【第8回】パラスポーツ通訳 ~大分国際車いすマラソンで学んだこと~
池田裕佳子さん
2020年に東京オリンピックを控え、英会話レッスンを再開したり、通訳を目指して勉強を始めたりする人が増えているそうです。私もそのうちの一人。ただ、通訳学校の申込時に「オリンピックを目標にしている人は多いけれど、パラリンピックのために、という人は初めて」だと言われました。私にとってオリンピックはニュースで結果を知る程度。一方のパラリンピックは、陸上競技となると特に、選手が開催国入りする頃からSNSで動きを追い、各選手のコンディションも気になるほどのめり込みます。友達が4年のあいだ目標にしてきた大会にいよいよ出場すると思うと、そわそわしてしまうのです。
私がパラスポーツと出会ったのは2001年。大分市で毎年、開催されている大分国際車いすマラソンを手伝わないかと誘われたのがきっかけでした。当時、フランス語圏から出場する選手の数が増え、フランス語が出来るボランティアを通訳グループが探していたのです。外国語は話せるけれど通訳の経験は数える程しかなく、車いすの知識もない。大分では誰もがそんな状況から語学ボランティアを始めます。大分市内で育った人には車いすマラソンは秋の風物詩で、子どもの頃から観戦しているもの。しかし県南で育った私はレースを目の当たりにしたことがなく、ぼんやりと、フランス語を使うチャンスが貰えるのなら、という感じで通訳グループへの参加を決めました。
毎月のミーティングや車いす研修を通じて、少しずつ大会組織や運営方法を理解し、障がい度による可動部位の違いや、車いすの段差移動介助、リフトバスの昇降介助など、必要な知識を学んでいきます。ボランティア一年目は先輩達の動きを観察し、選手達の要望を聞きながら見よう見まねで動きますが、できないこと、気づかないことがたくさんあり、数年ボランティアを続けなければ本当の意味でサポートできないことがわかってきます。
「車いすマラソン」って何?
車いすマラソンの歴史を、少しご紹介します。大分国際車いすマラソンは国際障がい者年に始まり、今年で36回を数えます。イギリスで障がい者スポーツの重要さを感じた中村裕医師が「保護より機会を」と訴えて始めたものです。車いす限定の、世界で最も出走数の多い大会で、毎年国内外の強豪選手が集います。このマラソン観戦をきっかけにパラスポーツを始めようと思い立つ選手や、大分大会を目指して練習を積む一般ランナーも多く、注目度は年々増しています。
200~300名が号砲を待つスタートラインは、壮観です。42.195キロの沿道は観客で埋まり、選手によれば、レース開始からフィニッシュまで絶え間なく応援や歓声が聞こえるそうです。大分県が主催。公式スポンサーもつき、30回大会からは、車いすマラソンをプロスポーツとして認識しようという動きが起こり、賞金レースとなりました。男女とも障がい度によって、T53/54, 52, 51と三つのクラス分けがあり、一つ障がい度が上がると、可動部位が大きく異なります。T51の選手達は、通常なら寝たきりになってしまうほどの重度障がいを抱えながらレースを続けています。
もちろん、クラス別にランク付けや表彰が行われます。現在は、IPC(国際パラリンピック委員会)公認大会となり、大分での記録は国際記録として認定され、パラリンピック選考にも適用されます。
車いすについても、触れてみます。街で見かける車いすユーザーは、日常生活用の「デイリーチェア」に乗っています。しかし、マラソンやトラック競技には「レーサー」と呼ばれるレース専用の車いすを用います。36年前は日常生活用車いすでハーフマラソンを走っており、完走するのも大変だったと聞きました。
現在はレーサー開発に日本の自動車メーカーも参入し、チタン等で軽量化したレース用車いすも見かけます。日本製のレーサーは自動車と同じくらい高価ですが、とても人気が高く、トップクラスの選手にはスポンサー契約がつき、無償でチェアが提供されることもあります。性能の良さと調整の細やかさが口コミで広まり、国内メーカーは年々シェアを伸ばしているようです。彼らにとって大分大会は大切なプロモーションや受注の場でもあります。
