【第32回】駆け出しのころ「勉強は絶えずに」
「私はプロになれるのだろうか」「いまやっていることは本当に役に立つのだろうか」―デビュー前に誰もが抱く不安、期待、焦燥。本連載はプロ通訳者の駆け出しのころを本人の素直な言葉で綴ります。
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通訳者になろうと思ったきっかけ
私は最初から通訳者になることを目指していたわけではありませんでした。日本語の学習歴こそ長いものの、通訳ができる人間ではないと前から思っていました。もともと臆病で遠慮がちな私は、一日中日本語で人と話す仕事などとてもできないと思っていたのです。しかし、経済不況真っただ中の2009年に私は大学院を卒業して、残念なことに当時目指していた職業で就職ができなかったので、なんとなく通訳者になってしまいました。ちょうど通訳者を募集していた企業が近くにあり、他の仕事が見つからない状態でしたので、勇気を出して応募しました。ですから、最初は通訳者になりたいというより、仕事が欲しいという気持ちでした。実際に通訳者になりたいと思ったのはその後です。
入社して3か月ぐらいの時、日本から専門家が会社を訪れました。その専門家が顧客の前で重要なプレゼンをする予定でしたので、私が通訳を頼まれました。失敗するわけにはいかないと思い、その専門家の技術を徹底的に調べ、いつもの社内会議の時よりも10倍以上予習をしました。その結果、会議は大成功に終わり、会社の新しい取引にもつながりました。しかし、その成果よりも大事な変化が私の心の中に湧いてきました。今まではちんぷんかんぷんな通訳をしていた私でしたが、一生懸命準備したら非常にスムーズにいきました。自分自身が話しているという感覚がなくなり、私自身が言葉の橋渡しの存在になった気がしました。もしかしたらこんな臆病な私でも、まともな通訳者になれるかもしれない、と思うようになりました。
それ以来、本格的に通訳者になる意思を固めました。ただし、真の通訳者に「なる」にはどうすればいいか、さっぱり分かりませんでした。
なると決心してから何をしたか
私の住んでいた街には通訳学校がなく、当時は通信講座やオンライン学校もあまりありませんでした。そこで、自習で通訳スキルを身につけることにしました。まずは会議通訳専攻のある大学院の教科書を入手し、熟読しました。その後、プロ通訳者のブログやYouTubeチャンネルを観て通訳のコツをつかみました。『翻訳通訳ジャーナル』も日本から手配して、表紙から裏表紙まで読みました。そして、「日本翻訳者協会」の存在を知ると直ぐさま入会しました。毎年のカンファレンスに参加し、通訳のセッションに全て出席しました。もちろん翻訳のセッションも参加しましたが、入社一年目から翻訳への興味がだいぶ薄れて、通訳のみに夢中になりました。このように独学で通訳の勉強を続けました。
それ以外に大きく力を入れたことはもちろん言葉の勉強です。高校2年生から大学院卒業までの 9年間は日本語を絶えず勉強してきましたが、通訳の仕事がうまくこなせるレベルには未だ達していませんでした。基本的な商談は問題なく対応できましたが、技術的な話に入ると一言も訳せなくなりました。そこで、本格的に日本語能力試験1級を目指して勉強し始めました。さらに、通訳で困った言葉やきれいに訳せなかった表現などは必ずメモに残し、会議の後で調べました。社内の仕事でしたので、周りのエンジニアや営業マンに声をかけて技術的なことを教えてもらうことができました。今振り返ってみると、とても貴重な経験でした。 辞書を引いたり、ネットで調べたりするよりも、技術に詳しい日本人に相談するほうが深い勉強になる経験であったと思います。
やめたくなった時も
私は何かというと完璧主義派ですので、自分の期待を裏切らないように常にスキルアップに挑戦していました。でも、私のスキルアップの進み具合に満足しないある人に毎日のように不平を言われるようになりました。どんなに頑張ってもいつも批判され、通訳をやめたくなることもありました。
これは通訳者になって3年目に入った頃の話です。自分の所属事務所に新しい日本人駐在員が出向してきました。他の駐在員と違って英語が得意な人でしたので、私は緊張しました。私の通訳を聞くたびにその人は必ず批判の言葉を浴びせました。毎日の会議でみんなの前で私の訳を直していました。会議が終わるといつも私の通訳能力について疑問を投げかけました。私の落ち込んだ顔を見た同僚が励まそうとしましたが、彼との問題は自分で解決しないといけないと決心しました。
その時から私は心を入れ替えました。その人のことを、不満を抱いた顧客として考えることにしました。彼を満足させるために、まず通訳のパフォーマンスの改善に向けて取り組み始めました。具体的には、元の発言と私の訳の両方を録音して、会議の後に聞き比べて、訳しなおす練習をしました。そして、みんなの前で訂正されるのを待つのではなく、会議の前にその人のところに行って「今回の通訳で何に気を付けた方がいいですか?どういう風に改善できますか?」と聞きました。会議の後、本当は聞きたくなかった批判の言葉を逆に彼に求めました。その時にまた不平を言われたら、お礼を言って次回は頑張りますと答えました。最初は建前に過ぎなかったのですが、私の中に少しずつ感謝の気持ちがわいてきて、心から素直にアドバイスを受け入れられるようになりました。すると、私の通訳能力が向上し、彼の私に対しての態度も同様に良くなりました。つらい毎日を乗り越えた私は通訳の世界でなら何でもできると確信しました。
あの時の自分にアドバイスができれば通訳の仕事を始めた頃は自分に対して甘えていた気がします。当時は、言語能力さえあれば通訳は誰にでもできる仕事だと思い込んで、言葉の勉強はしましたが、今振り返ってみれば通訳の練習を大きく怠っていたと思います。言葉を他言語に置き換える作業なら誰でもできるかもしれませんが、本当の通訳、つまり流暢に、聞き手に響く言葉で話し手の意思を伝えることは、時間と努力でしか身に付けられないスキルです。自分に甘えてはいけません。でも努力すればきっと立派な通訳者になれるでしょう。
アリソン・シグマン(Allyson Sigman) 2010年デビュー
1985年米国生まれ。16歳の時から日本語の勉強を開始、日本留学を3回。ウェスト・バージニア大学院で修士号の取得後、2010年米国の日系企業に就職、2017年まで通訳のスキルを社内にて磨いた。2018年よりフリーランスの会議通訳者としての活動を開始。得意分野はサイバーセキュリティ、会計、IR、人事、自動車や製造など。2019年の夏に東京に移住。現在、通訳の活動以外にオハイオ州立大学にて通訳基礎のオンライン講座の講師を務める。通訳の卵たちが育っていくことに喜びを感じる。