【第31回】現役通訳者のリレー・コラム「医療通訳としての心構え」

医療通訳者の心構えといえば、どなたでも「中立性」や「患者さんとの適度な距離」をまず思い浮かぶでしょう。正直、悩みますね。現場からいくつかの事例を出しながら、医療通訳者に求められている心構えについて考えたいと思います。

バックグラウンドの尊重

まず、日本の医療現場からのいくつかの事例を取り上げたいと思います。

東南アジア出身の女性患者さんが自宅で妊娠検査をしてから旦那さんと一緒に来院しました。問診表の時点から国際診療部から呼び出され、通訳ではなく、デジタル版の問診票を記入するお手伝いしました。患者さんは英語を少し理解する程度でしたが、旦那さんは日本語も英語の流暢な話者でした。問診票の時点で、長期滞在者であることが分かりましたし二人とも保険(国民健康保険)に加入していたので医療費には問題ないであろうと考えていました。旦那さんからは女性医師による婦人科を希望するとのリクエストがありましたので、宗教による理由かどうかとすぐに聞きました。答えは「はい」でした。総合受付の事務職員にすぐ婦人科の看護師に患者さんの要望と宗教上の理由であることを伝え、調整をお願いしました。スケジュール上の調整がうまくいき、婦人科で女性医師に診てもらうことになりました。

ここで宗教をあえて伝えた理由についてですが、オーストラリアの医療現場からイスラム教の患者さんの特別なニーズをよく聞かされたからです。同期のアラビア語の通訳者と大変仲が良く、保健師に子供の定期検診や予防接種を通訳する際、ワクチンには豚の成分が含まれているかを気にするイスラム教のお母さんが多くいると知りました。ハラル食のニーズ、5回の礼拝などは多文化共存の授業で学んでいましたが、ワクチンまでは恥ずかしながら把握していませんでした。このようなバックラウンドの知識から日本の医療現場でも患者さんはイスラム教であるため、特別なニーズが発生する可能性があると自己判断をし、医療従事者に伝えました。

厳密にいえば、距離を置いた「中立性」を確保できてはいないけれど、医療行為に影響しそうな要因でしたので倫理上は正しいかと思います。診察の際にもすべての質問に対して、旦那さんは答えていました。「最終月経はいつですか」という確認すらも旦那さんが答えていました。通常の場合、このような質問にまで旦那さんが答えることは、DVの典型的な象徴である「支配」が真っ先に疑われます。しかしこの患者さんの場合に限っては、旦那さんを通してコミュニケーションしていくことは自然そのものでした。私も訳していて、少しの違和感はありましたが、患者さんのバックグラウンドを尊重し、医療チームの一人として対応しました。診察室では、患者さんの妊娠が確認され、産婦人科医への紹介で終わりました。

気持ちに寄り添う

次にはメンタルヘルスの海外の医療現場を取り上げます。若い日本人の女性の患者さんが緊急入院をしたとエージェントから電話があり、翌朝に行くように言われました。院内患者さんであったため、私が先に診察室に入り、精神科の医師と二人で患者さんを待っていました。患者さんは少し疲れていた様子で入ってきました。日本人の通訳者を期待したのか私を見て、少し驚いた様子でした。患者さんは憧れの海外留学でメルボルンに来て、国際パーティーで男性と知り合い、妊娠を機にいわゆるスピード婚をされた方でした。出産後、赤ちゃんへの授乳を拒否し、育児放棄の疑いがあったため、保健師から精神病院に電話があり、緊急入院をされました。赤ちゃんは看護師がミルクを与え無事でした。日本では珍しいポニーテール、ジーンズ姿の精神科医が主治医でした。医師からはHow are you feeling today?(今日のご機嫌はいかがですか?)と聞かれると、患者さんはうつむき、何も言わずにすすり泣き出しました。医師がデスクの隅にあったティッシュボックスを彼女に渡し、It’s OK. We will talk when you are ready. (大丈夫ですよ。準備が出来たら話しましょう)と言い、二人で患者さんを見守りました。隣に座っている患者さんがとても辛そうで、彼女が泣くと私自身も患者さんの気持ちに共感し、異国で赤ちゃんを産み、きっと疎外感に苛まされ、鬱になっただろうなと思いました。私も悲しい気持ちになりましたが、冷静な態度で患者さんが泣き止むのを待ちました。

その後は診察がスムーズに進み、また翌朝に再診となりました。帰宅してからも私は患者さんのことが頭から離れず、なかなか眠れませんでした。患者さんは2週間ほど入院されていて、ほぼ毎日通訳していました。母乳に影響しない抗うつ剤や臨床カウンセリングを通して、患者さんは自殺願望がなくなり、無事に退院できました。私は帰り道の電車で日記を書き、自分の気持ちをコントロールしていました。過去には幼少時代のいじめ、引きこもり、虐待、家庭崩壊などの話で眠れないこともありましたが、精神疾患の患者さんの辛さをより理解するために研究論文などを読み理解を深めることで少し対処できたかと思います。

Patient First

最後に若くして子宮がんが確認された女性患者さんと、緑内障の手術を受けた高齢者の患者さんの話をしたいと思います。どちらの女性にも交際相手がいて、将来子供を産むことを考えていましたが、その夢が一瞬でなくなったということがありました。そのことに対するショックや絶望感というものは想像を超えるものがありますが、女性として大いに共感できるところがありました。

後者の患者さんはスリランカの男性と結婚したものの家庭内暴力を受け、シングルマザーとして一人息子を育てながら、治療を受けているという状況でした。病弱で透析治療を受け、緑内障の他にも心疾患の症状もあり、重なる疾患に患者さんの不安を痛いほど感じました。私はその患者さんと眼圧検査など医師の施術前の説明など待つ時間が多く、アジア人として直面した差別の話なども聞きました。息子さんから電話があり迎え時間が遅くなるとの連絡があったときも、私は付き添いました。垣間見える色々な不安に対しても、私自身何かをしてあげたいという気持ちはすごくありました。けれども患者さんのとても悲しいそうな表情を見ても、通訳者としてはただ見守ることしかできませんでした。

同じ言語を話すだけで親戚のように接触してくる患者さんに対して、「適度な距離を置きなさい」という規定が試される場合はあります。しかし、患者さんのバックグラウンドやニーズ、患者さんの疾患をより理解することにより患者さんのケア(いわゆるPatient First)につながるのではないかと思います。私にとっての医療通訳者の心構えはPatient Firstです。

 


ジュリア グケゼヴィッチ/JULIJA KNEZEVIC

オーストラリア出身。グリフィス大学日本語学科卒業。成蹊大学文学部社会学科にて研究。ロイヤルメルボルン工科大学通訳大学院修了。一般企業で通訳・翻訳を担当後、フリーランス通訳者として活動。東京外国語大学特任講師、ロイヤルメルボルン工科大学講師を経て、現在、国際医療通訳アカデミー、聖路加病院、順天堂大学で通訳の講師を務める。

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