【第10回】チャーリーの金融英語 「二つの『デカップリング』(前編)」
(執筆:2022年12月30日)
インターネットの発達によって、古い情報が更新されないままに残っていたり、新しい意味と古い意味が入り混じって使われてきたりしたためにやや混乱している人も多いのではないか。「デカップリング?あれ、なんだったっけ?」。そう思って検索してみる。ニュースソースを調べない通訳者や翻訳者はいないだろうが、ではあなたは、今自分が「検索」し、情報源を確かめた「その情報」が「いつ」掲載または更新されたのかをきちんと確認しているだろうか?ネット検索は非常に便利だ。しかし更新スピードがどんどん速まり、情報の多様化・混在化が進む中で、情報鮮度の確認がますます重要になってきた。この傾向は変わらないだろう。
decoupleは「切り離す」、「分離する」(新英和大辞典 研究社Online Dictionary © Kenkyusha Co., Ltd. 2004.)という意味の一般動詞だが、次第に政治・経済的な意味を持って使われるようになり、日本語でも「デカップリング」というカタカナ語を耳にするようになってから20年近くたつのではないか。ところが、この間に意味や使い方がだんだん変わり、多様化するようになってきた。
そこで本稿では、「デカップリング」という言葉を取り上げ、そのうち①米国以外の諸国(特に新興国と欧州)経済が独立した経済力をつけて米国への依存度が低下しているという意味での「デカップリング(「理論」)」と②米中対立・分離を意味する「デカップリング」を取り上げ、様々な媒体で検索することによって、知識をいったん整理したいと思う。(本稿(前後編)で引用するニューヨーク・タイムズ、ウォール・ストリート・ジャーナル、日本経済新聞各紙の記事はすべて有料記事です)
1. 2度の「デカップリング(decoupling)」ブーム
『ニューヨーク・タイムズ』紙で「decoupling」一語を検索して頻出度を計った。もちろん、decouplingが一般動詞として使われている可能性もあるので、すべての記事を調べない限り厳密にはわからないが、ある程度の傾向を把握し、仮説を立てる程度ならできるだろうと考えた。調べ方は単純だ。検索用語に「decoupling」と打ち込んで期間指定をすればよい。初年度は1991年1月1日~1991年12月31日と入れ検索した。この時期を出発点としたのは、ベルリンの壁崩壊が1989年11月、ソ連崩壊(ゴルバチョフ大統領の辞任日とされている)が1991年12月で、1991年というのはまだ東西融和の雰囲気が残っていた頃で、米ロ、米中間の政治的対立は(少なくとも表面的には)それほど深刻ではなかった、つまり上の①②どちらの意味にしても、decouplingの出現頻度はまだ低いだろうと考えたからだ。1991年以降1年ずつずらして毎年の件数を出し、5年ごとの件数合計と年平均を算出した。ただし2021年~2022年は12月28日まで。年平均も2年で算出した。すると面白い事実がわかった。
1991~95年: 18件(平均3.6件)
1996~2000年: 29件(平均5.8件)
2001~05年: 41件(平均8.2件)
2006~10年: 205件(平均41件)
2011~15年: 56件(平均11.2件)
2016~20年: 105件(平均21件)
2021~22年: 74件(*平均37件)(2022年は12月28日まで)
*ただし2年平均
2006年~2010年と、2016年以降に明確な「山」がある。一つ目の山は米国でITバブルが弾け、その後不動産バブルが到来。世界的にはBRICS(ブラジル(Brazil)、ロシア(Russia)、インド(India)、中国(China)、南アフリカ(South Africa)の頭文字を合わせた造語)がもてはやされ始めた頃で、2008年後半にリーマンショックが勃発して世界金融危機へと突入した時代だ。そしてもう一つの山は2016年から現在で、米中対立・分離を意味する「デカップリング」としての使用頻度が高まっている、という点を抑えておこう。
2.「デカップリング」(decoupling theory/thesis)という「幻想」
冒頭に紹介した検索結果を、2000年から2010年まで年ごとに示すと以下の通り。
ニューヨーク・タイムズ紙から「decoupling」で検索した記事数
2001年 8件
2002年 8件
2003年 9件
2004年 8件
2005 年 8件
2006年 9件
2007年 34件
2008年 98件
2009年 41件
2010年 23件
2007年にdecouplingの含まれている記事が前年の9件から34件へと一気に4倍近くになり、2008件には98件へと拡大しているのがわかる。
当時、「デカップリング」といえば、次のような考え方が多かった(本稿に挿入した日本語訳、下線、太字、注はすべて鈴木)。
記事1:「デカップリング」とは?――Does It Even Matter if the U.S. Has a Cold?(米国が風邪を引いても大丈夫なのか?)(2007年5月)
FOR the last several decades, the United States has functioned as the main engine of growth in a global economy that has been moving with synchronicity.(この数十年間、米国は世界経済の成長のけん引役として機能し、世界経済は米国の動きに歩調を合わせて成長してきた)。 “We’re going through the longest stretch of concerted growth in decades,” said Lakshman Achuthan, managing director at the Economic Cycle Research Institute in New York.(ニューヨークにある米国景気循環調査研究所のマネージング・ディレクター、ラクシュマン・アチュータン氏は、「ここ数十年で最も長い期間、各国の協調的な成長が続いている」と指摘する)。 So you might think that a sharp slowdown in growth in the United States — the domestic economy grew at a measly 1.3 percent annual clip in the first quarter this year, less than half the 2006 rate — would mean trouble for the rest of the global economy. Right?(したがって、米国の経済成長が急激に鈍化すれば――実際、今年第1四半期の国内経済成長率はわずか年率1.3%で、2006年の半分以下だった――その他世界各国の経済も大変なことになると読者は考えるかもしれない。そうではないだろうか?) Wrong.(この考え方は間違っている)。 ・・・ As the domestic growth rate has declined sharply in recent quarters, the rest of the world is growing rapidly. India is blowing the door off its hinges. China’s economy is expanding at a double-digit pace.