【第21回】イギリスの通訳業界事情

坂井裕美さん

update:2017/03/28

皆さん、初めまして。わたしはロンドン在住の英日通訳者で坂井裕美(ひろみ)と申します。働きながら大学院の会議通訳コースにも通っています。小・中・高校生の3人の子どもを持つ年季入りのおばさんではありますが、通訳歴はまだ4年半です。

つまり、わたしも今、流行り(と勝手に決める)の「中年過ぎの通訳者デビュー」だったのです。それ以前は18年間、専業主婦をしていました。専業主婦業も大好きでしたが、通訳業を始めてみると「こんなに楽しい仕事をなぜもっと早くから始めなかったのか」と少し後悔しています。

わたしは日本の通訳業界の事情をよく知りませんので、この記事では両国を比べるというよりもロンドンを中心にしたイギリスの通訳業界の事情を、わたしの知っている範囲でお伝えしようと思います。

わたし自身は、通訳者生活4年目に入った昨年あたりからブースでの同時通訳や国際会議の案件も少しずつ入ってくるようになり、そろそろ自分を「中堅」と呼んでもいいかなと思っています。しかし悲しいことに、わたしの見る限りではイギリスの中堅通訳者には仕事が十分に回ってきません。以前、東京でお会いした通訳者さんたちは、フリーランスとして独立してから2~3年程度の方でも皆さん「毎月スケジュールはほぼ埋まる」と仰っていたので、「やはり東京とロンドンでは通訳の需要量が全く違う」とうらやましく思ったものです。社内通訳者の需要もロンドンにはほとんどありません。自動車メーカーなどの社内通訳者を必要とするような日系企業はほとんど地方にあるからです。

イギリスは、EU単一市場から完全に離脱する強硬Brexitの茨の道を進むことになりそうです(涙)。そうなると一時的には特需があるかもしれませんが、中・長期的にはイギリス内の日系企業の数や規模は減少し、イギリス国内での英日通訳者需要はさらに少なくなるかもしれません。

しかし、逆にヨーロッパ本土での英日通訳者の需要が増えることも考えられます。現状でも、イギリスでは全案件中に占める海外出張の割合が日本と比べても高いように感じます。これは、最近、ヨーロッパ本土の企業で従業員が多国籍になり、会議で英語が使われることが多くなっているからです。わたしも平均すると月に1回程度は海外出張をしている計算になります。通常は海外といっても飛行機で1~3時間のヨーロッパ本土が多いのですが、イギリスを含むヨーロッパからであれば、中東やアフリカへの出張さえも日本から渡航するのに比べれば遠くありません。わたしも昨年はドバイ、カタールのドーハ、ケニアのナイロビに出張する機会があり、とてもいい経験となりました。

そのような海外出張の案件は、日系以外のエージェントから頂くことが多いのですが、駆け出しのころの問題は登録方法でした。というのも、イギリスを含むヨーロッパのエージェントは必ずと言っていいほどreferee、つまり推薦者を二人あげるよう要求してきます。推薦者は、別のエージェントの社員、他の通訳者、クライアントのいずれかである必要があり、さらにはその通訳者との仕事上の付き合いが2年以上ある人、という条件がつくことが多いのです。このような事情から、わたしがヨーロッパの通訳エージェントに登録できるようになったのは、ようやく昨年あたりからでした。

しかし、登録できたからといって安心ばかりもしていられません。
世界中どこでも同じかもしれませんが、ヨーロッパの通訳エージェントの中にも評判の良くない会社が少なからずあるからです。わたし個人の経験から言うと、大手だからといって必ずしも信頼できるわけではなく、組織全体として質が低い仕事をするケースもあるように感じます。そういうエージェントからは、通訳形態・環境の確認や資料請求など、本来エージェントが当然行うべき業務はほとんど期待ができません。それどころか、最初は通訳者に受けてもらえそうな条件を提示して、通訳者が案件を引き受けた後から五月雨式に条件を悪くしていくという詐欺まがいの手法を取っている会社もありますので注意が必要です。ただし同時通訳者の人数に関してだけは、エージェントの質に関係なく丸一日の案件でも2人体制が普通であり、通常ですと3人体制は期待できません。ヨーロッパの言語間だとそれで問題がないからでしょう。

