【第34回】現役通訳者のリレー・コラム「スポーツ通訳者の心構え」

スポーツ通訳についての原稿依頼を頂いて正直困ってしまいました。一概にスポーツ通訳と言ってもそのようなジャンルがあるわけでもないからです。

ここでは現場、放送、スポーツ界の政治に分けてみたいと思います。

現場での通訳者も多種多様ですが、一番わかりやすいのは監督の横で同じような形相で怒鳴っているような図でしょうか?監督やチーム、選手の間で通訳する際はどこまで監督になりきるか?中立性を堅持するか?それとも選手に寄り添うのか?正解は無く、すべてを満たしつつ、さらには偏らないようにバランスをとることが要求されると思います。団体競技の場合はとりわけ監督と選手たちの意思疎通を円滑化するために大きな責任を担います。

つい先日、サッカー日本代表監督付きのフランス語通訳者の方が “選手とのコミュニケーション不足が原因で解雇された”というくだりを訳しながら涙していらっしゃいました。皆様は共感なさったでしょうか?それとも違和感を感じられたでしょうか?コミュニケーションのプロとしては悔しいですよね。プロであるからこそ、通訳者としての何がいけなかったか冷静に分析しなくてはと自戒の念を抱きながらみていました。一方、個人競技では通訳者は空気にならないといけないこともあります。フィギュアスケートの振り付けの通訳をした時のことです。振付師がスケーターの表現したい心情など内面を掘り下げるプロセスがありますが、このような時は第三者の存在感をなるべく消した方が良いと思いました。時には選手たちの信頼を得るためにはチームの一員として振る舞い、コーチ陣の信頼を得るためにはやはり一員として行動しなくてはなりません。
このように、通訳技術よりもまず信頼してもらえること、そしてチームプレーヤーであることが求められます。競技を熟知していることは当然ですが、自ら競技経験があり、選手がいかに大変かを身体で理解できる素地があるほうが良いでしょう。タブーとしては自分がコーチや選手になった気分で勘違いすることです。これが原因でチームが崩壊することもしばしばあります。

もうひとつの現場は大会運営。こちらはオリンピックのような大イベントから草の根の大会など小さいものと様々ですが、国際レベルでの競技団体と主催者側とのやりとりに通訳者が介在する時が多いでしょう。ここでは選手や役員の受け入れ、海外からの観客対応、輸送などのロジから更には各競技の現場で会場担当、競技担当、メディア担当と色々なシーンが想定されます。私も駆け出しの頃、スポーツ通訳者というご紹介で現場に行ったら、ホテルでのVIP受付デスクで旅行会社の手配したツアコンのお姉さま方と一緒に接遇するという状況に絶句したことがあります。しかしここでも、プロ意識!どんな現場もこなせることが次につながります。VIPの顔と名前を覚えて“観察”するだけの日々でしたが勉強になりました。蛇足ですがツアコンの皆様に学んだのはどんなお客様の無理難題もドーンと構えてまずは聞いてあげることでした。

スポーツと切っても切れない現場が放送です。放送の裏方の通訳者として、設営、カメラポジションの交渉や衛星回線など技術的な知識が必要な現場もあります。誰も何も教えてくれませんしもちろん資料などありません。身体で覚える!のみです。取材をしたり、リサーチをしたり、大抵の場合はコーディネーター兼通訳者という方々が活躍なさっている現場です。放送に耐えうる勝利インタビューの通訳だけができるのではなく、上記の業務プラス本番には放送事故を起こさずに通訳できる人材が歓迎されます。こうなるとマルチタスキング能力、取材力、調整能力、本番力、そしてもちろん通訳力が求められます。昨今ではソーシャルメディアですぐバッシング対象にもなるので放送に出る通訳は質も大事。体力と気力が絶対必須ですね!試合の現場には行かず、放送局で送られてくる映像を見て通訳することもあります。ここでは放送通訳者としての能力がなくてはなりません。

意外と知られていないのがスポーツ界の政治的側面です。国際レベルでの競技団体はよく模擬国連のようだなと思います。各国の利益が衝突する中で日本の国益を守りつつ、外交力が求められるのですが、残念ながら我が国はどうも発信力が足りません。ここでは通訳者をもっと活用してほしいと思います。その際、通訳者はその場限りで通訳するのではなく、問題の背景、日本の競技団体の目的や戦略をよく把握した上で通訳しなくてはなりません。日本の代表の方がとりわけシャイだったり口下手で母国語でも“まあ、そういうことで、どうぞよろしくお願いします”しか言わなかったとしても…“何がどうお願いしますなのよ〜!”と泣きたくなっても、その団体のアジェンダに置き換えて“超訳”“意訳”していくのです。まるで通訳者ではなく、ロビイストですよね。それもスポーツ通訳者の心構えです。

現在のスポーツ通訳者は質も内容も多種多様なものが混在していますので結局は個人力やその方の職業倫理頼みなのです。そこにラグビーワールドカップ、オリパラ、マスターズと大型イベントが続きますが、ボランティア通訳者との境界線が曖昧なことが最大の懸念です。ただその競技が、その選手が好きだから、ボランティアだからという前置き不要で、プロのスポーツ通訳者だからこその通訳現場で活躍できるようにと願っています。

いろんなシーンを脈絡もなくご紹介しましたが、結局はスポーツ通訳者にはスポーツの知識や経験、選手や監督の心理を理解すること、チームプレー、中立性、取材力、調整能力、対応力、現場力、本番力、通訳力、気力と体力が必要なのだとご理解いただけたら幸いです。しかし、これはどんな仕事でも求められること。一流アスリートとしてメンタルとフィジカルを鍛えながら通訳力に磨きをかけて、大舞台にアスリート同様120%出せるよう日々精進ですね。


平井 美樹

学生時代にESPN Sports Centerを翻訳するアルバイトから通訳の道に入る。NHKの大リーグ、NBA, NFL放送の通訳スタッフ、広告代理店の社内通訳を経て現在はニュース、国際関係、安全保障、企業買収からエンタメ、相撲の英語放送までをこなす放送、会議通訳者。日本スケート連盟の通訳者も務める。日本から海外へのPR、スピーチのコーチング、メディアトレーニングなども手掛ける。

※第1回~第29回は株式会社アルクの「翻訳・通訳のトビラ」サイトにて公開中!