最終回【第12回】ネットワーキングの重要性

Posted Oct 12, 2018

本連載もいよいよ最終回です。通訳業界においては、案件を無事にこなすための専門知識など「何を知っているか」が大事ですが、息の長いビジネスをするためには「誰を知っているか」も同じくらい重要です。これはなにも通訳業界に限る話ではありませんが、この点を軽視している通訳者が意外と多いようなので、今回はネットワーキングの重要性について書くことで連載の結びとします。

ネットワーキングの重要性

ネットワーキングは重要、と昔からよく言われますが、具体的にどう重要なのでしょうか。これだけで本が1冊書けそうですが、ここでは要点を三つに絞って簡潔に説明します。

1)トランザクティブ・メモリー

実は近年の組織学習研究においてとても重要な概念にトランザクティブ・メモリー(transactive memory)というものがあります。1985年にハーバード大学の社会心理学者であるダニエル・ウェグナーが提唱しました。その考え方はシンプルで、組織の記憶力に重要なことは、組織全体が何を覚えているかではなく、組織の各メンバーの「誰が何を知っているか」を知っておくことである、ということです。

私たちの文脈で説明すると、通訳者は他の通訳者や業界関係者とつながることで、一つのネットワーク、つまり一種の「ゆるい組織」を構成することになりますが、この組織に属するメンバーがお互いの知識や専門分野などを把握することで、組織の全体的な効率性が上がります。一人の人間の知識・記憶力には限界がありますが、多種多様な知識や背景を持つ人が組織に集まった上で、「このクライアントのことはまずあの人に聞け」、「この分野はあの人に依頼したら最善」というように、「誰が何を知っているか」を知れば、組織はもちろん、その構成メンバーも多大な恩恵を受けるのです。

たとえば私の場合であれば、通訳ガジェットに関する質問は平山敦子さん(参考:連載「通訳者・平山敦子のガジェット天国」)にするでしょうし、ワイン通訳なら松岡由季さん、建築なら仲田紀子さん、自動車なら桂田アマンダ純さんに真っ先に相談するでしょう。場合によっては案件自体をお願いしてしまうかもしれません。

これは前回の記事でも説明した「他の通訳者を紹介する」に通じます。苦手な案件やスケジュールの都合がつかない仕事がきたら、単に断るよりも組織内の誰かに適材適所で割り振る方が長期的には構成メンバー全員が得をします。ただこれを実現するには、まずはネットワークに属さなければなりません!

日本最大の通訳イベント、日本通訳フォーラムは貴重な学びとネットワーキングの場。

2)弱い結びつきの強さ

スタンフォード大学のマーク・グラノベッターは1973年に発表した論文「Strength of Weak Ties(弱い結びつきの強さ)」で、重要・有用な情報の多くは「強い結びつき」の人間関係から得られるものではなく、むしろ「弱い結びつき」の人間関係から得られる、と論じました。もちろん「強い結びつき」にもメリットはありますし、それを裏付ける研究などもあります。結局のところ「強い結びつき」と「弱い結びつき」のどちらを重視すべきかは業界や状況により異なります。ただ私は通訳者、特にフリーランス通訳者にとっては「弱い結びつき」から得られるものがより大きいと評価しています。

「弱い結びつき」で構成されるネットワークは構成メンバーのつながりがあまり重複しないゆえに、情報伝達の効率が高い。これに加えて、「弱い結びつき」は「強い結びつき」よりも簡単に作れます。ある人と本当に深い仲になりたければ、時間をかけて話したり、居酒屋で杯を交したりということが必要かもしれませんが、知り合いになるだけであれば名刺交換をしたり、ソーシャルメディアでゆるくつながるだけなので簡単です。簡単だからこそ、より遠くの多くの人にまでネットワークの射程が伸びやすくなります。多様な構成メンバーが増えればより多様な情報やオファーが効率的に入手可能になります。このような理由から、通訳者はもっと積極的にゆるいつながりを求めていくべきなのです。

3)知識は集積する

近年はインターネットをはじめとする情報技術の発展と普及により、欲しい情報はいつでもすぐに入手できる……と思いがちですが、世の中のビジネスの多くはまだ人間関係で成立しており、本当に重要な知識や情報はネットではなく、生身の人間を介して伝えられることがまだ多いです。そして大事なのは、これらの本当に重要な知識・情報は極めて属人的であり、一定の地域に集積する傾向があるということです。アメリカのシリコンバレーやインドのバンガロールがわかりやすいですね(IT関係者の集積地)。

たとえば日英通訳者であれば、人も仕事も情報も東京に集積していることは明白です。他県に仕事や情報がないわけではありませんが、東京はレベルが全然違う。通訳の労働市場が充実しているので、人材と知が集積されていくのは当然です。本気で一流の通訳者を目指すのであれば、一度は東京で修行しないと難しい現実があります。逆に、上京してネットワークを構築すれば、その後の情報の流れがとても効率的になるはずです。東京在住の通訳者は、東京に住んでいるだけでかなりのアドバンテージを得ていますが、恵まれた環境に奢らず、意識的にネットワーキングを心がけるべきだと考えます。

理由があって地方から出られない通訳者は、通訳団体に属して業界情報を得たり、自分がネットワークのハブになることも選択肢の一つです。基本的に情報は、情報がある所に集まる傾向があるので、自分が住む地域において情報の発信源になれば中長期的には自らが中心となるネットワークを構築することも可能です。むしろブランディングの観点から考えると、地方在住の通訳者はこれをしなければ明るい未来はない気がします。

ちなみに私が有志と日本会議通訳者協会を起ち上げた理由の一つは、多くの通訳者が集まり、その知が集積されることで、集団として大きな力を持ち(つまり前述3点)、構成メンバーがより幸せになれると考えたからです。少しずつですが、それは実現し始めています。

JACIは日本初の同時通訳グランプリも主催。活動を通して若手にバトンをつないでいきます。

挑戦を忘れない

本連載もいよいよ最後になりました。私が通訳者としてキャリアをスタートしたときに知っておきたかったけれど、誰も教えてくれなかった知識を綴ってきたつもりですが、いかがでしたでしょうか。

通訳という仕事には終わりがありません。上手くできたなと思ったら、次の現場で痛い思いをすることはよくあります。それでも最後に私は駆け出しの通訳者さんたちに言いたい。視野を広げ、挑戦を忘れるなと。ときどき通訳・翻訳イベントで「自分の力を越えた仕事を受けるな」と言う講演者がいますが、自分の力を越えた仕事をしなければ技術は向上しませんし、人間として成長できません。無謀な案件に手を出すべきではないですが、8の実力で10のオファーがあったとき、案件当日までに実力を10にする道筋が立てられれば良いのです。世の中のイノベーションは常にそういった「背伸び」から生まれてきましたし、私たち通訳者も常に一段上の高みを目指すべきだと思います。

では、いつか現場でお会いしましょう。そのときは優しくしてくださいね。私は褒められて伸びるタイプです!(笑)

関根マイク

Mike Sekine

通訳者。関根アンドアソシエーツ 代表、日本会議通訳者協会理事、名古屋外国語大学大学院兼任講師、元日本翻訳者協会副理事長。得意分野は政治経済、法律、ビジネスとスポーツ全般。

現在は主に会議通訳者として活動しているが、YouTubeを観てサボりながらのんびり翻訳をするのも結構好き。近年は若手育成のため精力的に執筆活動も行っている。「イングリッシュ・ジャーナル」で『ブースの中の懲りない面々~通訳の現場から』を連載中。