【第9回】通翻訳者が知るべきBrexit「Brexit Election」
2019年12月12日(木)、UKで国会下院総選挙(general election)が実施された。英国では木曜日に投票を実施して深夜に開票を始めるのが伝統だが、日が短くて悪天候の冬に選挙を行なう伝統はない。冬の選挙は1974年、12月の選挙は1923年以来だそうだ。投票は午後10時に締め切られ、ほどなく出口調査(exit poll)の結果が発表されて、全国のEU残留支持者は奈落のどん底に突き落とされた。保守党368議席。他の党の数字を見るまでもない。国会総議席数は650、保守党が余裕で過半数を獲得するという予想だ。保守党が過半数割れなら残留政党が一致団結して少数政権を樹立し、国民投票再実施に持ち込むという手があったが、保守党過半数ならBrexitは確定だ。日付が変わって次々に開票結果確定の報が届くにつれて、予想は外れていなかったことがはっきりした。13日の金曜日、ボリス首相再選である。
最終結果は次の通り。
保守党 | 労働党 | SNP | LibDem | DUP | その他 | |
議席 | 365 | 203 | 48 | 11 | 8 | 15 |
増減 | +47 | -59 | +13 | -1 | -2 | +2 |
保守党は、出口調査の数字よりわずかに低いものの大差で過半数を獲得した。一方、野党第一党である労働党は59議席を失う惨憺たる結果に終わり、LibDemも議席を減らした。今回は、「なぜBrexitはこんなにこじれるのか」というテーマに戻る前に、この選挙について総括しておきたい。
保守党
保守党が選挙を行なったのは、過半数を確保して国会の膠着状態を解消し、欧州離脱協定を批准させるためだ。当然この選挙をBrexit Electionと位置づけ、“Get Brexit Done”というスローガンを掲げて離脱支持多数地域の議席獲得を目指した。前回の2017年総選挙で、労働党がソーシャルメディアを巧みに使いこなして支持を増やしたが、今回は保守党もSNSの活用に本気を出した。しかし、その本気の内容は、労働党政治家のインタビュー動画を編集して実際のやり取りとはまったく違う内容に仕上げたり、二大政党党首討論番組の放送中に保守党選挙対策チームのTwitterアカウントをファクトチェックアカウントに偽装して保守党のプロパガンダを流したり、政治ジャーナリストに「労働党活動家が閣僚側近を殴った」とデマを流して拡散させたりと反則技が目立ち、かつてない汚い選挙戦だったと批判された。その一方で、ボリスは気候危機に焦点を当てた党首討論会には欠席し、政治家を容赦なく追及することで恐れられているジャーナリストとのインタビューからは逃げ回り(※1)、突撃レポーターの不意打ちに遭った時は冷蔵倉庫に逃げ込んで、SNSでチキンぶりを揶揄された。
労働党
Brexitに関する労働党の方針は、「政権獲得の暁にはEUと再交渉し、国民の益になる協定案を持ち帰ってきて、そのコービン合意案とEU残留のどちらを選択するか半年後に国民投票で決める。労働党がコービン合意案と残留のどちらを支持するかは合意案が出た後に決め、コービン自身は中立の立場を守る」という実に歯切れの悪いものだった。だから、労働党は選挙の争点をBrexitからそらし、国民の暮らしに移す作戦に徹した。国営の無料医療制度NHS(National Health Service)の予算を増強して民営化から守ると訴え、さらに鉄道や水道事業の再国営化、ブロードバンドの国営化など、社会主義色の強いマニフェストを掲げた。しかし、3年半続いてきたBrexitを巡る紛糾につくづく疲れ果てた国民、特に離脱支持者にとって、“Get Brexit Done”という単純明快な標語の魅力は大きかった。蓋を開けてみれば、やはりこれはBrexit electionだったのだ。
Unpopularity Contest
