【第13回】駆け出しのころ「小学生の頃に始まった夢の途中」

「私はプロになれるのだろうか」「いまやっていることは本当に役に立つのだろうか」―デビュー前に誰もが抱く不安、期待、焦燥。本連載はプロ通訳者の駆け出しのころを本人の素直な言葉で綴ります。

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テレビの向こう側で同じ言語を話さない2者を繋ぐその存在に初めて憧れを抱いたのは小学生の頃です。それまでは何故か「将来の夢がないとかっこ悪い」と信じていて、毎年のように夢をコロコロ変えていた私ですが、以来「通翻訳者になりたい」という夢が変わることはありませんでした。約15年を経て、社内通翻訳者として「駆け出す」ことができたのは感慨深いです。通訳歴・社会人歴ともに1年未満の未熟者ですが、院時代のことを中心に綴っていきたいと思います。

若いうちに基礎を固めたく第一志望に定めたミドルベリー国際大学院モントレー校(MIIS)に合格したは良いものの、金銭的にとても迷いました。実際に目で見て決めるしかないと、合格者見学会に参加したのがちょうど3年前の春。終始ワクワクしてしまった心には逆らえず、未来への投資と決めて学生ローンを借りての進学を決意しました。

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(写真:大学院入学式。新入生の出身国の国旗を掲げての行進で日本国旗の旗手を担当)

そうして2017年秋より晴れて院生活が始まったわけですが、一言で言えば撃沈続きの2年間でした。授業が始まってみると、アメリカ生活6年目ということを教授に疑われるほど、米文化・政治への疎さが露呈したのです。一般教養課程で米文学や歴史の授業も受講していたものの、多言語・文化を介した学問の面白さにのめり込み、大学時代は専ら言語学、英訳で学ぶアジア文学、邦画などの授業を熱心に受けていました。すると、アメリカに居ながらにして(英語は話せるようになったものの)アメリカそのものには疎いまま卒業してしまったのです。アメリカ人なら誰もが知っている有名人やドラマなどの固有名詞も聞き取れず、聞き取れたところで意味がわからず、特に英日通訳の授業は毎回「今日はどんな恥をかくんだろう」と足が重かったものです。これではいけないと、毎日移動中は常にPodcastでニュースを聴いてリスニング力と知識の向上に努めつつ、授業外ではとにかく練習会を重ね、息抜きもすべて英語のドラマ鑑賞にすることで休みながらもポップカルチャーを学ぶという生活に切り替えました。

ところで、私が通訳や翻訳で好きなところは「何を学んでも無駄にならない」ことです。英訳された邦画や日本文学を学んだ学部時代の経験も、日本語、日本人の考え方、日本文化のルーツや特徴について掘り下げるという意味では、通翻訳者としても、一日本人としても、決して無駄な時間ではなく、非常に貴重な財産になったと感じています(邦画鑑賞という趣味を得たことも人生において大きな出会いでした)。

日本語プログラムの同期は、社内通訳経験者、外交官、JET経験者など、一度社会に出てから入学している方が多く、私は最年少。通訳の実務経験、社会人経験、英語力などすべてにおいて周りから学び放題だったので、そういう意味ではラッキーでした。他にも、在学期間を通して日本や台湾の外交官と授業内外で交流する機会があったり、他プログラムの院生による日本での実地研究に通訳同行したりと、MIISの2年間に投資をして良かったと心から思える多くの 経験、出会いに恵まれました。現在新卒で社内通訳として働く中で、やはり社会人経験の無さは痛い、と思う場面も多々ありますが、大学からそのまま大学院に進んだ身として言えることは、経験がなかったからこそすべてが学びになり、2年間で本当に多くを吸収できたということです。

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(写真:息抜きによく撮っていたモントレー市内の写真。毎日通っていた道からの眺め)

その年の日本語翻訳通訳専攻は私1人だったため、特に2学期目からの通訳の授業は基本的にほぼ個人レッスン状態でした。厳しい先生でしたが、「失敗するのは当たり前。今できないことをできるようになるために学校に来ているんだから」との言葉のおかげで、「落ち込んでいる暇があるなら向上するための努力をしよう」と吹っ切れることができ、卒業まで何とかこぎつけることができました。思えば、他の言語プログラムと同じ学費を払ってマンツーマンレッスンなんて、その年MIISで一番学費の元を取っていたのは私かもしれません。

1年次終了後には自動車メーカーの社内通翻訳者としてオハイオでサマーインターンを経験しました。自動車の知識は皆無だったため、夏前は「行くのが怖い」と周りに泣きついていましたが、レベルの高い通訳をする先輩方や、通訳の難しさを理解し配慮して下さる社員の方々を見て、初日が終わる頃にはこれから始まる3ヶ月間にワクワクしました。会議前は緊張してお腹が痛くなったり、特に苦手だったエンジン関係の会議後に自席に戻るエレベーターの中で泣きたくなったりと、ここでも撃沈続きではありましたが、わからなかった単語はすべて書き出して調べ、次の会議の事前資料を読み込みながら少しずつ感覚を掴んでいくことで、確実に前に進んでいる実感があり、社内通訳の醍醐味を見た気がしました。

知り合いもいない土地で、運転が苦手なのに車社会で過ごす週末の寂しさを教えてくれたのもこのインターンです。3ヶ月で20本ほど映画を見たのでそれもそれで楽しかったですが、卒業後は公共交通機関が発達した場所で働こうと心に決めました。

就活で受けたのは結果的に翻訳会社と現職のIT企業の2社のみでした。現職の会社はチームマネージャーがMIIS出身だったことで教授が採用情報を知り、私に教えてくれたのが応募のきっかけでした。アメリカにいるうちに遠隔で選考を進めてくれる会社を受け、縁がなければ帰国してから就活しようと思っていましたが、新卒採用経験がないチームだったにも拘らず、私の伸び代を見込んでくださり、卒業前に進路を確定することができました。職場の雰囲気も良く、丁寧にサポート・教育いただいており、1日も早く一人前になってチームに報いていけるよう、毎回の会議通訳や翻訳に全力で取り組む毎日です。

今はまだ、社内通訳という職業すら知らなかった15年前に始まった夢の途中です。次の15年でなりたい通翻訳者像は明確に描けてはいないものの、スティーブ・ジョブズのConnecting the dotsではありませんが、目の前の会議を誠実に訳していくことが次のキャリアステップに繋がることを信じ、考えることと学ぶことだけは止めずに駆け出しらしく邁進していきたいと思います。


福谷昌子(ふくたに まさこ) 2019年デビュー
東京都出身。一般教養課程人文学専攻で米大学卒業後、ミドルベリー国際大学院モントレー校にて日本語翻訳通訳修士号を取得。2019年6月、日本会議通訳者協会(JACI)主催の第2回同時通訳グランプリ学生の部で準グランプリ受賞。同年7月より現職のIT企業に社内通翻訳者として入社。