【第3回】今日も苦し紛れ!放送通訳のブースから「”State’s largest employer”」

アメリカ大統領選挙は4年に一回おこなわれます。実施年はオリンピックと同じ。放送通訳者にとって、その年の夏は五輪関連のニュースが増え、秋になると大統領選たけなわということになります。

しかし、大統領選挙は投票日のある11月「だけ」ではありません。実はその数年前から戦いは始まっているのです。2020年の「トランプ対バイデン」の時も、ずいぶん前から「指名候補、予備選挙、選挙人団、党員集会」といった選挙関連の訳語ばかりを口にしていました。そして20年11月の投票後に「ふう、やっと終わった」と思ったのもつかの間、すぐに次が始まり、今に至っているという感じです。

来年に迫った大統領選挙、共和党ではすでにトランプ氏が出馬表明していますが、フロリダ州のデサンティス知事の動向も目が離せません。数週間前にデサンティス氏は夫人と共に来日し、岸田総理と会談。林外務大臣は食事会でもてなした様子がニュースになりました。

そのデサンティス知事。かつては「ミニ・トランプ」と言われるほどトランプ氏と近かったのが、このところ距離をとっています。トランプ氏にしてみれば、自分の意向と異なる動きをするデサンティス氏が面白くないのでしょう。最近は辛辣なことばを放っています。

デサンティス知事は2022年の大型ハリケーンの際、復旧や復興でリーダーシップをとったことが称えられてはいます。しかし、その一方でフロリダ州にあるディズニーとの対立が激しさを増しています。その理由は、デサンティス氏がLGBTQなどに対する締め付けを強化したことへのディズニー側の反発。そこからエスカレートしたのでした。

そして4月26日にはとうとうディズニーが知事を提訴。戦いは法廷の場へと持ち込まれることになります。このニュースが流れた際、私はちょうど日本時間27日朝の”Situation Room”を担当していました。番組ではアンカーのウォルフ・ブリッツァーが専門家を迎え、「共和党の知事が、州内の企業と闘うことは珍しいのでは?」という趣旨を尋ねていました。英語では、

“It is not every day that you see a Republican governor locked in a protracted fight with his state’s largest employer, right?”

とありました。この訳文を作る際、私が注目したのは”state’s largest employer”の3語です。「フロリダ州においてディズニーが最大雇用主」であることは頭の中にイメージできていました。一方、同時通訳の際、私は質問者と回答者の間にほんの数秒でも良いので「間(ま)」を置きたいと思っています。そうすることでメリハリがつくからです。そこでこの3語をどうコンパクトに和訳するか?瞬間的に思いついたのが、

「(ディズニーは)州にとってはドル箱ですよね?」

でした。「employer=雇用主」であることは承知の上で、あえて「たくさんの儲けを生む企業」と解釈し、「ドル箱」と訳したのでした。

ここ数年、私自身が「ドル箱」という言葉を日常生活で使ったことは皆無です。でも、なぜこの単語が思いついたのか、まったくもってフシギです。同時通訳をしていると、時々このような「ありがたき不可解」が生じることもあるのですね。そうした「単語よみがえり現象」が楽しいがゆえに、この仕事を続けているのかもしれません。


柴原早苗(しばはら さなえ)

放送通訳者、獨協大学非常勤講師。上智大学卒業。ロンドン大学LSEにて修士号取得。英国BBCワールド勤務を経て現在は国際会議同時通訳およびCNNや民放各局で放送通訳業に従事。2020年米大統領選では大統領・副大統領討論会、バイデン/ハリス氏勝利宣言、大統領就任式などの同時通訳を務めた。NHK「ニュースで英語術」ウェブサイトの日本語訳・解説担当を経て、現在は法人研修や各種コラムも担当。ツイッター(@Addington76)も日々更新中。