【第1回】あの通訳研究って、実際どうなの?「通訳者の疲労とエラーの相関関係」
はじめに
皆さん、はじめまして。通訳研究者の毛利雅子と申します。今回から、通訳研究に関する連載を担当させていただくことになりました。私自身は研究者の末席を汚す身で、論文執筆や学会発表なども行っていますが、最初から研究者になろうと思っていたわけではありません。語弊があるかもしれませんが、どちらかといえばその時その時で疑問に思ったことから行動したという、ある種の成り行きに近いかもしれません。したがって、研究者としては非常に遅いスタートを切りましたので、まずは簡単に自己紹介したいと思います。
私はもともと企業内通訳兼秘書のような職務に携わっており、そこから通訳養成学校に通い、通訳訓練を受けてからフリーランスとしてスタートしました。まさに勉強しながら経験を積んでいくという日々でしたが、ある時ふと「経験、経験っていうけど、誰もが経験を積めるわけではない。理論から学ぶことをしていない。」と思ったのです。通訳養成学校で学んだことは通訳訓練であって通訳理論ではないということに、本当に遅ればせながら気づきました。
そこから、通訳を経験だけで学ぶものではなく理論から裏付けしたいと思い、研究に関心を抱きました。経験を「カン、コツ」系で学ぶものではなく、理論に裏付けされた経験として獲得する、伝えるということに興味を抱いたわけです。
さらに、ある事故が私を研究への道と強く推し進めることとなりました。もうずいぶん前のことなので、記憶にない、もしくは生まれてない!という方もいらっしゃることを考えて、何が起きたのかを簡単に述べたいと思います。
航空機墜落事故と裁判
1994年4月26日夜、名古屋空港(現:名古屋飛行場)で突然、大きな衝撃と共に火の手が上がりました。のちに「中華航空140便墜落事故」と言われるようになった航空機墜落事故で、旅客機が名古屋空港着陸進入中に墜落し、乗員乗客264人が死亡するという大変悲惨な結果を招きました。
数年後、事故に関する公判が開始され、たまたま公判記録音声起こしという仕事が私に回ってきました。そのため、実際の公判傍聴に行きしっかりと発言者の談話を聞いてほしいと言われ、法廷傍聴に行きました。
こうして、日本語を解さない外国人が公判に出廷し、法廷通訳人が法廷内の談話を全て通訳するというシーンを見ることとなったのですが、この時は事故機となった航空機メーカーからエンジニアが来日、出廷しました。海外からの証人ということで滞在日数が限られており、エンジニアに対する主尋問、反対尋問は連日続きました。この時の法廷通訳人は2人いらしたのですが、私はふと「この通訳人はどういう試験を受けて通訳人になったのだろうか?法廷通訳人として、どういう教育を受けているのだろうか?どのように仕事を依頼されているのだろうか?」と、法廷通訳人制度について疑問を抱きました。また、「1日7~8時間の公判を連日2人でこなすことで生じる疲労については、どのように考慮されているのだろうか?」という通訳人の疲労についても大きな疑問を抱く場面に遭遇しました。
このように、法廷通訳という仕事はまさに「疑問の山」であり、「研究課題の山」でもあったのです。そして、多くの疑問を抱いたことが、その後私を研究の道へと進めることとなりました。
疲労とエラー
さて、その時に思った疑問の1つが疲労です。普通に働いていても、1日が終われば多少の疲労を感じるのは人間の常でしょう。ましてや、終日通訳するということは、並大抵の集中力ではなく、また2言語間で「聞く」「理解する」「通訳として話す」を繰り返すことは、経験したことのない人には到底想像もつかない疲労です。また、人間ですから疲れてくれば集中力が途切れがちになり、どうしてもミスを犯す可能性が高くなります。ところが、なぜか通訳者は、どれだけ働いても(通訳しても)疲れない、まるで機械のような扱いをされることも多く、また「ただ話してるだけでしょ?」と言われたことも一度や二度ではありません。
しかし、これは大きな間違いです。疲労についてはMoser-Mercerら(1998)の論文がよく取り上げられますが、彼らの実験は独・英の同時通訳を実験モデルとして、実際のパフォーマンスを録音して、データ分析を行いました。そのデータ分析の中で、生理学的ストレスと心理学的ストレス計測も実施されたのですが、その中でも特に彼らが注目したのは意味に関するエラーでした。具体的には、時間の経過と共にエラー数も増加し、60分の通訳では合計32.5個の意味のエラーを生み出す結果となり、殊に30分以上続けると通訳の質が落ちることが明確になっています。加えて、経験の少ない通訳者においては、このエラー(質の低下)を意識していない状況であることもデータから見受けられます。さらに、実験に参加した通訳者のうち、疲労によって訳出の質が下がっていると認識している状況を分析すると、一定時間以上経過した場合の通訳者の疲労や訳出の質に対する判断は信頼性に薄いということも示しています。つまり、疲労が重なれば訳出の質が落ちることは当然のことながら、通訳者自身の判断力も低下し、適切な判断や訳出が出来なるなることを科学的に示しました。つまり、人間の性でもある「疲れればよいパフォーマンスは出来ない」という観念を、時間や数値と共に実証したことになったのです。
また通訳者の疲労に関しては、アメリカの法廷通訳者団体であるNational Association of Judiciary Interpreters and Translators (NAJIT)の声明(2007)にも、数時間はもとより、終日通訳する状態で、高い正確性を維持することは現実的ではないし、限度は30~45分だろうと記述されています。
ただ、Moser-Mercerらの実験もNAJITの声明も、基本的にはいわゆるインド=ヨーロッパ言語間の通訳が対象です。つまり、言語間に近接部分がある言語を対象としていますが、それであってもこのように疲労が大きくパフォーマンスに影響を及ぼすと言われているのです。それを考えれば、全く異なる言語体系である日本語を対象とする日本の通訳者にとっては、疲労度やエラー率はさらに高くなることも想定できるのではないかと考えています。
通訳者が一番疲れている
私が傍聴した中華航空機事故公判に、通訳者は2人いました。しかし航空機器関係という専門的・技術的に込み入った内容、重大事故の裁判ということでマスコミ関係者も多く傍聴に訪れるという緊張の漂う中、通訳者1人の担当は1時間以上という過酷なものでした。もちろん、専門的内容だから、マスコミ関係者が多いから、ということは言い訳にはなりません。しかし、疲労や不慣れな環境もあったのでしょう。1人の通訳者の誤訳が目に付くようになり、まだ午前中の審議にも関わらず弁護人から「もうあなたは通訳しなくていいから。もう1人の通訳人に全部任せて下さい。」と言われてしまいました。
結局、その日は終わるまで1人の通訳者だけで全尋問通訳を行ったのですが、午後になってからは疲労が目に見えてきて、1時間毎だった休憩が30分毎になり、ついには30分休廷して、通訳人に休憩してもらうという状況になりました。
このように、法廷通訳人制度、また疲労という大きな課題が私の目の前に見えてきたことで通訳研究の道に進むことになりました。この例でもお分かりのように、研究と実務は密接に関係しているものなのです。次回以降、特に実務に密接した研究について紹介したいと思います。
毛利雅子
豊橋技術大学総合教育院准教授。民間企業、外国公館勤務などを経て、フリーランス会議通訳者に。通訳に従事しつつ、博士号取得。関西外国語大学外国語学部講師を経て現職。