【第7回】プロフェッショナルとしての倫理
Posted April 17, 2018
私が倫理を語る資格があるのかという、そもそも論はとりあえず横に置いておいて(笑)、今回は主にフリーランス通訳者が仕事をする上で重要な倫理的問題について書きます。プラクティカルな意味での通訳者の職業倫理はあまり語られることがありませんが、狭い業界だからこそ知っておくべきことです。悪い噂は強風に煽られる山火事のようにすぐに広まりますから。
クライアントを盗むな
エージェント経由で受けた仕事のクライアントを、あの手この手で直接取引にしてしまう通訳者がいますが、これは悪手としか言えません。たとえばクライアントもコスト意識がありますから、気に入った通訳者を現場でリクルートして、直接契約にしてしまおうとアプローチをかけてくることがありますが、「エージェントを通してください」と伝えて断りましょう。エージェントを通して仕事を受けた場合、あなたはエージェントに対して責任を負います。エージェントがいなければそもそも出会うことがなかったであろうクライアントを盗むことに倫理的問題があることは明白です。それに、そのようなアプローチをするクライアントはもっと上手くて安い通訳者を見つけたら同じようなアプローチをするでしょうから、あなたが捨てられるのは時間の問題です。
この業界は本当に狭く、クライアントを盗んだ、または営業行為のようなことをした通訳者についてはとても速く噂が広まります。エージェントから貰った名刺を切らしているなどを理由に個人の名刺を渡す通訳者もいますが、個人名刺を渡すくらいなら「すみません、いま名刺を切らしておりまして」とお断りするべきです。会社員が営業先で、会社とはまったく関係ない個人名刺を渡すことはありませんよね?目先の利益に飛びつかず、正しい行動を選択しましょう。
エージェントの看板を意識しろ
国内の現場で支給される
弁当はなぜか今半が多い
通訳者はエージェントの看板を背負って仕事をしています。なにか問題が発生したら、エージェントが通訳者をクビすることは簡単ですが、それでもエージェントは顧客の信頼を損なったり、場合によっては顧客そのものを失ってしまうかもしれません。これは倫理の問題であり、ビジネスの問題でもあります。
まずは最初と最後の挨拶をきちんとする。そして、服装に注意すること。ドレスコードがある場合はそれに従うこと。当たり前のことですが、これができない通訳者がいるということをエージェントからたびたび聞きます。黒基調と指示されたのに赤に身を包んで来るとか、企業の取締役会にスマートカジュアルで来るとか、普通に考えてあり得ないですが、実際に起きているのです。
前日の酒が抜けきらない状態でブースに入れば臭いでバレます。ニンニクなども同様。女性はスカートの丈等でクレームが発生することがあるので、露出が少ない服装でまとめるのが無難です。
エージェントの看板を意識するということは、クライアントを大切に扱うということでもあります。基本中の基本として、クライアントにキレるのは論外ですし、無理なお願いをしてはいけません。クライアントに現場で理不尽な依頼をされたら、エージェントに連絡して直接対応してもらいましょう。クライアントの担当者だって、通訳者の仕事をあまり理解しておらず、そんなに理不尽な依頼だと思っていないのかもしれません。
ちなみにAIICのある調査によると、サウンド・エンジニアの苦情ナンバーワンは「ブース内を片付けないで帰ること」だそうです。あと、音声の問題はクライアントではなく、音声担当に直接言った方がよいらしいですね。私もサウンド・エンジニアだったら、直接言ってほしいと思いますし、エージェントやクライアントを間に挟んでも彼らにはなにもできません。
NDA(守秘義務契約)の範囲を理解しろ
これは主に、実績表に何をどう書くかという問題です。エージェントに登録するときやレート交渉をするときは、最新の実績表を求められることが多いので、実績表に情報を加えて更新する必要があるのですが、現場によっては情報を出してはいけないものもあります。
海外では、海鮮や激辛料理は
業務をすべて終えたあとに!
具体的に何をどう書くかは各エージェントと締結するNDAの内容次第ですが、たとえば一部上場のA社がB社と合併協議を行い、その通訳をしたとしましょう。クライアントとしては合併の可能性については誰にも知られたくありません。これを実績表に書く場合、「合併協議」とは当然書けませんし、「A社」だけでは何を通訳したのか全くわからないので無意味です。
けれど「A社 経営戦略会議」や「A社 投資委員会」と、多少なりとも具体性をもたせて書くことは可能かもしれません。NDAの内容を検討し、どこまで書けるのか把握しておきましょう。
通訳者は仕事の性質上、上場企業の取締役会に入ることも少なくありません。市場の誰よりも早く投資計画や人員削減等の情報が得られるわけですが、それを株取引等に使ってはいけません。NDA以前に、インサイダー取引の法律違反です。
コミットした仕事は完遂しろ
特にフリーランス通訳者は、一度コミットした仕事はなにがあっても完遂しましょう。体調管理は当然のことです。人間ですから微熱で調子が悪いときや頭が働かないときは必ずありますが、そのような状態でも及第点をきっちりとクリアするようなパフォーマンスができるようでなければプロではありません。
本当に動けないときは代役を立てることも「完遂」する方法の一つですが、これにはそもそも頼れる代役候補がいなければならないので、日々の業務や勉強会などを通して、他の通訳者とのつながりを大切にしておくことが重要です。私自身、まだ病気でダウンしたことはありませんが、通訳仲間の代打は何度もこなしてきましたし、仮に自分がダウンしてもほぼ確実に代役を立てられる程度にはネットワークを持っています。親族の不幸を理由に確定案件を辞退しなければならないときがありましたが、エージェントには代役を用意してから辞退の連絡をしました。
フリーランスは自営業者ですから、エージェント案件にせよ直接取引の案件にせよ、コミットした仕事を必ず完遂できる体制を構築・維持することが期待されるのではないでしょうか。
関根マイク
Mike Sekine
通訳者。関根アンドアソシエーツ 代表、日本会議通訳者協会理事、名古屋外国語大学大学院兼任講師、元日本翻訳者協会副理事長。得意分野は政治経済、法律、ビジネスとスポーツ全般。
現在は主に会議通訳者として活動しているが、YouTubeを観てサボりながらのんびり翻訳をするのも結構好き。近年は若手育成のため精力的に執筆活動も行っている。「イングリッシュ・ジャーナル」で『ブースの中の懲りない面々~通訳の現場から』を連載中。