【JIF2018】セッションA-1 同時通訳はやめられない ~私が会議・放送通訳者になるまで~
Posted Sep 28, 2018
日本会議通訳者協会(JACI)が毎年開催している、通訳に関する日本最大のイベント「日本通訳フォーラム」。2018年は8月25日(土)に東京・三軒茶屋の昭和女子大学で開催された。現役の通訳者から通訳者志望者、業界関係者など、多くの方が集まった当イベントの中から基調講演を含む、いくつかのセッションをレポートする。
講演日時:2018年8月25日(日)13時~14時
登壇者:袖川裕美 SODEKAWA Hiromi
東京外国語大学フランス語学科卒業。カナダ・コロンビア大学修士課程修了。1994年から4年間、ロンドンのBBCワールドサービスで放送通訳に従事。帰国後、フリーランサーとしてNHK・BS、BBC、CNNなどの放送通訳に携わる。2015年より愛知県立大学外国語学部英米学科准教授。著書に『同時通訳はやめられない』(平凡社)。
翻訳者から一転、ロンドンで放送通訳の道へ
通訳未経験でロンドンに渡り、BBCワールドサービスの放送通訳を4年間務めた袖川裕美さんの経歴には、誰もが興味をそそられるに違いない。奮闘の日々を描いた著書『同時通訳はやめられない』(平凡社)は、多数の書評で取り上げられ話題を集めた。今回のセッションは、そんな袖川さんのこれまでのキャリアが自身の口から語られる貴重な機会となった。
子どものころから、フランス文学や翻訳小説を読むのが好きだったという袖川さん。言葉が好きで、漠然と「作家になりたい」という夢を抱いていたそうだ。大学ではフランス語を専攻。卒業後は大手企業を経て編集プロダクションに入り、辞書の制作に携わる。そして、長年の夢だったカナダ留学を果たした。
帰国後は通訳・翻訳事業を扱うサイマル・インターナショナルに入社し、社内翻訳者として日英・英日翻訳に携わった。当時は、湾岸戦争に関する報道などで放送通訳者の存在が注目されていた時代。袖川さんも通訳の仕事にあこがれを持ったが、働きながら通訳の修行をすることは困難だったため、転身は無理だろうと考えていたという。
転機が訪れたのは、1993年12月。通訳・翻訳関連の情報誌に掲載されていた「放送通訳募集」の求人を見て、おそるおそる応募した。採用試験では、それまで一度も経験のなかった同時通訳に挑戦。結果、見事に「ロンドン勤務」の採用通知を受け取った。
現地に着くやいなや、BBCワールドサービスで放送通訳漬けの日々が始まる。最初の半年ほどは「非常にキツかった」そうだが、だんだんと慣れていった。「ロンドンで過ごした4年間はとても貴重な時間でした」と、袖川さんは当時を振り返る。
その後は日本に帰国し、フリーランサーとしてさまざまな仕事を引き受けた。通訳者の日々を綴った雑誌のエッセイは、後に加筆され1冊の本にまとまった。2015年からは大学で教鞭を執っているが、今でも通訳の仕事は続けている。
「振り返ると、12歳のころに漠然と夢見ていたことが実現しているのかなと思います。スティーブ・ジョブズ氏がスタンフォード大学の卒業式で行なったスピーチの中に、connecting the dots(点と点をつなぐ)という有名な一節があります。まさにそのとおりで、少しずつ、目の前にあることを真剣にこなしているうちに、だんだんとつながっていくのだと思います」
たった一人で担当した、45分間の同時通訳
セッションの後半では、袖川さんが最近携わった仕事から、興味深いエピソードが紹介された。
まずは、6月12日にシンガポールで開催された米朝首脳会談後のトランプ大統領による記者会見。袖川さんは、民放テレビ局の依頼を受け、同時通訳を行なった。高い集中力が要求される同時通訳は、複数の通訳者が15分程度で交代しながら行うのが常だ。ところが、この日の同時通訳者は袖川さん1名。しかも、話し手は“支離滅裂”な発言、記者に対する非協力的な姿勢で知られるトランプ大統領である。不安を抱えながらのスタートとなった。
予想に反して、この日、トランプ大統領は上機嫌で、記者への対応も好意的だった。ただ、その発言内容には、やはり戸惑うことが多かったという。例えば、北朝鮮の非核化にかかる費用について、トランプ大統領はこう述べている。
I think that South Korea and I think that Japan will help them very greatly.
