【第5回】アメリカの大学院の通訳訓練法
佐藤梓さん
「通訳者になるためにどんな勉強をしたのですか?」
私がMIIS(モントレー国際大学院・現ミドルベリー国際大学院)というアメリカの海沿いの美しい町、モントレーにある大学院で通訳を勉強していた、という話をすると、通訳志望の方だけではなく、お客様からもこの質問をされることが度々あります。そんなときには、「企業秘密です」と笑顔でお答えするのが常なのですが、決して出し惜しみをしているからではなく、学んだことが余りにも多すぎて何からお話しすればよいかわからないからなのです。
今回は、そんな質問にあらためてお答えすべく、「企業秘密」の一部をご紹介いたしますので、通訳者を目指される皆さんの日々のトレーニングの参考になれば幸いです。
メモを取らずに3分間以上のスピーチを訳す
意気揚々と大学院に入学後、早速通訳の授業が始まるわけですが、初めの授業で先生からは「今から約2カ月間、メモは使いません。」という驚きの一言が。つまり、初めの2カ月は「通訳」ではなく、ただひたすら集中してスピーカーの言葉に耳を傾ける「アクティブ・リスニング(傾聴)」のトレーニングを行うのです。
授業では、4~5分ほどの音声素材を、メモを取らずにじっと集中して聴き、音声が流れた後に「このスピーカーのメッセージは何だったのか」ということをつかめているかどうか確認する練習を繰り返します。
そのエクササイズに慣れてくると、次はメッセージだけではなく、そのメッセージを伝えるために、スピーカーはどんなロジックで話していたか、という点にも注意して聴く練習に移ります。
そうすると自然と「ああ、この人はこういうことが言いたいのだな」「このエピソードはさっきのメッセージの具体例として挙げているのだな」と頭の中で同時に分析をしながら聴くようになります。不思議や不思議、こうして分析を行いながら聴いたスピーチは、たとえ3分という比較的長い時間のものであるにもかかわらず、なぜか内容が思い出せるのです!それだけ深いレベルで理解している、ということなのでしょう。
そしてアクティブ・リスニングの仕上げとしての中間試験では、3分間のスピーチの内容を、メモをとらずにできる限り訳出することを求められます。このころには、ほとんどの学生は80~90%ぐらいを出せるようになっています。これは記憶力が向上したからではなく、「情報を処理しながら聞く」とう聞き方ができるようになったからなのです。
通訳を勉強中の皆さんも、リスニングの練習をする際、ただ漫然と聞くのではなく、「この人は何が言いたいのだろうか?」「このスピーチはどういう結論になるのだろうか?」と考えながら聞く練習をされてみてはいかがでしょうか。音声を聞いた後に頭の中に残っている情報量が段違いに増えていることにきっと驚かれると思います。そして、この「情報を処理しながら聞く」、というのが同時・逐次を問わずまさに通訳者が行っている聞き方なのです。
宿題は自己分析
MIISでは、「最も大切なのは授業内の時間ではなく授業外での時間」と言われます。そして、30も過ぎたいい大人の大学院生が「宿題」に悩まされます。では、通訳の「宿題」とはどのようなものでしょうか?
授業内では、実際の通訳のパフォーマンスを行い、先生や学生のフィードバックをもらうのですが、授業後の宿題として学生たちは録音しておいた自分の通訳を聞くことになります。ただ聞くだけでも、苦痛であることは皆さんの想像に難くないと思うのですが、さらにレポートとして自分の通訳を一字一句書き出すという作業を行うのです。
そうすると、自分の完璧とはほぼ遠い通訳とじっくり向かい合わざるを得ないことになります。そこで、「ああ、なんでこんなに自分は下手なんだろう…なんでこんなところで間違えたのだろう…」と当然落ち込むことにはなるのですが、目的は決して落ち込むことではなく、なぜそのような通訳になったのか、というのを徹底的に分析することなのです。
たとえば、単純に「音が聞き取れていなかった」という分析では不十分です。聞き取れなかった原因は語彙、スピード、意識の分散など複数の原因が考えられます。その上でさらに深堀をし、語彙が原因とすると、なぜ自分は語彙が不足しているのか、それは業界知識の問題なのか、語学力なのか…と根本原因をつきとめます(いわゆる「なぜなぜ分析」ですね)。
その原因は学生の語学学習背景や経験で異なるため、一人ひとりが自分の原因を見つめ、自分の通訳を伸ばすための改善法を見出すことが期待されています。そしてその分析をレポートとしてまとめ、そこに教授のコメント、フィードバックが入り、さらなる気づきが得られる、というのがMIISの通訳の宿題です。
自分の通訳を聞く、しかもそれとじっくり向かい合う、というのはなかなか勇気がいる作業のため、なかなか進んで行う方は(私を含め)少ないかもしれませんが、やはり「上手くなりたい」と思うのであれば徹底して自分の問題を見つめ原因を探り解決に取り組む、というのが効果的かと思います。
自分の言葉を通訳される機会
実際に通訳者としてデビューすると、日々通訳をすることになります。しかしながら、MIISの在学中、私はプロの通訳者には、まず巡ってこない貴重な通訳経験をすることができました。それは、「自分の言葉を通訳される経験」です。MIISの授業、及び授業外でのパートナーとの練習では、通常音声・動画の素材を使うのですが、場合によっては自分がスピーカーとなってクラスメートがそれを訳すということもあります。
実際に私も100人以上の聴衆を前に自分の考えを話し、それを先輩に逐次通訳してもらう、という希少な機会に恵まれました。そういった経験を通して、自分自身がクライアントの視点に立つことができ、「スピーカーが何を通訳者に求めているのか」が見えてくるのです。
自分が通訳者の場合は、「正確に訳せただろうか?」「情報を落としていなかっただろうか?」ということが気になることが多いかと思います。しかしながら、スピーカーの側に立って気づいたのは、「スピーカー自身も自分で話した内容の順番や細かい部分を全て覚えてはいない」ということでした。
では何を気にするかというと、通訳者が自分の「言いたいこと」すなわち「メッセージ」を伝えてくれているかどうか、なのです。通訳練習の際、パートナーの学生がたとえ自分の言葉を正確に一字一句訳してくれていたとしても、自分が一番伝えたい内容が強調されていなかったりすると、「この訳出はちょっと違うな」と感じてしまうことが何度かありました(通訳者側から見ると不公平な話ですよね!)。
MIISでは「言葉」ではなく「意味」を訳すように指導されるのですが、自分がスピーカーの立場に立つとその指導の意味が体感できます。皆さんも通訳の練習をされる際、ペアを組んで自分がスピーカーになってみると、また新たな発見があり、クライアントが求めるものが見えてくるのではないでしょうか。
今回は、MIISで行われているトレーニングの中から、自分で通訳を練習する際に取り入れることが可能なのではないかと思われる部分をいくつかご紹介しました。MIISでは、他にもアメリカだからこそ、大学院だからこそのさまざまな経験ができますので、留学や大学院での勉強に興味をお持ちの方は下記のリンクをご参照ください。私もこの記事を書いたからには、早速自分の通訳を録音、分析してみることにします…。
佐藤梓さん
Profile/
フリーランス会議通訳者。外資系消費財メーカーで、化粧品のブランドマネジメントを担当後、通訳者に転向。PR、広報、マーケティング、IR、法律を中心に、日本及び中国にて約10年の社内通訳・フリーランス通訳の経験を重ねる。2010年~2011年、モントレ―国際大学院(現ミドルベリー国際大学院)にて通訳翻訳を学ぶ。