【第10回】手話通訳士への道「未熟な社会と未熟な私 Vol.1」
手話通訳を公の働きとして位置づけている手話通訳制度について第6回で紹介しました。
そして、第8回、9回で、憲法の描く社会像と未熟な個人意識、社会意識による現実の姿を考えてみました。
私たち手通訳の担い手は、制度的な位置づけから、より憲法に規定する人権、自由の守り手であり、平等の実践者であることが求められます。
私たち手話通訳の担い手の働きが、目指す社会像と現実の姿のはざまで展開されていることがイメージできたでしょうか。
今回は、未熟な社会でのろう者と未熟な私の手話言語通訳について紹介します。
●ろう者の運転免許
耳が聞こえないことで運転免許が取れない時代(未熟さの一端)がありました。
当時の道路交通法88条には「耳がきこえない者又は口がきけない者」には免許を与えないとする欠格条項がありました。
2001(平成13)年、施行規則には「10メートル離れて90デシベルの警音器の音がきこえるもの」を残したまま道交法を改正し、88条は削除されました。2006(平成18)年、警察庁は、2年後には全く耳が聞こえない者も運転免許が取れるようにしたいと発表しました。
現在、次のような記載が警視庁のホームページにあります。
両耳の聴力(補聴器により補われた聴力を含む)が10メートルの距離で90デシベルの警音器の音が聞こえること。ただし、この条件に該当しない方であっても、特定後写鏡等を取り付けることと聴覚障害者標識を表示することを条件に、準中型免許、普通免許、準中型仮免許、普通仮免許を取得することができます。
(注記)大型自動二輪免許、普通自動二輪免許、小型特殊免許、原付免許の方は、行いません。(適性試験の合格基準 警視庁 (tokyo.lg.jp))更新日2021.8.27
現在、特定後写鏡(ワイドミラー又は補助ミラー)等を取り付けるなど一定の制限の撤廃に向けた取組を進めています。
全日本ろうあ連盟のホームページのトップページ » 連盟について » の運動の成果から簡単に経緯を紹介します。
運転免許
1968(昭和43)年に運転免許獲得第運動を大規模に展開し、国がろう者にも免許取得の是非について検討を始めるきっかけをつくりました。その結果、1973(昭和48)年に補聴器装着を条件とした警察庁通達をかちとりました。また、2006(平成18)年4月に「2年後に道路交通法を改正し、全く聞こえない方にも運転免許がとれるようにしたい」と警察庁が発表しました。運転免許獲得運動は大きく前進しています。
全日本ろうあ連盟 » 運動の成果 (jfd.or.jp)
【運転免許を取得したろう者の声】
長い悲願が達成された。仕事も幅広く出来るようになったのでとてもうれしいことです。
私が手話通訳を担うようになってまだ間もない頃、運転免許の取得が条件付きながら可能となったのです。
これにより、自動車学校(自動車教習所)に通うろう者が増え、自動車教習の手話通訳という新たな領域のニーズの広がりとともにそこに求められる技能が生まれました。
その頃の運転免許取得に係る私手話通訳の様子を紹介します。
まだまだ未熟な私でしたので、その内容も単純なものですので予めご了解ください。
●情けない通訳簡単物語
上記運転免許の適性試験の通訳です。
不安だらけ
私は、適性試験会場で久しぶりに出会ったろう者に、あいさつしました。
川根 :「久しぶり」「元気」「(表情で-でした-)」「か(?)」
ろう者:「そうね」「私」「元気」「!」「あなた」「は(?)」
川根 :「元気」「!」
「免許」「取る」「(表情で-だね-)」「頑張ろうね」
ろう者:「ありがとう」
挨拶が終わるや否や、ろう者は話し始めます。日常、あまり音に関心を持たないろう者です。不安なのでしょう。立て続けに話し続けます。
その要旨は、ろう学校時代は補聴器を付けていたが、今は、ほとんど使っていないので不安だというのです。日常、補聴器で音を聞く経験が少ない。警音器の音は、どんな感じがするのか。音に関する質問の嵐でした。
川根は、聞こえるから、どんな音かわかるだろう。というのです。
確かに私は、音の渦の中で生活しています。
そんなこと言われても説明できないのです。
音を手話で説明できないのです。
私の頭のなかは、できない、できないの嵐でした。
頭を抱えていた私は、何とか立ち直り、
川根 :「説明」「無理」
ろう者:「なぜ」
「あなた」「聞こえる」「音」「わかる」
川根 :「音」「説明」「難しい」
ろう者:・・・。
聞き取れるか不安なろう者を、さらに不安にさせてしまったのです。
(実は、今でも音を表現するのは苦手というより、ほとんどできないといった方が良い、私です。)
10メートル離れて90デシベルが聞こえるか?
適性試験では、音源の10m先にろう者が立っています。
私は、音源の側に立っていました。
試験官が試験概要を説明したと思うのですがその内容は記憶していませんので、印象に残っていることだけ紹介します。
Aさんは、
学生の頃のように聞こえた。と言いました。その表現は次のようでした。
Aさん:「向こう(指差し)」「音」「伝わる(手のひらをひらひらさせながら向こうから
こちらに来るしぐさ)」「聞こえる」
Bさんは、
私のしぐさを見て聞こえたと合図したのだと言いました。
その話は、次の通りでした。
Bさん:「あなた(指差し)」「顔(顔を少し前に出すしぐさ)」「そうだ(手をたたくしぐ
さ)」「音・聞こえる」「合図」
私は、音がした瞬間に大丈夫かなと心配になり、思わず身(顔)を乗り出してしまったのでしょう。
ろう者は目ざとく、私のしぐさから音が出ていると判断したのです。
聞こえることが前提の社会で、たくましく生きるろう者の姿の一端です。
音を通訳する。これも通訳なのだと自分を慰めたりしている情けない通訳者、川根です。
などと話をすり替えてはいけないですね。
さて、今回はこの辺にして、次回は自動車学校(自動車教習所)の通訳からはじめようと思います。
次回も情けない通訳者編です。
川根紀夫(かわね のりお)
手話通訳士。1974年、聴覚障害者福祉と手話言語通訳者の社会的地位の向上のため、手話言語、手話言語通訳や聴覚障害者問題の研究・運動を行う全国組織である「全国手話通訳問題研究会」の誕生に伴い、会員に。1976年、手話言語通訳の出来るケースワーカーとして千葉県佐倉市役所に入職。1989年、第1回手話通訳技能認定(手話通訳士)試験(厚生労働大臣認定)が始まり、1991年には、手話通訳士の資質および専門的技術の向上と、手話通訳制度の発展に寄与することを目的に「一般社団法人(現)日本手話通訳士協会」が設立され、1993年、理事に就任。日本手話通訳学会、日本早期認知症学会、自治体学会に所属。第4回JACI特別功労賞受賞者。