【第2回】IR通訳とテニス
丹埜段さん
10年間のサラリーマン生活を経ての転身
私は通訳者として、少し変わった育ち方をしてきました。
10年間のサラリーマン生活を経て、通訳者に転向しました。通訳学校に行きはしましたが、たった半年。しかも、生来の飽きっぽさも手伝って、その半年間すらあまり熱心に通っていません。大手通訳エージェントへの登録をモタモタと進めている内にたまたま縁があってインハウス通訳者になりました。自身がエージェントとしての顔を持った今では、大手通訳エージェントといくつかの接点がありますが、通訳者としてはほとんどありませんでした。
先輩通訳者との関係についてはどうか。通訳者になった当初からの通訳者の友人・知人はいますし、通訳者としてリスペクトしている人もいますが、「大先輩として憧れている」的な存在の通訳者は私にはいません。
そんな自分、つまり、通訳学校からも、通訳エージェントからも、先輩通訳者からも距離を置く自分を育ててくれたもの、それがIR通訳です。今回の記事では、私にとって大事な存在であるIR通訳について書かせていただきます。
Q&Aの通訳
IR通訳の最大の特徴、それは「Q&Aの通訳である」ことだと感じています。
通常のプレゼンやスピーチであれば、話し手が会場に向けて主に一方向で話をします。そのようなスタイルのIRミーティングもありますが、ほとんどの場合、IRミーティングはQ&A形式で進みます。
IRミーティングのよくある始まり方は:
日本企業:「本日はお時間をいただき、どうもありがとうございます。今日はどのように進めましょうか。まず弊社の方から概要といいますか、最近のアップデート的なことをお話しした方がいいのか、あるいはもう最初からQ&Aで行きましょうか。」
海外機関投資家:“Thanks. I’m quite familiar with your company, I’ve read the brokers’ reports(*証券会社のアナリストが書いた、その企業に関するリサーチ・レポート), and have prepared a list of questions. So, can we jump straight into Q&A?”
こうしてQ&Aが始まります。
QとAは、それぞれ1つずつで1セットです。
が、1セットで独立して完結することはほとんどありません。
例を見てみましょう。
Q: “What are your views on the current competitive environment? What are your peers doing?”
A: 「弊社の最大のライバルであるドイツのX社は、もっぱら価格を下げることでシェアを取りに来ています。それに対し我々は製品のクオリティを向上させることで対抗しています。」
上記Aは、その直前のQを受けての回答ですから、もちろんQと密接に関係しています。興味深いのは、そのAを受けた投資家が次に発するQが、そのAの影響を大きく受けていることが多い点です。
Q: “OK,,, and how exactly are you improving your quality? I mean, what’s the key differentiating factor between you and Company X in terms of product quality?”
それに対し再び日本企業がAを考え、発言します。
つまり、IRミーティングにおける会話は、延々と続くテニスのラリーと似ています。一打目となるサーブ(投資家の最初のQ)だけが独立して存在していて、その後の全てのA→Q→A→・・・は互いに密接に関係しています。そして、そのような流れの中を複雑に進むQ&A、その通訳こそがIR通訳です。
かみ合わないQ&Aの要因
投資家が発するQは、その投資家が持っている仮説に基づいています。
投資家は、その企業、その業界、あるいはアベノミクスや日本そのものなど、ミクロからマクロまで実に様々な「ああじゃないか?こうじゃないか?」といった仮説を持っていて、それを検証するためにIRミーティングをリクエストします。
一方、日本企業の側はどうか?
特に私が最近専門にしているディール案件(IPOや公募増資)においてそうですが、その企業のマネジメントの方々がなんとしても投資家、ひいては世の中に伝えたいストーリー(Equity story)があります。そのストーリーが正しく、かつ説得力をもって投資家に伝われば、資本市場における株式の購入・保有につながり、ディールが成功します。
そう考えると当たり前ですが、QとAがかみ合うのがベストです。でも、残念ながらQとAがなかなかかみ合わないこともしばしばです。
QとAがかみ合わないとき、その一番の原因は何か?
投資家の質問が分かりにくい、回りくどい、前置きが長い、アクセントがひどい、あるいはそもそもその企業にあまり興味が無いからでしょうか。
そういうこともあるでしょう。
もしくは、日本企業の担当者が、分かりにくい、回りくどい、結論をなかなか言わない、あるいははなから答える気など無く、お茶を濁そう、逃げようとしているからでしょうか。 そういうこともあるでしょう。
でも、IRミーティングでQ&Aがかみ合わないほとんどの場合、その責任は通訳者にあると思っています。これは自分の通訳を振り返ってもそうだし、自分以外の通訳者が通訳する場を無数に見てきたことを振り返ってもそうです。
IR通訳がQ&Aの通訳である以上、「上手なIR通訳」とはどのような通訳かを考えた場合、一つの答えとして「QとAをかみ合わせる通訳」があると思います。
なぜ、一部の通訳者は投資家や日本企業からとても喜ばれ、「ぜひまたあなたと仕事がしたい」と言われ、実際継続的に指名が舞い込むようになるのか。中には通訳経験が浅いのにそのような境地に行っている人もいます。それはなぜか。
「QとAをかみ合わせる通訳」をしているからだと思います。
その一方でなぜ、通訳が上手とされ、もちろん実際に上手なのであろうベテラン通訳者が、ことIR通訳においてはなんだか鳴かず飛ばずのまま他の通訳分野に「卒業」していくことがあるのか。「QとAをかみ合わせる通訳」をしないからだと思います。
IRミーティングを成功に導く通訳者とは?
IRミーティングは、一見定型的なようで、実は無限の広がりを持っています。
それもそのはずで、世の中にはいろいろな投資家、いろいろな企業が存在し、それぞれがいろいろなQ、いろいろなAを発します。そんな、常に変化し続けるQとAをかみ合わせ、IRミーティングを成功に導くお手伝いが出来るのはどんな通訳者かというと、そのミーティングという「場」、その参加者、そしてその一つひとつのQ、Aの流れと変化に合わせ、自分の通訳スタイルを自在に変化させられる人だと思います。
そうした変化を拒絶、あるいは無視し、あくまでも自分の通訳のスタイルを貫くのは、ある意味カッコイイし、ちょっと憧れますが、そのやり方でIRミーティングの参加者を喜ばせるのは難しいと思います。私の頭の中でもそう思うし、実際に世の中で起きている現実を見てもそう思います。
いいIR通訳とは、通訳学校、通訳エージェント、先輩通訳者、そしてこれまでの自分の経験に基づき構築されてきた通訳観を捨て去り…。いや、捨て去らないまでも一瞬ちょっと脇に置いておき、その場で求められているスタイルや動き方を
- 瞬時に察知し、
- それを上手に提供することで、
- QとAをかみ合わせ、すばらしいラリーを生み出す通訳のことをいうのだと思います。
そしてそれは、能力の問題でもありますが、それ以上に意志・意欲の問題だと確信しています。
丹埜段さん
Profile/ IR通訳会社アイリス代表。10年間のサラリーマン生活を経て、2008年に通訳者に転向。数カ月フリーランスを経験した後、インハウスのIR通訳者として野村證券に入社。3年間、海外の機関投資家に同行して日本国内のあらゆるセクターの上場企業を回り、約1,500件のIRミーティングの通訳を行う。2012年に独立し、IR通訳に特化した通訳会社アイリス(IRIS)を設立。引き続き海外投資家との国内案件を行いつつ、2013年からは日本企業に同行して海外を回るIRロードショーに注力し始める。2014年には、1兆円弱のエクイティ・ファイナンス(IPOやPO)に通訳者として参加。