【第20回】駆け出しのころ「幸運の女神には、前髪しかない。」

「私はプロになれるのだろうか」「いまやっていることは本当に役に立つのだろうか」―デビュー前に誰もが抱く不安、期待、焦燥。本連載はプロ通訳者の駆け出しのころを本人の素直な言葉で綴ります。

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どのようにして通訳になったのか、それまでの経緯を話します。デビュー前は普通に会社勤めをしておりました。映画業界で映画バイヤーや渉外に関わる仕事に10年ほど携わっておりました。もともと映画が好きで、やりがいのある仕事だったのですが、自分にはより職人的な仕事が合うのではないかとずっと悩んでおりました。映画業界で活躍する通訳者の仕事には前から興味があったこともあり、ひとまず通訳スクールの門を叩いてみることにしました。

入学テストの成績があまり良くなかったためか、学校は基礎コースからのスタートとなりました。それまで英語には自信があったのですが、通訳の勉強を始めてみて、自分の言いたいことを言うのと、他の人の真意を汲んで表現するのとでは全く異なることに気づかされました。はじめて挑む本格的な訓練は相当神経を使うもので、4時間集中型の授業を終えた帰り道では手が震えていたことを覚えています。

通訳スクールを卒業し、通訳デビューを果たして一年弱が経ったころ、偶然電車の中で知人の女性と会いました。この女性は映画作家、評論家、ジャーナリストとして活躍している上に大学で映画論を教えるなど、とてつもない才女なのです。昔、ある監督の仕事で一度ご一緒したことがきっかけで、たまに食事にいったりするなどゆるやかな交流が続いていました。その時は確か数年ぶりの再会だったと記憶しています。彼女に近況を聞かれ、「独立をして通訳の仕事を始めたところ」などと説明する程度の立ち話でその日は終わったのですが、それがきっかけで、後日久々に食事をご一緒することになりました。

食事中に彼女は「実は、急遽ベニチオ・デル・トロと新藤兼人監督との対談が実現して、現場の取り仕切りお願いされているのだけれど、これから通訳を手配しないといけない。困った、困った。」などと困惑の表情でお話をされるので、私は、これはチャンス!と「それなら、私にやらせてください」と即座に手を上げたのでした。随分無謀なことをしたものです。

ベニチオ・デル・トロはスティーブン・ソダーバーグ監督による傑作『トラフィック』でアカデミー賞助演男優賞を受賞した実力派俳優であることは多くの方がご存知でしょう。新藤兼人監督は日本のインディペンデント映画の先駆者にして、監督作品49本、脚本370本という、後世に多大な影響を与えた当時98歳の巨匠中の巨匠です。

そこで、私は新藤監督の書籍や資料を読み込んだり、作品を十数本見たり、話に出ると予測される黒澤明監督、小津安二郎監督、溝口健二監督、そのほか昭和初期から中期にかけての日本映画全般を勉強するなどして準備にあたりました。与えられた時間は1週間程度だったと記憶しています。作品を見進め、関連資料・書籍を読み進めていくにつれ、ことの重大さが身にのしかかってきました。通訳者としてまだまだ実績を積めていないのに何という恐ろしい仕事を引き受けてしまったんだと酷く後悔の念にかられました。一方、映画業界で10年間働いてきたし、通訳学校で3年間一生懸命訓練してきたのだから、なんとかなると自分で自分の背中を押すしかありませんでした。

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(写真:現場に持ち込んだ書籍とメモ。ベニチオはこの本を手に取り「日本の本は紙も装丁も綺麗だね」とニコニコしながらページをパラパラ捲っていった。その後ベニチオの働きかけでこの書籍の英訳企画が実現した)

対談当日。対面する巨匠と大物俳優はともに映画作りに何十年も従事してきた情熱に溢れるお二人です。対談は大いに盛り上がりました。話が進むにつれ監督のお話がどんどん長くなっていき、リテンション限界ギリギリの線でなんとか食らいついていきました。終盤あたりで文学や小説の話になり、新藤監督が「日本には夏目漱石という作家がいてね…」と言い出されて漱石の生い立ちや留学時代のことについて語りだされたかと思うと、今度は「それでこの漱石が書いた『こころ』という小説があってね…」と「こころ」のあらすじについて一気に話される。それを私が訳し終えると、「それとね。ドストエフスキー。ドストエフスキーの『罪と罰』の話をしよう。主人公のラスコーリニコフはね…」と今度は「罪と罰」のあらすじについて一気に話されるのでした。そんな綱渡りの収録は3時間に及び無事終了を迎えました。私は誤訳しまいと必死で、顔も体も緊張の連続でした。相当無様な姿を晒したのではないかと想像するのですが、なんとか役割を果たすことができました。

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(写真:対談の企画者が撮影してくださった収録現場)

この対談に声をかけてださった知人の女性は、実は、FCCJ(外国特派員協会)で映画関係の記者会見を開催するフィルム・コミティーのオーガナイザーでもあります。彼女はこの対談の通訳を評価してくださり、その後、定期的にFCCJの記者会見通訳を担当させて頂くことになりました。さらには、FCCJと東京国際映画祭が共催する会見の通訳を仰せつかることになりました。そして、それがきっかけとなり、東京国際映画祭で毎年通訳をさせて頂くこととなりました。

芸能・芸術界の通訳はエージェンシーを介しての依頼がほとんどなく、クライアントとの直取引がほとんどです。従って、一件一件を丁寧にこなし、「この人なら安心して任せられる」という信頼を蓄積していくほかありません。そうしていると、自分の知らないところで取引先がまた別の取引先に推薦してくださったり、先輩通訳が名前を挙げてくれたりするということが起き、仕事がつながっていきます。

通訳業を始めて12年目に突入したところですが、このような周りの推薦やお声かけなくしては成立し得ない事を考えると、心の底からありがたい気持ちになります。また、舞い込んできた好機をさっと拾えるよう、常に体制を整えておきたいと思いながら日々研鑽を積んでおります。「幸運の女神には、前髪しかない」というのは言い得て妙と思います。

Fortune favors the well prepared. Fortune favors the bold.


今井美穂子(いまい みほこ) 2009年デビュー
上智大学外国語学部卒。映画配給に10年間携わった後、通訳者養成学校を卒業した翌年にフリーランス通訳者に転向。現在は通訳者として映画、芸能、芸術を中心に活動する傍ら、通訳者養成学校で後進の指導にあたっている。芸能通訳者としては、来日イベントや国際映画祭での記者会見、舞台挨拶、レッドカーペット、取材での通訳を10年以上にわたり担当。過去に通訳した著名人には(以下敬称略)マーティン・スコセッシ、クリストファー・ノーラン、キアヌ・リーブス、岩井俊二、塚本晋也、仲代達也、渡辺謙がいる。