マラソンの前後には、大分市中心部は車いすユーザーで溢れかえります。道路や公共施設、レストラン等のバリアフリー問題は徐々に解消されつつありますが、いわゆる「人力バリアフリー」に頼ることもあります。練習場となる河川敷は、ボランティアが小石を拾い、コースコンディションは県の道路課が丁寧に整えてくれます。コースは海沿いの通りが多く、海風は強いのですが比較的平坦なため、いくつもの世界記録が生まれました。市民から愛される国際車いすマラソンは、企業ボランティア、学生ボランティアも毎年参加し、大会を近くで見守ります。
アスリートのサポートという自負
私は、メディア対応担当通訳として、ラジオ、テレビ、新聞、パラスポーツ・ウェブサイトの記者と選手のやりとりを通訳します。記者会見や囲み取材、ラジオの生中継があり、優勝インタビューもゴール直後に行います。マラソンに愛着を持っている記者も多く、インタビューには熱が入ります。強い選手は特に、何度も顔を合わせていますので、記者も通訳も観客も皆、誰が勝っても嬉しい、不思議なレースです。私も、この15年の間に大きな意識の変化がありました。ボランティアになった当初は、「障がい者のお手伝いをする」という感覚でしたが、いつからか「世界トップクラスのアスリートをサポートしている」という気持ちが芽生えました。
「障がい者の通訳」。そう書くだけで、違和感があります。特に私がインタビューを担当する選手達は、世界屈指のパラリンピアンで、彼らの上半身の強靭さには驚くばかり。付き合いも長く、車いすユーザーと歩いたり、食事に出かけたりすることにも慣れてくると、車いすで暮らすことを障がいだと感じなくなっているのかもしれません。段差や階段の移動が不自由なだけ、それ以外は自由に暮らしているのが車いすアスリートです。カスタマイズすれば車も運転できますし、飛行機に乗って、ロンドン、ニューヨーク、シカゴ、ボストン、パリ、ベルリン、ドバイ、大分と、世界中を転戦します。家の中も住みやすくバリアフリー環境を整え、独立して暮らしている選手も多いのです。
どちらかというと、私の方が重たい荷物を持てなかったり、歩くとすぐに疲れたりで、「荷物もってあげようか?」と心配される始末。そんなわけで、選手達に対し「障がいがあって、お気の毒」「障がいがあるのに、スポーツに取り組むなんて、立派」という、弱者に対して抱く気持ちは微塵もありません。世界で闘うアスリート。私は彼らの必要に応じてアテンドや言語のサポートをする、というだけ。オリンピアンもパラリンピアンも変わらないじゃないか、という気持ちです。日本でもアメリカのように両者が同じ環境で、同じ場所で練習できる制度が整う日が来ることを願っています。
通訳者として注意していること
では、車いすアスリートの通訳時に、気をつけるべきことはないのか?立位のランナーと同じように通訳して良いのか?と問われたなら、確かに違う点があります。
まずは非常に基本的なことですが、選手と目線を合わせること。彼らは座ったままですから、私が立って通訳をしてしまうと、選手は私と記者達を見上げながら話すことになります。私もしゃがんで彼らの目線に合わせると記者さんも自然と膝をつきますから、アスリートの目線でインタビューが進行します。これは私が普段、子どもと接する時にも気をつけていることなので、座っている人の通訳をするなら自然に腰から体勢を落とすという方も多いのではと思います。
立ち位置にも配慮しています。車いすユーザーは立位の人の視界に入りにくいので、混み合った場所や人の往来の多い通りでの囲み取材に対応する場合、必ず通訳は往来側に立ちます。携帯電話を見ながら移動している人などがぶつかる可能性も踏まえ、選手を守る位置に陣取りつつ、カメラがある場合は光の具合も見ながら記者達と位置決めをします。通りを一緒に移動する際は車道側を歩き、車や自転車など街なかにある障害物、歩きタバコ等で、選手が肩や手を怪我しないよう、膝から腰の高さに視線を置いて移動します。
事前に体調や車いすの特徴、スポンサー関連の話を聞いておくために、選手の食事に付きあうこともあります。バリアフリーのお店を探すことはもちろんですが、中途障がいの場合、胃腸が弱い選手も多いので注意が必要です。自分の知っている範囲で、古い油をつかっていないか、生ものも安心して食べられるか確認が取れているお店に案内します。以前、生ものは避けたものの、焼き肉のタレやトマトソースでお腹をこわした選手もいました。気をつけても、体調が悪ければ、食事の善し悪しに関わらず胃腸の調子を崩すこともあります。腹部以下の機能が落ちている場合、自身の胃腸の具合を感覚的に把握することが難しくなります。できる範囲で事前準備をし、選手と相談して食事場所を決める必要があります。
