【第17回】手話通訳士への道「私を支えた『運動・人・実践』」
私が手話通訳士への道を歩み続けられたのは、ゆがんだ人間観、社会観といった自分自身のゆがみと向き合うことを余儀なくされた通訳実践のおかげです。つまづいたり、自己嫌悪に陥ったりしたとき、いつも私を救ってくれたのは、ろう(障害)運動、手話通訳運動などに係る障害のある人はじめ多くの仲間たちでした。そして、社会のゆがみに対しては、行政施策の見直しや運動側に返す取り組みが用意され、ろう者の人権をめぐる運動と通訳実践とのキャッチボールがあったからです。
さらに、私が関わってきた事例(実践)について、職場内でのカンファレンスや研修会等で整理・共有する高めあいあり、これら恵まれた環境のおかげなのです。
このことは今日まで、「ろう者と共にありたい」という思い、聴覚障害者の基本的人権の保障を目的とする「ろう運動」、聴覚障害者福祉と手話言語通訳者の社会的地位の向上、そして、手話言語通訳の普及発展を目指す「手話通訳運動」が作り上げてきたものなのです。
おそらく、私だけに用意されているものではなく、多くの手話通訳の担い手に用意されているもので、わが国の特徴ともいえるものだと思います。
手話言語通訳の担い手の組織化を重視し、手話言語通訳士・者のあり方、手話言語通訳のあり方、手話言語通訳士・者の動き方、手話言語通訳のやり方を深め、発展させてきた運動の存在が低い社会的評価、不十分な身分保障にもかかわらず手話言語通訳を発展させてきたのです。
私の「手話通訳士への道」を支えてくれたのは「運動」「人」「通訳実践」の3つの柱なのです。私に素晴らしい人生をプレゼントしてくれた「運動」「人」「通訳実践」に感謝です。
そこで、人は別として、「運動」、「通訳実践」というには大きすぎるので「通訳事例」を柱にこれまでの連載を振り返ってみます。
1.運動
●手話についての基本的な考え方
・第2回で『手話を「日本手話」「日本語対応手話」と分け、そのことにより聞こえない人や聞こえにくい人、手話通訳者を含めた聞こえる人を分け隔てることがあってはならない』とする手話についての考え方
●手話通訳制度の下となった願い
・第3回では、後に手話通訳制度への願いに広がることとなった1963年の「ろうあ者専任福祉司制度を求める全国ろうあ者大会のスローガン」
●手話通訳者養成をすり替え手話奉仕員養成に
・第4回では、手話通訳者の養成を手話奉仕員養成にすり替えたことに対する指摘
●手話言語法制定運動と旧優性保護法
・第8回では5つの権利を柱とする手話言語法制定運動と障害者はいない方が良いとすることを法定化した旧優性保護法問題
●未熟な行政サービス
・第9回、15回では未熟な手話通訳制度をめぐる高松市を相手取った裁判
●運転免許の獲得
・第10回では耳のきこえない者の運転免許問題
●手話通訳の理念
・第11回では、第8回世界ろう者会議提出論文から我が国の手話通訳の理念
2.通訳事例
●ゆがんだ障害者観
・連載の第8回で紹介した「他人を出し抜いて利を得る」という厳しい現実の社会の影響を受けた長男が、ろうの弟を心配し、相続放棄を迫る相続場面
・連載の第16回で紹介した「学校行事に参加できず(親育ちの機会を奪われたしまった)にいた、ろうの両親」学校通訳場面
●恩恵的な行政サービス
・連載の第9回、15回で紹介した市外の通訳派遣は認められないとしたことに対する裁判事例
・連載の第15回で紹介した「手話言語通訳依頼の日程変更」をお願いする場面、「周知義務」をめぐる裁判事例
・連載の第16回で紹介した「対象が通訳を必要とする人ではなく、障害や年齢で限定」するろうの子どもの学校通訳場面
●聞こえることが前提の社会で生きるろう者
・連載11で紹介した「手話通訳者はそばにいてくれるだけでいい」と話すろう者
こうしてみると各回のつながりが乱雑なのがよくわかります。若干弁解させていただくと、各回ごとに手話通訳について何かを感じ取ってほしいと思っていた結果なのです。
しかし、そろそろ終盤なので、まとめの意味で、次のような柱建てで進めていくことに心がけたいと思っていますが、脱線する可能性が大なのでその点はご理解ください。
1.目指す社会と未熟な社会
2.手話通訳のあり方
3.手話通訳士・者のあり方
4.手話通訳士・者の動き方
5.手話通訳のやり方
では、まとめに入る前に、ベースとなる「人権としての手話通訳」について紹介します。
人権としての手話通訳という考え方の始まりは、京都府立ろう学校教諭で手話通訳運動に尽力した故伊東雋祐さんの取組によるところが大きいことは誰もが認めることだと思います。
伊東さんは、ヘレンケラーさんが亡くなった数日後に福島県で全国ろうあ者大会と併行開催された第1回全国手話通訳者会議で「ろうあ者の権利を守る通訳を〔通訳論〕」を発表しています。その内容の一部を引用して紹介します。
手話通訳の役割について、「時をおかぬ、直ちの反論や主張こそ、対面場面における平等な相互理解の方途であるからだ。この意味で通訳活動こそは、対話や会議内容の即時的伝達路であり、ろうあ者がする発言や主張の原動力である。民主主義にとって自由な言論はその基礎であり、民主主義に基づく社会に生きるろうあ者にとって通訳活動は、この人たちが主体的に生き、社会との連帯の中に生きるための重要な役割を担うのである。」とし、「試論として通訳活動が持つ様々な使命・立場の側面を次の五つの領域に整理して提起し、諸賢のご批判を仰ぎたいと思う。
(1)ろうあ者の権利を守り、共同の権利主張者としての領域
(2)一般的なろうあ者問題、および個々のろうあ者のもつ事例の理解者、受容者進んでは
問題探究者としての領域
(3)ろうあ運動の発展と展開の中に参加し、他の障害者の生活と権利を守る運動、ひいて
は民主的な国民運動との連帯の中に立つ領域
(4)ろうあ者一人ひとりの問題や要求に学び則して行動し、生活や職業の相談活動を行う
領域
(5)手話や指話、筆談の技術をたえず学習し、それらを含めて伝達技術を変革していく領
域」(日本聴力障害者新聞昭和43年7月1日手話通訳をめぐる二試論より)
と、手話通訳の理念、倫理的行動、職業的領域について提起しています。
今でも輝きを放っている視点だと思いますが皆さんはどう思いますか。
川根紀夫(かわね のりお)
手話通訳士。1974年、聴覚障害者福祉と手話言語通訳者の社会的地位の向上のため、手話言語、手話言語通訳や聴覚障害者問題の研究・運動を行う全国組織である「全国手話通訳問題研究会」の誕生に伴い、会員に。1976年、手話言語通訳の出来るケースワーカーとして千葉県佐倉市役所に入職。1989年、第1回手話通訳技能認定(手話通訳士)試験(厚生労働大臣認定)が始まり、1991年には、手話通訳士の資質および専門的技術の向上と、手話通訳制度の発展に寄与することを目的に「一般社団法人(現)日本手話通訳士協会」が設立され、1993年、理事に就任。日本手話通訳学会、日本早期認知症学会、自治体学会に所属。第4回JACI特別功労賞受賞者。