【第26回】表敬訪問の通訳

山下朗子さん

update:2017/09/01

過去の連載にはフリーランス通訳者の方からの投稿が多いですが、私はインハウスでの通訳経験が比較的長く、現在も企業の社内通訳です。今回は直近まで勤務していたある自治体での経験をもとに、海外の賓客をお迎えする場面での通訳、というテーマをメインにお届けします。

私は学生時代の海外滞在経験もなく、社会人になって通訳学校に通い始めるまでは通訳者になろうとは考えていませんでした。ただ、英語は好きだったので、20代後半に「一生続けたい仕事は何か」と改めて考えた際に通訳が頭に浮かび、仕事の傍ら週一で都内の学校に通い始めました。ビジネス英語のクラスからスタートした後に通訳クラスに進級し、合計で9年かけて卒業しました。今日まで英語を話す生活環境になかったことは、自己責任もあるものの、通訳を目指す者としてはあまり恵まれていないなぁ、と思うこともありますが、それでも今通訳を生業とし、好きな仕事を続けられることを幸運に思います。

通訳は努力が報われる仕事だと思っており、数々の失敗をしてもその度に持ち直して今日も継続できているのは、この信念が故です。自分の限られた経験からではありますが、このコラムが、異なる環境で日々努力していらっしゃる皆さま、特に通訳の仕事を始めたばかりの方や勉強中の方にとって少しでも参考になれば幸いです。

表敬訪問(Courtesy call)について

私が市役所に勤務したのは、夫の転勤で地方に滞在した4年間のうち、後半2年でした。直前の雇用契約を終えるタイミングで、折よく通翻訳専門嘱託職員の公募を見て応募し、面接と逐次通訳の試験を経て採用となりました。自分では不出来だと思っていたので、後日お褒めの言葉を頂いた時には驚きましたが、市長の通訳は全部自分が担当すると言われた時にはもっと驚きました。

一番多かったのが表敬訪問の通訳です。私のいた市役所は市内に総領事館が多いこともあって、各国総領事による市長への訪問が一番多く、他に大使や海外都市の市長、省庁・国際機関・企業の代表が、着任挨拶や行事協力へのお礼といった機会に庁舎を訪れます。その場面で私は市長や副市長など市側の発言を、日本語から英語に通訳します。

庁舎には賓客をお迎えする専用の公室があります。白熱灯の大きなシャンデリアがとても熱く、フォーマルな雰囲気にも圧倒され、緊張の汗とともに焼かれる思いでした。ゲストとホストはテーブルをはさんで向かい合い、隣にそれぞれの通訳者が座ります。これも少し驚いたのですが、通訳者はゲスト・ホスト両方に各々付きます。通訳は全て逐次。シーンとした部屋に逐次通訳の自分の声が響く…はずなのですが、最初の頃は緊張で声が通りません。少し離れた席に座っていた部長に、「聞こえなかった」と指摘を受けたこともあります。

私が日英、ゲスト側の通訳者が英日(英語以外の場合もあり)に訳します。ゲスト側が通訳者を手配出来ない場合は、私が英日・日英両方の通訳をすることもあります。ゲスト側の通訳者は、インハウス(領事館の職員や社内通訳者)とフリーランスの場合が半々くらいだったように思います。同じフリーランスの方と別の表敬で再度ご一緒したこともありました。

表敬訪問は大方30分程。基本的な流れは決まっています。

  1. 司会がホスト側出席者を紹介
  2. 市長挨拶
  3. 来賓側の挨拶&出席者紹介
  4. 歓談
  5. 記念品贈呈
  6. 記念撮影

私は3を除く全部、先方通訳が1、2を除く全部を通訳します。2の市側挨拶には日本語の挨拶原稿が事前に用意されていたので、自分用に英訳していましたが、実際当日はアドリブが入ったり、原稿と全く違ったりということもありました。一方外国からのゲストが原稿を読むケースはまれでした。

