【第36回】駆け出しのころ「勉強と感謝でつづる、かけだし物語」
「私はプロになれるのだろうか」「いまやっていることは本当に役に立つのだろうか」―デビュー前に誰もが抱く不安、期待、焦燥。本連載はプロ通訳者の駆け出しのころを本人の素直な言葉で綴ります。
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始まりは本の表紙
小学校低学年の頃、興味を惹かれたのが海外児童文学の本の表紙に「さくしゃ」と並ぶ「やくしゃ」でした。外国語と日本語との間に介在する、その不思議な存在が魅力的に映ったのです。
「やく」との出会いから10年。英語の勉強に夢中になった私は、高校、大学でそれぞれ1年間、アメリカとカナダに留学しました。留学先の高校では、はじめは宿題に連日夜中までかかっていましたが、次第に授業についていけるようになり、「理解できるとこんなにも世界が広がるんだ!」と嬉しい発見に至りました。大学では、「訳して伝えることで、聞き手の世界を広げたい」という思いが芽生え、英語を使う仕事への漠然とした憧れが、通訳者になるという目標に変わります。
学部卒業後、東京外国語大学大学院の国際コミュニケーション・通訳専修コースに進学しました。逐次通訳、同時通訳、翻訳の訓練に加え、通訳・翻訳理論の授業もあり、通訳者の役割や倫理などについても考えながら学んだ2年間でした。講演会での同時通訳実習では、準備からブースパートナーとの協力に至るまで、実務に即した形で取り組みました。マイクを通して自分の声が流れることには慣れたものの、まだまだ精神的余裕がなく、初めての講演会での同時通訳では、仕事での通訳デビュー時よりも緊張していたかもしれません。
通訳デビューの思い出
大学院修了後、防衛・安全保障分野という専門分野で挑戦ができること、更にキャリアの比較的早い段階から通訳や翻訳の仕事があるらしいとのことから、防衛省の語学専門職の試験を受け、防衛省本省で採用されました。
初の通訳業務は防衛省に勤務して2年目になってからです。関連資料は十分に手に入り、不明な点を質問できる人もいて、通訳準備の観点からは恵まれていました。とはいえ、長丁場の会議は文字通り、終えるだけで精一杯でした。改善点だらけだったはずですが、何しろ疲労困憊で、細かい振り返りなどできる余裕はありませんでした。
初めてのいわゆる「大臣通訳」の機会は、3年目を迎えしばらくした頃です。防衛大臣の艦船の視察に通訳担当として急遽同行することになったのです。緊張していたつもりはなかったものの、きっとこわばった表情で頼りなく見えたのでしょう。移動中の車内で近くにいらした方が声をかけてくれました。
「今日が初めてなんだね。大丈夫、みんな最初はうまくできないんだから。」
まだ仕事も始まっていないうちに慰められるという形になりました。その後、通訳業務は問題なく終えることができ、「なんだ君、できるじゃないか」と労いの言葉もいただいたので、第一印象は払しょくできたようです。仕事を終えて安堵した一方、振る舞いも非常に大事だと学んだ現場でした。
スランプの先に
少しずつレセプションへの同行、表敬訪問の場などで通訳を任されるようになっていきましたが、仕事の増加とともに伸び悩む時期に入りました。全然ダメというわけではないものの、目に見えた上達や手応えがなく焦り始めていたある日、私の通訳を初めて聞いた上司から率直な感想をもらいます。
語彙や表現の豊富さが良いと思う、専門用語の訳はあと一歩なので知識を深めるのが理想、でもそれより何より「声がちっさい」(「小さい」ではなく、「ちっさい」)とのことでした。
それまでパフォーマンスについて指摘を受ける機会がほぼ無かったこともあり、悔しさと動揺が入り混じり、絞り出したのは「頑張ります」の一言でした。それも小声で。
その後、注意しなければならない点が増えた結果、余計に硬くなって失敗が続きます。まさかと思うような些細なミスが重なったり、緊張で早口になったり、それでいて声量不足は相変わらずの状態でした。普段の勉強や通訳準備の方法を徹底的に見直して試行錯誤しましたが、効果が出るまでにはしばらくかかりました。仕事の後、「ああ、またダメだった、まだ変わってない」と落胆する日々が続きましたが、一歩前進するためには、めげずに努力を続ける時間が必要だったのだと思います。また、気持ちの面でも変化がありました。「人のために訳し、信頼たる通訳者になろう」という目標に集中し、「起こってもいない失敗を心配する暇があるなら1分でも長く勉強しよう」と思うようになったのです。そして、スランプを乗り越える頃には、それまでよりも通訳の仕事が好きになっていました。
それでも勉強は続く
依頼を受けるたび静かに身構えていたのが、視察現場での通訳の仕事でした。現場の専門家に比べると大幅に知識も経験値も乏しい私にとって、基地や艦船、装備などはいわば「専門知識の塊」です。いくら事前に勉強しても、矢継ぎ早に聞こえてくる専門的な情報を処理するのは大変な作業でした。勿論、通訳者という立場上、そんな私が一番話さなくてはならないので、視察現場での通訳では回数を重ねても緊張していました。曖昧な訳出をしていると周囲の担当者からすかさず指摘が飛んでくるので、それに動揺することなく堂々と臨む冷静さも、知識の強化に加えて必要でした。
防衛相会談や海外出張先での通訳の仕事は入省時からの憧れで、初めて国際会議の出張チームに通訳者として入れたときは素直に嬉しかったです。実際には、会談や出張の際は限られた時間で膨大な通訳準備が必要であり、浮かれている暇はありません。出張先でも内容の変更や資料の差し替えが延々と続くので、通訳デビュー間もない頃なら不安しか覚えなかったでしょう。ですが、一度きりの通訳現場でベストな訳出をするため、考えを巡らせる作業にやりがいを感じるようになっていて、寸暇を惜しみ勉強に熱が入りました。
一期一会と感謝
防衛省は貴重な現場での通訳機会に恵まれた職場でしたが、挑戦の分野を広げたいという思いが募り、フリーランスの道に進むことにしました。様々な現場で得られた教訓は、時と場所が変わっても色あせることなく、自分を支える確かな存在になっています。一つ一つの出会いと感謝をつづりながら、一人の通訳者としての物語を進めていきたいと思っています。
福田 陽子(ふくた ようこ) 2014年デビュー
東京外国語大学大学院国際コミュニケーション・通訳専修コース修了。2012年、防衛省語学専門職員として入省し、本省内部部局の様々な部署で通訳・翻訳業務などを経験。防衛相会談や国際会議などに同行し大臣通訳を行った。2018年よりフリーランス通訳者・翻訳者として活動している。