今回の選挙で特徴的だったのは、二大政党の党首がどちらも好き嫌いのくっきり分かれるタイプの政治家だったことだ。熱狂的なファンがいる一方、強く反発する者も多い。「いつもは保守党支持だがボリスは信用できない」という声、「労働党に投票したいがジェレミー・コービンを首相にしたくはない」という声が競い合う中、最終的にこの不人気コンテストに勝った(負けた?)のはコービンだった。Brexit問題での歯切れの悪さは致命的だった。マニフェストに巨額な予算がかかる国営化政策を盛り込みすぎたことも、社会主義思想ありきで現実を見ていないと批判された。労働党内で紛糾する反ユダヤ主義(antisemitism)問題(※2)についてもコービンの責任が問われた。ボリス・ジョンソンの方は、「大衆受けする」「キャンペーンに強い」という前評判を裏切る失態を重ねたキャンペーンにもかかわらず、ドジや失言はキャラのうち、“Boris being Boris”と片付けられてしまうところがあった。
Election Pacts
選挙戦に入る前には、離脱支持・残留支持の各政党が選挙協力に取り組むべきだとの声が強かった。ナイジェル・ファラージのBrexit党は、保守党と離脱票を食い合うことを懸念し、EU離脱移行期間(※3)を延長しないという約束と引き換えに、保守党が現職の317選挙区では対立候補を立てないことを決めた。しかし残留派の方は少数政党同士の限定的な選挙協力にとどまり、労働党の他の野党との選挙協力はなかった。残留支持者向けに立ち上げられた戦略投票アドバイスサイトでもアドバイスが矛盾するなど混乱が多かった。
LibDem
5月の欧州議会選挙で残留支持票を集めて躍進したLibDemは、9月に若い女性党首ジョー・スウィンソン(Jo Swinson)が就任し、総選挙で大旋風を巻き起こせるのではと期待していた。しかし、選挙戦が始まると、スウィンソンは党内の反対意見を押し切って「もし第一党となった場合は即Brexitを中止する」と公約して民主主義無視と批判を浴び、また「ジョンソンやコービンだけではなく自分も首相候補だ」という発言が失笑を買った。保守党・LibDemの連立政権時代に閣僚として保守党の福祉カット政策に協力していたことも追及され、急速に支持を失った。最後のとどめは、スコットランドに選挙区を持つスウィンソンが、同じく残留支持政党であるSNPとの戦いに敗れて落選したことだった。
SNP
今回の選挙では、イングランド・ウェールズとスコットランドでの結果の違いが際立った。イングランドが保守党の青、スコットランドがSNPの黄色に染まった新勢力図を見れば一目瞭然だ。イングランドとウェールズで離脱支持票を集めて労働党から大量の議席を奪った保守党は、残留支持が多数を占めるスコットランドでは逆に半数以上の議席を失った。”Stop Brexit”のスローガンに加えてスコットランド独立の是非を問う国民投票の再実施(second independence referendum, IndyRef2)を訴えたSNPは、保守党だけでなく労働党からも票を奪い、スコットランド59選挙区中48議席を獲得して圧勝した。
(https://commons.wikimedia.org/wiki/File:2019_UK_general_election_constituency_map.svg#/media/File:2019_UK_general_election_constituency_map.svg)
北アイルランド
北アイルランドはスコットランドと同様国民投票で残留多数となった地域だが、最大政党のDUPは離脱を支持し、2017年の総選挙で過半数割れを引き起こしたテリーザ・メイ政権を閣外協力によって支えてきた。そのDUPをボリス・ジョンソンが裏切ったことは、第7回で説明したとおりだ。DUPに次ぐ勢力を持つシン・フェイン党(Sinn Féin)はEU残留支持政党だが、南北アイルランドの再統一を党是としており、UK国会議員の義務である女王への忠誠宣誓を拒否して一切議事に参加しない。そのため、これまでUK国会には北アイルランドの残留支持層の声を代表する政党がいなかった。今回の選挙では、そのシン・フェインが3選挙区で他の残留支持政党に選挙協力し、DUP降ろしを狙った(※4)。その効果もあってSDLP(Social Democratic Labour Party)が2議席、同盟党(Alliance Party)が1議席を獲得。DUPは2議席減、副党首で国会DUP議員団長だったナイジェル・ドッズ(Nigel Dodds)は落選した。アイルランド再統一支持政党の合計議席数が反体制党を上回ったのは、北アイルランド史上初めてだ。
