【第9回】スケジューリング その2
Posted June 25, 2018
前回の続きです。当初は1回ですべてを盛り込む予定だったのですが、スケジューリングは価格設定と同じくらい重要なトピックなので、2回に分けてお届けすることにしました。
キャリアは長いスパンで考えよう
私が活動拠点を東京に移して間もないころ、「1日に半日案件(4時間以内などの案件)を2件、あわよくば3件~4件くらい入れるのが効率いいよね?」というような発言をしていた通訳者がいました。本当にそうなのでしょうか?
経験者であればわかると思いますが、ハードな筋トレをしたあとに身体が動かないのと同じで、ハードな通訳をしたあとは脳が疲れて何も考えることができなくなります。特に繁忙期は予習の時間も大事ですが、個人的にはそれ以上に休養が大事だと思います。睡眠が足りていない人、疲労が蓄積している人は、同時通訳機材のボタンの押し忘れなどの凡ミスも多くなるのではないでしょうか。
フリーランス通訳者であれば収入の最大化は重要な問題ですが、通訳は頭脳を酷使する肉体労働だということを忘れないでください。かつて業界の某大御所が「通訳は体力が一番」と発言したそうですが、私も同意見です。通訳者は1年という長いシーズンを戦っていく上で、体力・精神力を回復できるように適度な休養をとるべきだと思います。たとえば私は夏や年末年始の長期休暇に加えて、秋の繁忙期でも10月中旬あたりに1週間ほど休みをとるようにしています。勝負は1年ではなく、10年~20年のスパンでするものだと考えていますので。1日に2時間の案件を4つ詰め込むようなことは体力を必要以上に使うので絶対にしません。そもそも4件も抱えていたら、どうやって適切な準備ができるのでしょうか?
海外エージェントとのお付き合い
日本人の通訳者は意外と海外エージェントとの付き合いに積極的ではないようです。なぜかと聞くと、「支払いが不安だから」とか、「適切な手配がされるかわからないから」という理由が主なようです。確かに国内エージェントと比較すると、海外エージェントは手配が雑なところが多い印象です(笑)。
シンガポールのホテルにて。
現場から疲れて帰ってきたら
「誤訳してもそこから学べばいいよ!」
的に慰められるという…。
けれど面白いのは、海外エージェントは日本人通訳者(日英通訳者)の評価が軒並み高く、国内エージェントの1.5倍や2倍のレートを提示するところが少なくないことです。それゆえ海外エージェントの案件をうまくスケジュールに組み込んでいくと、高収入はもちろんのこと、エキゾチックな国で仕事をし、そのあとに観光を楽しむということも可能なのです。
支払いが不安、というのは理解できますが、海外エージェントとの付き合いが長い私でも不払いは一度もありません。ただ、営業以外のバックオフィス機能が弱いのか、支払いの遅れは頻繁にあるのでその点は注意するべきです。契約時にはキャンセル料まわりを調整すると同時に、支払いの遅延が発生した場合のペナルティなどを設定してもよいかもしれません。
海外エージェントはとにかく契約重視なので、きちんと合意している内容については履行しますが、合意がない事項については1銭も出しません。登録時の契約書や業務発注書に記載されている内容は入念に確認するべきです。
支払いが不安、でもう一つ。下記の図を見てください。
前回説明した投資の考え方と似ているのですが、海外エージェントのレートを国内の1.5倍に設定した場合、たとえ不払いが3回あったとしても、案件10個単位でみると2.5万円のプラスになります。そして断言しますが、10回中3回の不払いはまず現実的ではありません。つまり多くの日本人通訳者は不払いのリスクを過大評価しているのではないかと私は思います。
そもそも海外エージェントとの取り引きはリスクが高い、というのも必要以上に誇張されている印象を受けますが、仮に高いとしても、そのリスクに見合うレートを設定すればよい話です。投資の世界ではリスクとリターンのバランスを考えながらポートフォリオを組みますが、仕事のポートフォリオもまったく同じなのです。
さて、海外エージェントの案件は国外出張が多いのですが、帰国したその日に仕事を入れるのは避けた方がよいでしょう。フライト時間にも依りますが、基本的に移動はそれなりの疲労をともなうもの。帰国日は休養日として設定することを推奨します。場合によってはもう1日休養に当ててもよいでしょう。
余談ですが、スマートフォンの時計を現地時間に変更した状態でカレンダーアプリに予定を入れると、日本時間にもどした際に予定の時間が大幅にズレてしまう現象が一部アプリで発生するようです。注意してください!
武士は食わねど高楊枝
来月のスケジュール(稼働可能な空き日)をおしえてください、と通訳者に問い合わせるエージェントがあります。エージェントも手配を最適化したいので、問い合わせ自体に問題はありません。ただ、通訳者の視点からみると、自分のスケジュールを開示することは必ずしも良いとは限りません。
確かに空き日がわかればコーディネーターも手配がしやすいでしょう。私が現役コーディネーターと話をするときもそのような声を聞きます。しかし同時に、彼らは「あまりにもスケジュールが空きすぎていると逆に不安になる」とも言います。ガラガラのレストランに入るのは勇気がいるように、予定がスカスカの通訳者に依頼をするのも一種の勇気が要ります。実際、技術が確かで顧客対応が上手い通訳者は、本人が意図しない限り予定が空っぽになることはあまりありません。それでも空っぽになった場合ですが、新人でもないかぎり、ある程度は仕事があるようにふるまうのも市場価値の維持という意味では大事だと思います。武士は食わねど高楊枝、ですね。
主戦場は法務ですが、格闘技案件も対応しています。というか大好きです!
ではスケジュールが一杯の状態で情報開示するのは得策なのでしょうか。すでに入っている案件がすべて確定していて、キャンセルの可能性がとても低い場合は開示する手もあると思いますが、個人的にはお勧めしません。なぜならスケジュールを開示することで、すでに予定が入っている日については、同じ日の案件オファーが来る確率が低下するからです(コーディネーターは空いている人を当然優先するため)。
通訳者としては、仮案件が消えた場合、または確定案件が突然キャンセルになった場合は、すぐに別案件で予定を埋めたいと考えますので、とにかく選択肢を増やすためにオファーは多めにほしいというのが本音です。スケジュールを開示しなければコーディネーターは空いているかもしれないと考えて問い合わせてくるので、多様な選択肢を確保したいのであればむしろ非開示が一番なのではないでしょうか。このあたりは一種のゲーム理論ですね。
ただ、長期的にみると、スケジューリングの最適化にもっとも貢献するのは高度な専門化です。高度な専門化はそれ自体が強力なブランディングなので、とても大きな価値を生み出します。駆け出しの通訳者は仕事を選べませんが、経験を積みながらしっかりと自分の得意分野を確立していくこと、そしてそれを実現するための青写真をしっかりと描くことが重要なのではないでしょうか。
関根マイク
Mike Sekine
通訳者。関根アンドアソシエーツ 代表、日本会議通訳者協会理事、名古屋外国語大学大学院兼任講師、元日本翻訳者協会副理事長。得意分野は政治経済、法律、ビジネスとスポーツ全般。
現在は主に会議通訳者として活動しているが、YouTubeを観てサボりながらのんびり翻訳をするのも結構好き。近年は若手育成のため精力的に執筆活動も行っている。「イングリッシュ・ジャーナル」で『ブースの中の懲りない面々?通訳の現場から』を連載中。