【JIF2018】セッションB-3 エンターテインメント業界の通訳とは?

Posted Sep 28, 2018

日本会議通訳者協会(JACI)が毎年開催している、通訳に関する日本最大のイベント「日本通訳フォーラム」。2018年は8月25日(土)に東京・三軒茶屋の昭和女子大学で開催された。現役の通訳者から通訳者志望者、業界関係者など、多くの方が集まった当イベントの中から基調講演を含む、いくつかのセッションをレポートする。

講演日時:2018年8月25日(日)15時45分~16時45分

登壇者:鈴木小百合 SUZUKI Sayuri

通訳者。翻訳者。小学2年から中学2年までオーストラリアのシドニーで過ごす。国際基督教大学教養学部語学科を卒業後、広告代理店、イベント会社などを経てフリーの通訳者・翻訳者に。海外の戯曲翻訳のほか、日本の演劇作品の海外公演用の英語字幕も手がける。通訳者としては来日するハリウッドスターや監督たちの通訳を担当。20年以上にわたり、東京国際映画祭での通訳にも携わる。2013年より麗澤大学外国語学部客員教授。

映画と演劇が大好きだった少女時代

長きにわたり、エンターテインメント業界の第一線で活躍してきた鈴木小百合さん。来日するハリウッドスターや映画監督たちの通訳を引き受けるほか、戯曲の翻訳にも携わる。今回のセッションでは、鈴木さんがいかにして通訳者になったか、これまでにどのような仕事を手がけてきたかが語られるとあって、会場には大勢の人が詰めかけた。

父親の仕事の都合で、8歳のときにシドニーへ渡った鈴木さん。1887年に開校した由緒ある名門女学校Kambala Schoolに入学したが、当時は英語がまったく分からなかったそうだ。

「周りの人の話す英語を、耳で聞くところからスタートしました。おやつの時間にポテトチップスやクッキーなどを持っていくと、みんなが『キャナワン、キャナワン』と言うんです。何のことだろうと思ったら、Can I have one?でした。早口で言っていたので、キャナワンと聞こえたんですね」

中学2年生で日本に帰国すると、聖心インターナショナルスクールに入学する。当時から映画や演劇が大好きで、クラブ活動にはもちろん演劇部を選んだ。14カ国から集まった同級生たちと過ごす中で、多種多様な考え方に触れ、バックグラウンドの異なる人たちともうまくやっていけることを学んだ。

卒業後は国際基督教大学(ICU)に進学。ここでも、演劇部のメンバーとして精力的に活動した。映画館にも足しげく通い、年間250本ほどの作品を鑑賞したというから驚きだ。

大学卒業後は広告代理店に入社。2年ほどで退社し、世界各地を旅行して貯金を使い果たしたころ、大学の先輩のつてで通訳のアルバイトを紹介された。

内容は、新宿コマ劇場で行われるマジックショーに向けて、ラスベガスから来日するマジシャンやスタッフの通訳をするというもの。これが、プロ通訳者としての第一歩となった。

舞台通訳と戯曲翻訳に打ち込む日々

マジックショーの通訳では、ハラハラさせられる場面もあったようだ。日本人の演出家とアメリカ人の振り付け師がことごとく衝突し、あるとき、ついに大喧嘩になってしまったというのだ。二人のやりとりをそのまま訳した鈴木さんは責任を感じ、「あれでよかったのか…」「もっとうまいやり方があったんじゃないのか…」と悩んだ。

「でも翌朝、演出家から連絡があって、振り付け師の方と会うから喫茶店に来てほしいと呼ばれました。店に到着すると、二人とも『昨日は言い過ぎたよ』なんてしおらしくしていて。その場でも通訳をしたのですが、演出家の方が『君は心が訳せる通訳だね』と言ってくれたんです。本当にうれしかったですね。通訳者だって人間ですから、時には『こちらの言い分が正しい』などと思うこともありますが、あくまで中立でいることが大切だと感じさせられた出来事でした」