パフォーマンス向上のために

現場での緊張をどう制御すれば良いだろう。駆け出しのある時、来賓の通訳者に、不安丸出しの表情で「新米ですが、よろしくお願いします」とご挨拶しました。そう言えば自分の気持ちも落ち着くかな、と思ったのです。逆効果でした。自信のなさをかえって自分自身に言い聞かせてしまうことになり、その後の通訳が、たどたどしい蚊の鳴くような声になってしまいました。そこで、「ネガティブな気持ちを声にするのは辞めよう。不安はあるけれど、せめて本番になったらそれを心配するのはいったん休みだ」と決めました。以降、以前よりも落ち着いたふりをできるようになりました。

我ながらうまくいった、と思うこともあります。初めてから1年以上経ち表敬訪問にもだいぶ慣れた頃、某国際機関の事務総長の訪問がありました。いつものように市長の通訳だけと若干ゆるりと構えていましたが、急遽前日に事務総長側も通訳するように言われたため、急いでご本人の過去のスピーチを動画で確認し、その内容や過去現在の地域情勢、日本とのつながり等の背景情報を調べて単語リストを作り、直前まで暗記に精を出しました。幸い会合は和やかに無事終了し、出席者にも喜んで頂けました。直前に覚えたCLMV ( Cambodia, Lao PDR, Myanmar, Viet Nam )という単語が会話に出て安堵したのを覚えています。この時は追い詰められていたので必要な情報を検索して理解し覚えることに必死で、その集中力が当日も続いていたためか緊張することすら忘れていました。

ただ、この時はある意味、ポイントを絞って準備できたラッキーなケースだったともいえます。スピーカー本人の動画を検索できる機会は限られていますし、そもそも表敬訪問ではあまり特定のテーマがないため、原稿がある冒頭挨拶は別として、歓談時の内容は予測しづらいものです。自分の市側の発言内容は慣れるとある程度予測できるようになりましたが、相手側の通訳に関してはそうもいきません。一生懸命調べた内容とは違う方向に会話が進み、準備がその日は無駄に終わることもありました。

ただし表敬訪問は儀式的な場であるため、基本的に専門的、技術的なことは話しません。お互いの都市・機関の概要や今後の協力分野といった全般的な内容を話します。逆に一般的な分、特別な単語を知っていなくても、瞬時に一方の言語から他言語につなぐという通訳の基礎を強化すれば何とかなる、というよりその他に道はない、と思いました。

そこで、テレビ番組を録画やpodcastを使って自宅で逐次通訳の練習をしながら、通訳しづらかった表現については辞書を引いて例文を調べる、という地道な作業を繰り返しました。日英はNHKの番組「クローズアップ現代」を予約録画しました。色々なトピックスが出て勉強になります。英日は、podcastでPlanet Money やFreakonomics Radio (この2つはインターネットでTranscriptも公開されています)といった面白い番組を見つけて練習しました。正直自分にとってはどれも難しく、まともに出来たものではありません。しかしこのように練習で負荷をかけることで、本番が楽になりました。

通訳が上手くいった時は自分で分かりますし、通訳の最中でもスピーカーの「ありがとう」という笑顔からパフォーマンス状況を読み取れます。その時はとてもうれしいですし、日英両言語理解する方から褒められる時は大変うれしいものです。逆に出来ない時はものすごく落ち込むと分かっているので、毎回準備段階では最悪の出来だった場合を想像しながら「これは大変だぞ!」と自分にプレッシャーをかけ、本番では「大丈夫」と自分に言い聞かせるようにしています(そう都合よくコントロール出来ず、本番でもドキドキする事しょっちゅうですが、少なくともこれが理想です)。

◆その他、気をつけたいこと

  • 実際に呼びかける時のために、敬称は必ずチェックしていました。通常、総領事はMr. / Ms.を使用、大使や閣僚はYour Excellency、Sirの称号をお持ちの方など、対象者がいるかどうかを依頼元に確認すると共に、書籍 外務省儀典官室編「国際儀礼に関する12章」や、外務省の Webサイトも参考にしていました。
  • 開始からお見送りまで終始スピーカーにぴったり張り付いて通訳をしますが、写真撮影の瞬間は、自分が写らないように要人からなるべく離れるようにします。
  • 服装はジャケット着用ですが、常識的に上下紺や黒などの濃い同系色でそろえれば、必ずしも上下セットでなくとも可です。女性の場合はジャケットの中が襟付きのシャツでなくとも大丈夫でした。

