【第30回】駆け出しのころ「音楽と英語~ふたつの『好き』を仕事にして」

「私はプロになれるのだろうか」「いまやっていることは本当に役に立つのだろうか」―デビュー前に誰もが抱く不安、期待、焦燥。本連載はプロ通訳者の駆け出しのころを本人の素直な言葉で綴ります。

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誰しも、子供の頃にはキラキラした夢を持っていたと思います。好きなこと、やりたいことを口に出し続けていたら、たくさん仲間ができて、いつの間にか世界が広がり、夢の実現に近づいていた。そんな経験を少しずつ重ねながら、たくさんの素敵な出会いがあり、今につながってきました。

学生の頃の私は、世間一般から見たら、明らかに「普通」の女子とは違いました。中学生のときに洋楽に出会い、ハードロック・ヘヴィメタルにハマり、当時の夢は音楽雑誌の記者になることでした。中学の卒業文集には「洋楽雑誌の記者になって、ミュージシャンに英語でインタビューしたい」と書いていました。この頃から、たくさんのメタル仲間に囲まれて、メタル漬けの学生生活を謳歌していました。

また、中学の頃から英語が大好きで、高校で一年弱の交換留学を経験し、外大の学部と大学院に進学しました。英文法や語法の面白さに夢中になり、大学院では英語学を専攻しました。このとき言語学の基礎を学んだこと、英語で修士論文を書いたことは、その後通訳翻訳の仕事をする上で、大いに役立ちました。

初めて通訳という職業を意識したのは、外資系製薬会社の研究所に勤めていたときでした。最初は新薬の申請書類の翻訳サポートという仕事で、このとき初めて専門的な翻訳を経験し、心から面白いと感じました。その後、社内異動で別の職種に変わりましたが、優秀な研究者と働く日々の中で、知的好奇心が大いに刺激され、自分も専門職に就きたいと強く思うようになりました。通訳学校の門を叩いたのもこの頃です。

8年間の製薬会社勤務を経て、次に働いたのは航空業界でした。ここで初めてフルタイムの社内翻訳の仕事に就きました。最初は翻訳のみでしたが、次第に通訳も任せてもらえるようになりました。

通訳は月に数件程度でしたが、それでも商談、表敬訪問、式典、施設見学、監査など、さまざまな通訳の機会があり、海外出張もあって、とてもやり甲斐がありました。初めての同時通訳デビューを果たしたのもこの頃です。会社が主催するセミナーで同時通訳者2名が必要になり、プロの通訳者の方と組んで担当させて頂くことになりました。初めての同時通訳で全く気持ちに余裕のない私に比べて、プロの通訳者は立ち居振る舞いから違いました。そして、流れるような美しい訳出を聞いて圧倒されたのを覚えています。プロとして求められる通訳レベル、会議に臨む姿勢を学ぶことができ、とても貴重な経験になりました。

そして、この頃から少しずつ音楽の通訳の仕事が入るようになりました。ミュージシャンへのインタビューの仕事です。20年以上かけて中学生の頃の夢が実現したのです!こんな機会に恵まれたのも、仲間を通し、尊敬していた音楽ライターの方と友人になっていたおかげです。次第に、対面での通訳だけでなく、海外への電話インタビューや、録音されたインタビュー音源の翻訳、アルバムの歌詞の対訳などの仕事も増えていきました。

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インタビュー記事が掲載された音楽雑誌の一部とアルバムの歌詞の対訳

趣味の分野の通訳は、知識量では断然有利ですが、失敗もありました。会議通訳では訳の正確性が重視されますが、芸能通訳では、場の空気を読み、細やかな気遣いをすることが求められます。真面目に正確に訳しているだけではダメなのです。クライアントから、私の訳出が場の雰囲気に相応しくなかったと指摘され、大いに反省しました。

音楽でもう一つ続けているのが、クラシックの通訳です。これも偶然の出会いから始まりました。10年ほど前、ドイツ行きの飛行機に1人で乗っていたときのこと。隣の席になった女性の声楽家の先生と意気投合し、現地到着まで話が尽きませんでした。そのとき以来、年一回ウィーン国立音楽大学の著名な教授が来日した際、声楽とピアノのレッスンの通訳を頼まれるようになりました。隣の席の人との世間話が仕事につながるなんて、本当にどこにチャンスがあるか分かりませんね。

次第に こうした仕事が徐々に 増えていき、9年半の社内翻訳通訳時代を終えて、2018年にフリーランスに転向することに決めました。二人の子供たちが2歳と4歳のときでした。

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2012年、酒蔵見学の通訳。筆者は右から3番目

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2019年、シンポジウムでの同時通訳

有難いことに、先輩通訳者の方々から通訳エージェント数社を紹介して頂いたり、以前勤めていた会社や知り合いから声をかけて頂いたりすることも多く、1年目から同時通訳案件も入り、順調なスタートを切ることができました。

フリーランス1年目は、とにかく実績を作りたくて、何でも積極的に受けました。ほぼ全ての仕事が初めての分野なので、事前準備に膨大な時間がかかりました。実力不足な上に仕事を詰めすぎて、準備の時間が足りなくなり、結果的に満足な通訳ができない、さらには体調も崩す、ということもありました。子育てとのバランスも難しく、試行錯誤を重ねて、スケジュールを見直しました。

時には、自分の実力以上の仕事を引き受けてしまい、大変なお叱りを受けたこともありました。その時は心底落ち込みましたが、とことん落ち込んだら、後は這い上がるしかありません。失敗から学び、それを成功に変えるためにはどうしたら良いのか、しっかりと要因分析して次につなげることに集中しました。

フリーランスとして3年目に入った今、やはり重要なのは通訳者としての基礎力強化だと感じています。基礎力とは、逐次や同時通訳のスキルだけでなく、記憶力やメモ取り、語彙、滑舌、基本的な日本語力や英語力なども含みます。そのトレーニングのため、数年前からオンラインでの通訳訓練を受講しています。技術の進歩のおかげで、通訳仲間が世界中に広がりました。毎日のように日本や欧米在住の通訳者と情報交換をして、たくさん刺激を受け、自分自身のモチベーションの向上につながっています。

そんな新米通訳者の私が、ご縁あって昨年から通訳クラスの講師の仕事もするようになりました。人に教えることで、自らが学び成長することができ、最良の勉強法であると感じています。

これまでずっと英語と音楽が大好きで、それを人に話しているうちにたくさんの仲間ができ、自分の世界が広がりました。これからもすべてのご縁に感謝して、通訳者として成長していきたいです。

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2019年、大学でのシンポジウムにて、主催者の先生及び通訳パートナーと

小島 佳美(こじま よしみ)2008年デビュー
愛知県在住の英日会議通訳者・講師。大学院修士課程(英語学)修了後、外資系製薬会社などに勤めた後、航空業界での社内翻訳通訳を経て、2018年よりフリーランス通訳者として活躍中。得意分野は、航空、観光、多文化共生、自動車、医学・製薬、音楽など。ヘヴィメタル及びピアノ愛好家。二児の母。