この仕事を皮切りに、さまざまな舞台の通訳を任されるようになる。当時はバブル景気のただ中で、海外から演出家を招くことも多かったそうだ。『レ・ミゼラブル』や『ミス・サイゴン』をはじめとする東宝のミュージカルや、巨匠ピーター・ブルック演出の『マハーバーラタ』など、さまざまな作品に関わった。劇団四季でも、『ライオンキング』のオーディション時より、演出家ジュリー・テイモアの通訳を務めたという。スクリーンには、当時の貴重な写真が何枚も紹介された。

通訳の仕事と並行して、個人的に戯曲翻訳にも取り組んだ。最初に訳したのは、ジョン・パトリック・シャンリィの『お月さまへようこそ』『ダニーと紺碧の海』『マンハッタンの女たち』。これらの作品をぜひ日本で上演したいと考えた鈴木さんは、本国の担当者に連絡。「上演権はプロデューサーにしか渡せない」と言われ、とっさに「私、プロデューサーなんです」と答えてしまう。

何人かの仲間と制作会社を立ち上げ、3作とも上演。「口から出任せ」は、見事に現実となった。ほかにも、井上ひさし作『薮原検校』や劇団四季のオリジナルミュージカルなど、日本の演劇作品が海外公演される際の英語字幕も手がけている。

エンターテインメント業界で大切な「柔軟性」

その後、東京国際映画祭で通訳を依頼されたことをきっかけに、来日するハリウッドスターや監督たちの通訳も請け負うようになった。メリル・ストリープ、ハリソン・フォード、トム・クルーズ、ジョニー・デップ、レオナルド・ディカプリオ、キャメロン・ディアス……。そうそうたる面々と一緒のオフショットが、スクリーンに映し出される。近年は映画会社だけでなく、Netflixなどの配信会社によるオリジナル作品のために、大物俳優が来日するケースもあるそうだ。

「ジョージ・クルーニーはお茶目な人で、私のメモをのぞき込んだり、取り上げたりすることがあるんですよ」「ウィル・スミスはラップが上手で、私にもラップをやれと言うので困ります」「私はハイチェアが苦手なのですが、ある記者会見で慌ててよじ上ったらぐるっと回ってしまい、危うく落ちるところでした」などと、愉快なエピソードがいくつも紹介された。

映画関係の仕事の場合、鈴木さんはどのような準備をして現場に入るのだろうか。

「映画会社からプロダクション・ノーツという資料をいただくので、これを読んでおくのは基本中の基本です。それから、最近ありがたいのはYouTubeがあることです。日本は映画公開のタイミングはたいてい遅いですから、海外ですでに行われたインタビューなどの映像を見て、相手がどんな話し方をする人か、なまりはあるのか、どんなことを言っていたかを事前に知っておくことができます。服の色はたいてい、黒、グレー、紺、ベージュなどを選びます。以前、オレンジ色のジャケットを着ていったら、ジャン=クロード・ヴァン・ダムもまったく同じ色のジャケットを着ていて、気まずい思いをしました(笑)」

セッションの締めくくりに、とっておきの写真が紹介された。1枚目はジュリー・アンドリュースと、2枚目はスティーブン・スピルバーグと仕事をした際に撮った写真だ。ずっと憧れていた人に会えるのは、鈴木さんが「この業界でやってきてよかった」と感じる瞬間の一つだという。 「通訳の仕事をする上で必要なのは、柔軟性です。エンターテインメント業界では特に、いろいろなことが突然変更されます。全部打ち合わせしたのに、タレントさんは勝手に動く。まったく違う立ち位置に行ったりする。どんな状況になっても、臨機応変に対応するスキルが求められます。また、人と人との仕事なので、信頼を得ることが何より大切。どんなにいい通訳をしても、信頼を失ってしまってはいけません」。