お会いした同業通訳者の方々

この仕事を通して素晴らしい通訳者の方々とご一緒出来たことも幸運でした。カリフォルニアから環境団体が来日した際の会議でのこと。出席者は30人程、広い部屋の壁に沿ってぐるりと机が並べられ、ゲスト側通訳者と私は、相当な距離を隔てて向かい合います。私はスピーカーが発言した「〇〇係数」をすぐに訳出することが出来なかったのですが、その方が私だけに聞こえるくらいの小声で(でも分かりやすくはっきりと)、“ coefficient, coefficient ”と向こう側から助け舟を出してくださいました。某大手エージェントの男性通訳者の方でしたが、今もご活躍されているのだろうと思います。他にも素晴らしい方々とご一緒しました。そのプロフェッショナルなパフォーマンスを通して、落ち着いて通訳する大切さを学んだ部分も大きかったと思います。

行政の国際交流

行政ならではの幅広い国際交流の場に関われたことも良かったです。毎年年末に猟犬部隊=Gentle Wolfhoundと呼ばれる米国からの訪問があります。戦争直後、市内のある養護施設の子ども達の貧困状況に心を痛めた米陸軍軍曹率いる米国兵士が、子ども達のためにクリスマスパーティを開きました。それがきっかけで以降、毎年クリスマスに部隊の方が施設を訪れ庁舎を訪問します。米国では一般的に家族で過ごすクリスマスという時期にあえて希望して来日し、真っすぐな瞳で話す軍人さんの言葉を通訳していると、戦争という悲しい背景が横たわってはいますが、人同士の温かいつながりに胸が熱くなります。

姉妹都市交流プログラムの一環として日本語スピーチコンテストに優勝した学生が毎年来日する際の通訳とアテンドをしたこともありました。JET Programという政府プログラムを通じて日本に滞在している英語ネイティブの同僚もいましたが、高いモチベーションを持って日本語を学んでいる学生や仲間のポジティブなエネルギーには刺激を受け、学ぶことも多かったです。その同僚を通じてJAT(日本翻訳者協会)という団体の存在を知り一緒にイベントに参加したことで、同業の通訳者の方と知り合うことにもなりました。

これからの自分のキャリア

市での仕事を通して、専門知識や数字を多く扱うビジネスの通訳とはまた違った、長期的な関係を築いていく外交の世界に微力ながら貢献し、普段は接することのない地域や外交のトップの方に通訳を提供できたことは、大変貴重な経験になりました。

これからの自分のキャリアは模索中です。組織の一員として深く業務に関わるインハウスの仕事は好きですし、自分にはまだまだ勉強しなければならないことがたくさんあると思っています。

一方で、いずれはフリーランスとして独立する道も考えています。いずれにせよ、沢山の点が結ばれて線になるように、全ての経験を力にして前に進んでいければと思っています。

最後に…私がこれまで通訳者の友人と話したり、このコラムを読む度に元気づけられ仕事のモチベーションを維持する支えになってくれたように、私の今回の話が少しでも、皆さんの心の支えになることが出来れば幸いです。

山下朗子さん

Profile/

上智大学文学部英文学科卒業。貿易事務の仕事をしている時に都内の通訳学校の英語クラスを受講。2012年同時通訳科修了。通学中に電子部品メーカーの翻訳の仕事に転職した後、ITプロジェクト付きの仕事で通訳に転向。現在含め企業内通訳として、自動車用電子部品やガラス製造、IT、水事業、飲食業界での経験を持つ。市役所では表敬訪問やスポーツイベントの開会式等の通訳の他、外国公館からの親書や市民向け文書の翻訳を担当。