【第9回】通訳者としてお役に立つために

ケイト・スイフトさん

医療に関する通訳―広がる選択肢

「次は血液検査ですから、採血します。チクッとしますよ」

「息を吸って、吐いて。今度は深く吸って、一生懸命吐いてください」

「臨床試験では10例が終わって、自由診療に移る前にまず、先進医療Bの申請を提出する予定です。来週厚労省でアドバイスを受けます」

「その認証を取得するためには審査が必要で、全文書で140以上あり、現場でどのように運用されているかの審査も行われます」

自分がこのような言葉を通訳する姿を想像したことはありますか?医療通訳の現場では上記のような言葉が飛び交います。

最近、「医療通訳」という言葉をよく耳にします。関連する本を読む機会も増えています。厚生労働省が医療ツーリズムや医療通訳者養成コースなどを推進する一方、2020年の東京オリンピック・パラリンピックに向けて医療通訳の需要は増大すると言われています。

それでは実態を見てみましょう。

まず、病院内の通訳ですが、残念ながらこちらはそれほど明るい未来が予測できません。私は医療通訳者として都内のさまざまな組織に登録していますが、実際に患者の通訳に呼ばれたのは過去4年間でたった2回だけです。その2回とも患者は受診した病院のトップの友人で、わざわざ実費で来日して受診したほどでした。

ハードルの一つはコストです。アメリカの場合、Medicare(アメリカの高齢者および障害者向け公的医療保険制度)やMedicaid(アメリカの公的医療保険制度の一つ)、その他の政府による助成を受けている病院やクリニック(つまりほとんどの医療施設)は、患者が通訳を頼んだら医療施設がそれを無料で(すなわち、患者に請求せず)提供することが法律で義務付けられています。

そのため、医療通訳の需要が非常に高いのです。多くの病院はその需要を満たすため、エージェンシーを通じて電話通訳を使っています。私も、4、5年ほど電話通訳を務めました。病院にとっても、患者や通訳にとっても、理想的な解決策にはなりませんが、一応通訳を提供する義務が果たされ、患者・医者間のコミュニケーションが進みます。

一方、日本には同様の法律がありません。医療通訳のニーズは皆無に近い状態です。病院は通訳を提供する義務がないし、患者はわざわざ通訳代を払う気もないからです。私が登録している会社では、通訳料金は1時間5,000円で請求されます。それを払うより、ほとんどの患者は友達や家族の人に同行してもらっています。

もう一つのハードルは、英語の需要がほとんどないことです。日本での医療通訳は中国語の需要が非常に高く、ベトナム語や韓国語もある程度のニーズがありますが、英語圏の患者は非常に少ないのが実情です。

医療通訳の仕事は院内通訳だけじゃない

それでは、医療業界に関わりたい通訳者はどうすればよいでしょうか?

幸い、他のところで医療の専門知識を必要とする仕事がいくらでもあります。

その一つは、外資系企業が日本で実施している臨床研究です。機器メーカーや製薬会社は日本で販売する認可を取得する(というより、その治療や薬剤が保険の適用になる)ためには臨床試験が必要です。そこで、外資系企業の担当者と日本人医師やスタッフの間のコミュニケーションを支えるのが医療を専門とする通訳です。臨床試験が全国各地、複数の施設で行われる場合が多いため、通訳も外資系企業のスタッフと一緒に全国を飛び回ります。この仕事は長期にわたって必要とされます。

こうした仕事を上手くこなすためには相当の知識が必要です。例えば、神経に関する研究であれば、脳や神経、神経疾患、合併症、有害事象について詳しく知る必要があります。その上、日本の規制についても勉強しなくてはなりません。多くの文書が関わるため、高いサイトラ技術が求められます。メーカーの立場、病院の立場、それぞれの目標や希望を理解する必要があります。

