【第3回】駆け出しのころ「昨日より今日、今日より明日」

「私はプロになれるのだろうか」「いまやっていることは本当に役に立つのだろうか」―デビュー前に誰もが抱く不安、期待、焦燥。本連載はプロ通訳者の駆け出しのころを本人の素直な言葉で綴ります。

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「通訳者になりたい。」ぼんやりだけどそう思ったのは高校生の時でした。
きっかけは覚えていませんが、学校の授業で英語が得意で、英語を使って仕事がしたいと思った、そのくらいの気持ちだったと思います。あれから随分時間が経ちましたが、今こうして憧れていた仕事をできるというのは、なんて幸せなことだろうと思います。

福岡での派遣時代

これを駆け出しと呼べるのかどうかは別として、また実際通訳者になってからの年数には含めていませんが、この時期は私の通訳者としてのスタートを語る上で外せません。

この頃、地元福岡で派遣社員として働きながら通訳学校に通っていましたが、実績ゼロの人が経験を積む場が東京と比較して極端に少ない状況でした。頑張って勉強してはいるけど、仕事でバリバリ通訳できる日は来るのだろうかと悶々とする日々が続きました。一応名目上は「通訳・翻訳」というポジションで働いていた派遣の職場では、最初の頃こそ片手で数えられるほどの通訳のチャンスは巡ってきたものの、徐々に通訳・翻訳の業務がなくなり、営業アシスタントのような状況になっていました。

東京での社内通訳時代

そんな福岡での悶々とする日々から抜け出すべく、一念発起して上京しました。思い立ったら吉日、猪突猛進するタイプなので、周りの心配もよそに即決断しました。働き口も見つかっていない状態でとりあえず住むところだけ確保して飛び出しましたが、無事決まった就職先では本当に良い出会いに恵まれ、社内通訳として色々な経験をさせてもらいました。東京で通用しなかったら諦めようという思いでしたが、幸いにも通訳として仕事ができる喜びを噛みしめる日々でした。初めてのブースでの同通の時には資料を持つ手が震えて、パートナーがその手を押さえてくれたのを鮮明に覚えています。東京での色々な経験や出会いがなければ今の自分はなかったと思います。

フリーランスとしての駆け出し

その後、結婚で愛知に引っ越したのを機にフリーランスに転向しました。知り合いもいない、エージェントも大手以外はどういうところがあるのかよく分からないという状況でしたが、インターネットで検索して見つけた派遣会社の単発通訳案件に応募し、自動車部品メーカーの現場から私のフリーランス通訳者としてのキャリアが始まりました。最初の1年は製造現場の通訳が多く、体力的に辛いこともありました。設備の音で声が聞こえない上に訳す時も大声を出さないといけないし、資料などは全くありません。事前に自分で調べて勉強できる範囲で準備するくらいしかできませんでした。でもこの最初の1年は、この地域で通訳をやっていく上でなくてはならない時間だったと思います。あの時の経験が今、メーカー系の会議の通訳をする上で大いに役立っているのは間違いありません。

その一方で、東京で一緒に社内通訳をしていた友人も同時期か少し前にフリーランスになり、彼女たちが着実に通訳者としてのキャリアを重ねていくのを見て焦りもありました。自分も会議の通訳がしたい、そんな思いがずっとありました。そんな中、登録していた派遣会社から会議通訳の依頼がぽつりぽつりと入り出します。その時にご一緒させて頂くようになった先輩方にエージェントを紹介してもらったりして、少しずつ登録も知り合いも増えていきました。すごく面倒見のいい先輩がいて、同時通訳中に詰まってしまった時にはすがるような目で訴えて代わってもらったことも数知れず……。プロ失格で、今となっては恥ずかしいばかりですが、その先輩には大変感謝しています。

フリーランス3年目
(写真:フリーランス3年目のころ。大学にて講演の逐次通訳)

そんなこんなで少しずつ経験を積み、エージェントの登録も増やし、そこからまた仕事の幅が広がっていきました。

前述の社内通訳をしていた会社からは、フリーランスになった今でも年1回開催される「グループサミット」なる国内外の責任者が集まるグローバル会議の通訳に呼んでもらっています。嬉しい反面、「成長した姿を見せなければ」という変な力が入ってしまうようで、特に最初の年はかなり緊張しました。

会議は毎年異なる国で開催されますが、最初に参加したのはベトナムのハノイでした。全日程を終え、最終日は移動だけでフライトは夕方だったので、午前中はホテルでマッサージをしてもらい優雅に過ごしていました。ところが夕方空港で搭乗を待っている間に何だか気分が悪くなってきたのです。どうしようと思っている間にいよいよ搭乗案内が。自分の席に着いてすぐにトイレに駆け込みましたが、離陸の時にも治まらず、CAさんがドアを叩いて「席に戻って!」と叫ぶのに対し、「I’m sick!!」と返答するのがやっとでした。離陸後しばらくしてようやく自分の席に戻り、日本に到着するまでぐったりの状態でした。今思えば、変な緊張が解けて、ホッとしたのだと思います。初めての海外出張はそんなトホホな思いで幕を閉じたのですが、有難いことにその後もその会議には毎年呼んでもらっています。さすがにあの時程の緊張や身体的異常を来たすことはありませんが、やはり「成長した姿を見せなければ」という思いは今でもあり、他で請ける仕事とは違う緊張感があります。

振り返ってみると、フリーランスになりたての頃は、仕事の波が途切れた時に体調を崩すことが多かった気がします。今では図太くなって風邪もほとんど引かなくなりました。良い意味で力を抜くところが分かるようになったのだと思います。

ハノイのホテルにて
(写真:ハノイのホテルに設置された仮設ブースにて社内通訳時代の元同僚と)

「英語が好き」「通訳ってかっこいいな」という思いから始まり、憧れていた職業を仕事にすることができるのは本当に幸せなことだと思います。上を見たらきりがないし、失敗や落ち込むこともたくさんあります。駆け出しの、まだ若くて経験がなかったからこその根拠のない自信や勢いがあった頃の自分が羨ましくなることもあります。それでも一度もこの仕事を辞めたいと思ったことはありません。日々新しい出会いや学びがあるこの素晴らしい通訳人生をこれからも邁進していきたいと思います。


原 由佳(はら ゆか) 2007年デビュー
フリーランス通訳者。大学卒業後、ワーキングホリデーにて渡英。福岡で通訳スクールに通い、その後東京で機械メーカーでの社内通訳を経て、2013年からフリーランス通訳者として活動。得意分野は自動車、機械系。現在は、東海地方だけでなく東京でも活動中。