ネガティブな内容が続いて恐縮ですが、他にも昨今のイギリス通訳業界において私が心配している傾向があります。一つは主に医療・医薬品分野における1~2時間の電話での一人同時通訳案件の増加です。しかも料金体系が半日・全日ではなく1時間いくら、なのです。さらにときにはそれがインターネット上のライブストリームでどこかに配信される(そしておそらく無断で録音もされる)こともあるようなので、わたくしはこの手の案件は一度も引き受けたことはありませんし、誰も引き受けるべきではないとすら思っています。

もう一つは、ブースを使わない同時通訳案件の増加です。先日、同時通訳付きの小規模の国際会議があり、わたしは日本人参加者へのウィスパリングと逐次通訳を担当したのですが、なんと同時通訳設備は普通の机とパナガイド(のドイツ版)のみでした。もちろん通訳ブースはありません。さらに極端なケースになると、「パナガイド類は通訳者が持参してほしい」と言われることさえあります。この好ましくない傾向は日本でも広がっているのでしょうか?

ここで突然話題が変わり、イギリスにおける通訳の資格について少しお話しします。日本同様、イギリスにも会議通訳の国家資格はないのですが、コミュニティー通訳(イギリスではパブリックサービス通訳と呼ばれます)の資格が2種類あります。どちらも国が認めるDiplomaです。

一つは医療機関、法廷、警察、移民局などで幅広く通訳する資格を得られるDiploma in Public Service Interpreting (DPSI)、もう一つは警察と司法の通訳に特化したDiploma in Police Interpreting (DPI) です。試験準備のためのコースもあり日本語でも受験可能ですが、各言語の最低受験者数が3人ですので、需要の少ない日本語の試験が行われることは稀なようです。ただし、これらの資格があれば国の通訳者名簿に名前が載りますので、それを通じて一般の通訳案件の問い合わせも来るようになるとのことです。

最後に、イギリスの通訳学校事情について簡単に触れておきます。
現在、イギリス国内で日←→英の通訳技術を習得できるのは、わたしが在籍するロンドンメトロポリタン大学大学院の会議通訳コースのみです。このコースの講師陣は全員が現役もしくは元の一流会議通訳者で、非常に優秀かつ熱心です。教室内には本物の国際会議仕様のブースがいくつもあり、多言語リレーを想定したコンソールが使われていますので、これに慣れてしまえばどんな国際会議に行っても、少なくとも機材の扱いで困ることはありません。生徒が多国籍のため授業中にはリレー通訳のチャンスが多くありますし、授業時間以外にも無料でブースを借りて練習することができます。

ちなみに、ヨーロッパにおける通訳訓練の場では、逐次と同時の練習を同時期に始めるのが一般的のようです。日本のように逐次を極めないと同時の勉強に進めないということはありませんし、同時の方が逐次より難しいとも思われていません。

さらに付け加えれば、同時通訳の訓練では「単語の奴隷になるな」と教え込まれます。日本では出てきた単語はできる限り訳出するように訓練されると聞いていますが、ヨーロッパでは違います。話し手の言いたいことの肝を伝えるのが通訳者の仕事であって、訳さなくても意味に違いの出ない単語やフレーズは必ずしも訳さなくてもよいと考え方です。ですから違うタイプの訓練を受けた通訳者が同じブースに入ると、それぞれの訳出量がかなり違うこともあります。聞き手によっては、ヨーロッパ式の訳出を聞いて「原発話に対して訳出が少ない」と不満に思う人もいるでしょうし、逆に日本式を「言葉の洪水で結局何を言っているのかわからない」と感じる人もいるはずです。聞き手にとって最も良い訳出法とは何なのか、これはわたしたち通訳者の永遠の研究課題ですね。

以上、イギリスの通訳業界事情について思いつくままを書き留めてみました。あくまでもわたし個人の印象です。この他にも、添乗員付き団体研修旅行の通訳の特異性、法廷通訳手配やテレカン(電話通訳)の料金設定の問題点など、話題はいろいろあるのですが、紙面の都合でまた次回(があれば)にさせていただきます。この記事を読んでくださった方々と、いつかどこかの会議場のブースでご一緒できたら大変うれしく思います。

坂井裕美さん

Profile/

英国在住のフリーランス英日通訳者。小・中・高校生の3児の母。一般事務職、外資系企業社長秘書、証券会社社内翻訳、および長い長い専業主婦時代を経て現在通訳者生活5年目。それと同時にロンドンメトロポリタン大学大学院会議通訳科の熟年学生でもある。

好きな通訳の分野は、IR、医薬品、インフラ、舞台芸術。通訳業と舞台芸術鑑賞が自分のライフワークだと信じている。英国翻訳通訳者協会正会員。