袖川さんは、このhelpを「支援する」と訳した。訳としては問題ないはずだが、同じくブースに入っていた韓国語の通訳者が、同時進行の韓国語ニュースをタブレットで追っていて、後で「韓国と日本が費用負担すると報じられているよ」と教えてくれた。「完全に肩代わりする、という意味がhelpにあるの!?」。トランプ流は、平和の「手柄」は自分、支払は「隣国」ということらしい。
記者からは、拉致問題についても質問が飛んだ。
「日本の視聴者にとって、拉致問題は大きな関心事。間違いを犯したら致命傷になるので、Abe、abduction(拉致)という単語が聞こえてきたら非常に緊張します。トランプ大統領は巧妙に話をすり替えるところがあり、『今はこの話をしているはずなのに、なんでこの話題になっているんだろう』と不安になることも多くありました。意味が分からないのが、相手の発言によるものなのか、自分の聞き取りがまずいからなのかが判断できないんです。そうした判断を迫られる場面が何度もあって、怖かったですね」
45分にもわたる同時通訳を一人で担当した袖川さんは、テレビ局からもエージェントからも大変感謝されて、極度の疲労が喜びに変わったという。だが帰宅後、録音しておいた自分の通訳をおそるおそる聞き返してみると、「後半、疲れてくるにしたがって、『そして』や『非常に』といったつなぎ言葉が増えていました。だんだん訳が出てこなくなり、カタカナ語を多用するようにもなっていきました。それでも、これほど重要な会議の通訳を単独で行なったのはとても誇らしいことで、自分に『よくやった』と言いたい気持ちもありました」
まさかの大遅刻──ピンチを救ってくれたもの
最後に、袖川さんが2017年の暮れに担当した通訳の仕事から、失敗談が紹介された。この日は、北欧研究に関する学会の同時通訳。長年にわたり指名してくれる依頼主からの仕事で、やる気は十分だった。
ところが、袖川さんのお父さまががんにかかっていることが発覚する。慌ただしい日々を送る中で本番前日を迎えたものの、容態の悪化が伝えられるなどテンションが高くなって眠れない。明け方近くにようやくうとうとした袖川さんだったが、あろうことか、目覚まし時計を止めて再び寝入ってしまったのだ。目が覚めたのは、ブースに入る予定時刻の15分前。慌ててタクシーに跳び乗り、車内で顔を拭きながら現場に向かうという危機的状況になった。
通訳本番にはかろうじて間に合ったものの、依頼主との信頼関係を裏切る形となってしまったと落ち込む袖川さん。しかし、学会の後半で通訳を担当したアイスランドの福祉政策に関する大使の報告は、前日の夜、眠れずにインターネット上を検索し、偶然見つけて読んだ記事の内容とピタリと重なった。予習が功を奏してよどみない通訳を行うことができ、依頼主からは「大変なお褒めの言葉をいただいた」という。
「この経験から私が感じたのは、ギリギリまで下準備をすることの大切さです。新人であっても、多少キャリアを積んだ人でも、そこはあまり変わりません。危うくとんでもない結果になるところでしたが、何とか切り抜けることができたのは本当にありがたかったですね。こうしたアップダウンがあるところが、同時通訳をやめられない理由なのかもしれません。
大学教員になった今、ある意味では保障される生活を送っていますが、通訳者は保障もなく不安定。それでも、自分の能力の対価を得て生きているのは非常に潔く、素晴らしいことではないかと思っています」
袖川さんが通訳者になるまでの道のりや、これまでに数々のピンチを切り抜けてきたエピソードを伺い、通訳という仕事の面白さ、奥深さを感じることができた。困難な状況にひるむことなく、失敗から学ぶポジティブな姿勢こそが、通訳者にとって最大の武器なのかもしれない。