【第28回】駆け出しのころ「同時通訳の思い出は、ビールとともに」

「私はプロになれるのだろうか」「いまやっていることは本当に役に立つのだろうか」―デビュー前に誰もが抱く不安、期待、焦燥。本連載はプロ通訳者の駆け出しのころを本人の素直な言葉で綴ります。

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エルビーニア ユリアの人生を形成した幼少~学生時代
「私は~です」と一人称で訳そうか、それとも「この人は~と言っています」と話し始めるべきか。名古屋の小学校で全校児童を前に、11歳の私は一瞬考えました。そう、これが私の「なんちゃって通訳デビュー」です。日本で生まれた後、父の駐在のため約十年間を海外で過ごした私は、帰国後すぐに地元の小学校へ。その後、現地で通っていた英国系インターナショナルスクールの先生が旅行で来日。行動派の母が、勝手に地元の小学校と交渉をし、外国人先生の「日本の小学校視察会」が実現、あれよあれよという間に私は「通訳者」に仕立てられたのです。子供じみた英語と日本語で、通訳とは言い難いパフォーマンスだったことと思います。まさか数十年後に、通訳業で生計を立てることになるとは夢にも思っていませんでした。

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筆者は中央。多民族多国籍の児童がいたインターナショナルスクール

次に「通訳」を身近に感じたのは、学生の頃。在籍していた大学が一財を投じて、なんとあのノーベル賞受賞者の大江健三郎氏(文学賞)とアマルティア・セン氏(経済学賞)を招待し、対談セミナーを開催することになったのです。貴重なお話を聴講するため、ゼミ仲間と一緒に会場へ足を運びました。人生で初めて、同時通訳用の受信機を手に取ったのはその時です。興味津々の私は、会場から流れるセン氏の英語と、受信機から流れる日本語とを交互に聞いていたのを覚えています。

この経験が通訳者になる動機づけとなったかというと、答えはノーです。大学生の私は、スペインの地中海沿岸都市に留学をし、ラテンのノリで先のことをあまり考えずに四年生の初夏に帰国。当時は就職氷河期で、当然就職には間に合いません。ゼミの先生のご助言をいただき、大学院に進学し国際開発学を専攻することになりました。外国人留学生と日本人学生との比率がほぼ半分の研究科では講義の多くが英語で実施されており、学部でスペイン語専攻だった私は、久々に英語の世界に引き戻されました。将来は国際機関に勤めたいとぼんやり描き始めていたのですが、同じ研究科の外国人留学生と意気投合し、そのままスピード結婚、出産。私の「国際機関の職員になる」という夢は、夫が実現する形となりました。

社会人、インハウス通訳時代
その後紆余曲折を経て、ITベンチャー企業、翻訳・通訳エージェント、総合商社に勤めることとなります。今振り返ると、これらの企業での経験が、「フリーの通訳者になりたい」という思いとそれを実現するのに必要なスキル形成の重要なステップになったのだと思います。

ベンチャー企業では入社間もない頃から取締役会の通訳をさせていただきました。当時は通訳ノートテイキングの指導も受けておらず、逐次通訳のメモ取りは自己流。その後に転職をしたエージェントは、主に翻訳業に従事するアットホームな企業でしたが、通訳案件受注時には登録通訳者ではなく社員の私をアサインしてくださることもあり、そのおかげで愛知県特有の製造現場での通訳や、法律相談通訳、イベント通訳などの分野で実績を積むことができました。

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ワールドカップバレーボール会場にて

商社では、トレーディングや輸出入業務ではなく、希少金属資源の開発を担う部署に配属。部署でアルゼンチンのプロジェクトを進めていたこともあり、英語だけでなくスペイン語を使う機会もあり大変やりがいを感じていました。また、インハウス通訳者でありながらも、当時の部長がいろいろなことをさせてくださり、通訳や翻訳だけでなく、海外法人の立ち上げ、部署内の財務管理のお手伝いなどを経験する機会にも恵まれました。この頃に取得した簿記の資格、トップレベル間での調印式などの経験から学んだ外交プロトコールの知識は、今でも大変役立っています。商社で働き続けるという選択肢も視野にありましたが、子どもが小学生になるのを機に独立してフリーランスに転身することを決意しました。

フリーランス通訳者になって
個人事業主になった直後は子どもが小さかったこともあり、主に翻訳業に従事。とはいえ、元来家でじっとしているタイプではない私は、すぐに通訳に出たいと思うようになり、逐次通訳を引き受ける傍らで同時通訳の勉強を始めました。私の同時通訳デビューは、地元大手企業のグローバル調達会議、三人体制の案件です。幸いにも、指導をしてくださっていた師匠、そしてよく知っている先輩通訳者さんとご一緒で、恵まれた環境でのデビュー戦となりました。業務終了後、師匠からは「一度も止まることなくよくやり切ったわね。でも、言葉の合間を“え~”でつなぐのは良くないわ」というコメント。今でもご一緒すると、師匠は業務後に私のパフォーマンスをご指摘、時には褒めてくださり大変良い刺激となっています。

さて、このデビュー戦の思い出は美味しいビールとともに締めくくられています。その日、案件終了後に三人でタクシーに乗って最寄り駅に向かうはずでした。夕方は渋滞がひどい地域で、配車依頼をするもタクシーが到着するまでは一時間かかるとのこと。「せっかくだからユリアさんのデビュー戦をお祝いしましょう」という師匠のお声掛けでタクシーを待つ間、会場から歩いて数分の居酒屋さんで飲むことになったのです。決して上出来とは言えなかった初の同時通訳案件ですが、サポートしてくださった先輩方に囲まれてやり切った達成感と共にいただいた生ビールの味、いまでも忘れられません!

以来、様々な実績を積みながら日々精進。現在は、国内はもとより海外案件も積極的に引き受けながら通訳者としての人生を謳歌中です。

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最近の筆者

エルビーニア ユリア(えるびーにあ ゆりあ) 2005年デビュー
日本生まれ、東南アジア育ちの日英会議通訳者。名古屋大学大学院国際開発研究科修了。社内通訳を経て、2011年にフリーランスに転身。主に自動車、経営コンサルタント、製薬関連の案件を得意とする。国際開発、国際協力分野での修士号を活かし、今後は国際会議案件をさらに増やしながら、いつかはダボス会議で通訳をしたいという夢を描く。