同時に、非常に満足度の高い仕事です。医療現場の最前線に立てること。治療が成功したときの患者の幸せな顔。自分が少しでも人に役立っている満足感など。

※サイトラ:サイト・トランスレーション(sight translation)の略。英語を語順のまま理解するリスニング方法。

もう一つの機会は、規制・認可関係の仕事です。日本では、多くの企業やメーカーがアメリカのFDA(米国食品医薬品局)やヨーロッパのCEの認可を取ろうとしています。

※CE:すべてのEU (欧州連合) 加盟国の基準を満たす商品にヨーロッパの統一したマークを付与するのが「CEマーケティング」。

病院の場合は、最近JCI(Joint Commission International:国際的な医療評価機関であり、本部はアメリカのシカゴにある)への認可申請が急増しています。認可を取得するためには、非常に長くて複雑な手続きが必要です。

多くの企業や病院は海外コンサルタントを通じて申請を行いますが、その舞台裏では通訳が大きな役割を果たします。この仕事も臨床研究と同様、長期にわたって続く場合が多いのです。やはり目標の認可についての知識を持ち、また製造現場について精通していることが求められます。コンサルタント、あるいは実際の監査の場合、監査員は工場全体を細かく監査し、隅から隅まで調べます。バリデーションの要求や機器についての知識、製造環境についての知識、製造現場でのマナー、両当事者の空気を読む力、通訳のスキルがさまざまな面で求められます。

しかし、これも満足度の高い仕事です。手続きが進む中、申請している企業のパートナーとなり、一つひとつのハードルをクリアしていくことで達成感を得られます。さらに、このような案件をこなすたびに知識やスキルが向上していきます。

仕事を獲得するために

さて、具体的な局面に触れましょう。

まず、どのようにしてこうした仕事が手に入るのでしょうか? 自分の経験でしか言えませんが、例えば、ある外資系企業からは、私が会員となっているJAT(日本翻訳者協会)経由で連絡を受けました。某コンサルティング会社からは、エージェンシーを通して通訳の仕事を依頼してきました。自分のほうからアプローチすることもあります。別の某コンサルティング会社がさまざまな病院にアプローチしているのを聞いて自分のほうから連絡したところ、仕事を得たことがありました。その会社は通訳に困っていて、喜んで私を使ってくれました。

経験を積んでいくと向こうから関心を示してくれることがありますが、こちらから手を上げることも大切。「この分野に非常に興味があり、やる気満々です」という意思を伝えると、向こうも興味を示してくれるものです。

通訳の仕事への対価はさまざまです。仕事を直接受ける場合、もちろんクライアントと交渉はできます。私は非常にやりがいのある仕事なら少し低いレートでも引き受けることがあります。経験を積むことが次の仕事につながることがありますし、仕事を引き受けた時に自分にとって良いことがあまりないと思っていても、やり始めるとさまざまなプラスの材料が出てきます。

例えば、ある外資系企業の仕事は少し低いレートで請け負っていますが、その会社の仕事は1年以上続けています。数多くの病院がその臨床研究に参加しているため、飛行機であちらこちらへ飛ぶこともあります。それでも、時間を上手に使えば、仕事が終わってから現地に数日残って観光も楽しめます。また、その会社からは翻訳の仕事を頼まれることもあり、全体的にみるとかなりの収入となっています。

「安く引き受けてもいい」と言うわけではなく、自分の目標に応じて判断すべきだと思うのです。その会社から得られる教育や経験の価値は計り知れないほどです。

要約すると、「オリンピックに向かって医療通訳になろう」というより、広い視野から医療関係の通訳について考えると、チャンスは想像以上に存在しているということです。ご自身の希望に基づいて、ぜひ挑戦してほしいと思っています。

ケイト・スイフトさん

Profile/

通訳者・翻訳者。25年以上フリーランスで通訳・翻訳に従事。大学では音楽とドイツ語を専攻。大学を卒業した後に日本語に対する興味が沸き、7年ほど独学。

1984年に来日し、英会話学校講師、大手電機メーカーにて社内英会話講師、翻訳・通訳、翻訳会社の社員等を勤めた後、独立。現在は、医学関係や製造、ビジネス、半導体、経済など、幅広い分野で活動中。