日本企業の品質規定の日英翻訳をしたのも、通訳につながる知識を得る良い機会でした。そこから会社の全部署の通訳をするポジションに移行し、フランス、韓国、中国、イタリア等の社内外との製造交渉に関わったり、取締役会、民事再生申請した取引先との商談に入ったりということもありました。

他に社内通訳者がいる場合は、パートナーとの連携の仕方、様々な通訳スタイルを実地で学ぶこともできます。会社によっては、入社したての頃は、経験のある他の通訳者と組めるように配慮をしてくれたり、会社や製品などについてトレーニングの機会を設けてくれたりする場合があります。15cmもの厚みのある医療マニュアルを読んだり、手術の映像を見ながら説明を受けたりしたこともありました。食後、時間をあけてから手術映像を見に来るようご配慮いただきましたが、幸い気持ちが悪くなることはありませんでした。

知事をはじめ産学官のトップの講演、記者会見、決算発表、株主総会、学会中のセミナーなど、社外で開催される大きな案件に参加できたことも幸いでした。会場が変わると、音響設備や環境も異なるため、通訳者の位置などを事前に慎重に確認することが重要であることなど、毎日異なる場所に行くフリーランスの案件でも役に立つことを多く学びました。

社内通訳者でもフリーランスでも、通訳者として機会を広げるには、絶え間ない挑戦しかありません。私は長年ピラティスをしていますが、経験・コンディション、得手不得手が一人ひとり違いますし、できる動きやできない動きも人により様々です。ピラティスでは、その違いを考慮しつつも、個々の弱み強みを活用し、日々の練習によって可動域を少しずつ広げていくように指導されます。この点が、通訳の仕事と似ているなあと思いながら毎日トレーニングをしています。

中村いづみさん

Profile/

会議通訳者。日本語教師・英語教師として自らの教室を運営した後、通訳者に転向。マクドナルド、IBM、ボシュロム、イオン(小売)、自動車・製造業等での社内通訳を経て、独立する。医療機器、製薬、技術、エンターテイメント、アカデミアなど幅広い分野で活躍。