この選挙結果は何を意味するか
ボリス・ジョンソンは、国会再開第一週には早くも塩漬けになっていた欧州離脱法案の審議を再開した。今度は保守党も候補者選出の時点で全員にジョンソン合意案支持を義務付けているので、法律成立には障害がなく、離脱協定への国会承認(Meaningful Vote)もスムーズに完了するはずだ。2020年1月31日の離脱期限が再び延長されることはないだろう。
しかし、UKとEUが離脱協定を締結・批准すれば晴れてBrexitが完了するというわけではない。移行期間終了前にEU・UK間で自由貿易協定を締結する必要がある。目指すのはEU・カナダ間で締結された包括的経済貿易協定(CETA)と同様の包括的な協定だが、CETAは交渉がまとまるまでに8年間かかっており、11ヶ月間での締結は不可能に近い。ジョンソン首相は、欧州離脱法案を修正して移行期間の延長を禁止する条項を盛り込むとしている。もし移行期間終了までに協定がまとまらなければ、貿易に関しては合意なき離脱になってしまう。
また、保守党勝利でBrexitは膠着状態を脱することができたが、イングランド・ウェールズとスコットランド・北アイルランドで明暗が分かれたことはジョンソン政権にとって今後頭痛の種になりそうだ。2016年の国民投票で、スコットランドと北アイルランドはEU残留を支持した。スコットランドでSNPが圧勝し、北アイルランドで再統一支持政党が多数派になったのは、Brexitと無関係ではない。Brexitが現実になることで、UKの枠組み(the Union)に亀裂が生じる可能性がある。この点については稿を改めて論じたい。
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※1 インタビュー:
「主要全政党の党首にアンドリュー・ニール(Andrew Neil)がインタビューする」という企画であることが前提で他党首が参加したにもかかわらずボリス・ジョンソンが後出しで不参加を表明したことに対し、ニールはテレビでボリスに参加を呼び掛けた。こちらでその動画を見ることができる。
https://www.bbc.co.uk/news/election-2019-50679252
※2 労働党と反ユダヤ主義
左翼思想と反ユダヤ主義の結びつきは根深い。ユダヤ系財閥が世界を牛耳って労働者を搾取しているとする古いユダヤ陰謀論に加え、パレスチナ問題に関連するイスラエル批判が反ユダヤ感情と融合している側面もある。ジェレミー・コービンの党首就任後、党内左派勢力の興隆とともに、党内で反ユダヤ発言が顕著に見られるようになったと言われており、平等人権委員会(EHRC)が現在調査に入っている。
※3 移行期間
EU離脱協定案では、法的な離脱日である2020年1月31日から2020年12月31日までを移行期間と定めており、この期間中は事実上現在のEU・UK関係がそのまま維持される。市場アクセスや関税、規制適用等に関してはこの期間中に交渉をまとめ、貿易協定を締結するとされている。
※4 シン・フェインの選挙協力
UK国会の議事に参加しないシン・フェインが国会に影響を与える手段として他の残留支持政党に議席を譲ることを提案したのは、アイルランドのジャーナリスト、フィンタン・オトゥール(Fintan O’Toole)だ。シン・フェインの選挙協力がこの案に応じたものかどうかはわからないが、シン・フェインの従来のスタンスからの転換であり、興味深い。
https://www.irishtimes.com/opinion/fintan-o-toole-ireland-can-stop-a-no-deal-brexit-here-s-how-1.3972121#.XURE8WC2YKQ.twitter
杉本優(Yuno Dinnie)
スコットランド在住。