試合会場や街なかで、多目的トイレの場所を把握しておくことも重要です。基本的に選手が気をつけているので緊急事態は少ないのですが、すぐに案内できることがわかっていれば安心してインタビューを受けたり、レースの準備や片付けをしたり、街を歩き回ったりできる筈です。
障がい度が重い選手には、手先に温度の感覚がない人もいます。熱湯だけでなく、蛇口の金具でやけどをしてしまった選手もいました。また、腹部以下の感覚がない選手がほとんどなので、携帯カイロなどを不用意に渡してしまうと、使い慣れないため、気づかないうちに太もものあたりに低温やけどを起こしてしまう場合もあります。
取材の合間には選手と共に移動することもありますので、最後に簡単な介助についても触れておきます。車いすユーザー=バリアフリーの必要あり、というのが一般的な考え方ですが、アスリートに限っては、そうでもありません。
上りの場合、1、2段の段差なら、介助者が先に段を上り、腕を出して腰を落とし、選手がその腕をひっぱりながら段差を上がる、という方法もあります。下りでは、2人がかりで車いすのフレーム(ホイールは動くので、持つとお互いに怪我をします)をしっかり持ちます。段差が急な場合、選手は後ろ向きで、背中を支えにしながら移動します。移動の際、1,2,3!と声をかけ、車いすユーザーが安心して任せられるようにするのも大切です。「どうやってお手伝いしましょうか?」と聞けば、彼らが一番詳しいわけですから、自分の状態や身体と車いすの重さに配慮して最適な方法を提案してくれます。
選手と車いすを別々に下ろす方が安全だと思われるかもしれませんが、できればそのまま移動したいのが選手の本音です。中には階段を上がる際、車いすを降り、それを片腕で抱え、もう一つの腕で手すりをひっぱって1人で階段を上がってしまうような人もいます。障がい度により身体機能は大きく異なるので、担当する選手の状態を詳細に把握しておくことが必要になります。
パラスポーツ通訳者としての望み
決して弱者ではないけれど、不自由なところは手伝いつつ、彼らのパフォーマンスを陰ながら支える。記者会見や優勝インタビューなどで、彼らがレースを通して伝えたいメッセージを訳す。それが、私の、大分国際車いすマラソン通訳者としての、主な仕事です。オフシーズンには、モチベーションスピーカーとして活動する選手も数多く、普段の彼らの発言にさえ、人生のヒントが隠れていることもあります。
大分の車いすマラソンは、毎年一週間かけて関わる完全ボランティアの仕事ですが、私が通訳として活動するきっかけを与えてくれた大会であり、スキルアップの機会であり、前向きに生きるための活力をもらう場所であり、そしてまた、世界で闘う選手に心底惚れ込む時間でもあります。
2016年から東京マラソン車いすの部が国際化され、昨年の世界ランキング1位の選手もエントリーしました。大分のレースに加え、東京でも車いすアスリートの勇姿が見られるようになります。私も海外選手のエスコートという立場で選手達を支える予定です。立位ランナーより先に出発しますので、機会があればぜひ応援してください。下り坂では時速40キロを越えるので、ビューンと通り過ぎますよ。
パラスポーツ通訳はまだまだボランティアベースですが、いつかパラスポーツとその他のスポーツの垣根が低くなり、私のボランティア活動にも値段がつくようになる。それが、パラスポーツが世間に浸透したという一つの目安になるのかなと思っています。車いすマラソンを含む陸上競技に限らず、一度、パラスポーツを観戦し、ぜひその魅力に触れてみてください。
写真提供:Facebookコミュニティ「Oita Wheelchair Marathon Photo Gallery」
池田裕佳子さん
Profile/
大分国際車いすマラソンボランティア通訳。大学卒業後、フランスへ留学。大分で、ALTや外部講師として公立学校に勤務。2004年に英語教室を立ち上げ、幼児から大学受験まで一貫した英語教育に取り組む。大分県グローバル人材育成推進会議委員、及び、大分大学附属小・中学校英語指導アドバイザー就任。
東京五輪開催決定を受けて上京し、外資系スポーツ用品メーカーに社内翻訳・通訳として勤務。東京マラソン車いすの部の国際化や、パラリンピックに向けた企業・団体の活動をサポートしながら、東京と大分を行き来している。