(国内の成長率がここ数四半期で急激に低下している中、世界の他の地域は急成長している。インドはドアを蝶番から吹き飛ばすほどの勢いだ。中国は年率2桁のペースでの拡大を続けている。) In the United States, the Federal Reserve has held rates steady since last June, and its next move will most likely be a rate reduction to stimulate growth. The European Central Bank and the Bank of Japan, meanwhile, have been raising rates — lest their once-suffering economies overheat and spawn inflation.(米国では、連邦準備理事会(FRB)が昨年6月以来金利を据え置いており、次の動きは景気刺激のための利下げになる可能性が高い。一方、欧州中央銀行(ECB)と日本銀行は、かつて苦しんだ景気が過熱してインフレを引き起こさないように、金利を引き上げている。) “The U.S. slump in the first quarter didn’t pull down growth in Europe or Asia,” said Brad Setser, senior economist at Roubini Global Economics.(ルビーニ・グローバル・エコノミクスのシニアエコノミスト、ブラッド・セトサー氏は、「第1四半期の米国の景気後退は、欧州やアジアの成長を引き下げなかった」と述べている)。 (”ECONOMIC VIEW: Does It Even Matter if the U.S. Has a Cold?”, by Daniel Gross, The New York Times, May 6, 2007)*有料記事です。 https://www.nytimes.com/2007/05/06/business/yourmoney/06view.html?searchResultPosition=4 |
要するに、新興国を中心とする米国以外の国々では国内経済が成長して力をつけてきたので、仮に米国経済が停滞しても、世界経済の成長が続くというものだ。
英国のシンクタンク、王立国際問題研究所(Chatham House)の上級研究員Vanessa Rossi は、Decoupling Debate Will Return: Emergers Dominate in Long Run(デカップリング論争は再燃する。長期的には新興国が優勢)と題する論文の中で「decoupling(デカップリング)を次のように定義した。
記事2:「デカップリング」とは?:Decoupling Debate Will Return: Emergers Dominate in Long Run(より(2008年10月)(記事の下のカーソルを左から右にスクロールしてお読みください)
What is decoupling?(デカップリングとは何か?) In general, economic decoupling can be defined as growth in one area of the world economy becoming less dependent on (less coupled with) growth in another area – thus GDP growth rates might tend to appear less correlated than they previously were (although …. the problems in defining decoupling on the basis of GDP correlations alone).(一般にデカップリングとは、世界経済のある地域の成長が他の地域の成長に依存しなくなる(連動しなくなる)こと、つまりGDP成長率の相関が以前より低く見えてくることと定義できる(ただし、・・・GDP相関のみに基づいてデカップリングを定義することの問題点に注意されたい)。 More specifically, the term is used to refer to the possibility that, in contrast to a marked weakening in US (and thus OECD) demand, emerging-market economies (especially China) may continue to enjoy high growth rates and sustain robust global growth. (たとえば、米国(ひいては OECD)の需要が著しく弱まるのとは対照的に、新興国経済(特に中国) が高い成長率を維持し、堅調な世界経済を支える可能性を意味する言葉として使われている)。If decoupling is defined in this way, there clearly has already been at least a temporary experience of decoupling over 2006–08.(デカップリングをこう定義すると、2006年から2008年にかけて、少なくとも一時的にデカップリングを経験したことは明らかである)。 (Rossi, Vanessa. Decoupling Debate Will Return: Emergers Dominate in Long Run. London: Chatham House, 2008) https://www.chathamhouse.org/sites/default/files/public/Research/International%20Economics/iepbn0801.pdf |
そして、この論文が示唆したように、「デカップリング論」は長続きしなかった。
実は記事1には続きがある。
記事1-2:The real test of the decoupling thesis(デカップリング論が真に試されるのは)・・・(2007年5月)
But Mr. Baily added that we shouldn’t be so quick to believe that the world economy is significantly more independent of the United States than it was in the past. “I don’t think there’s been a complete decoupling,” he said. “A U.S. recession would dramatically slow growth in China and India.”(しかし、ベイリー氏(国際エコノミスト)は、世界経済が以前に比べて独立性が著しく高まったと早合点してはいけないと付け加えた。「完全に切り離されたとは思っておりません。米国が景気後退に陥れば、中国やインドの経済成長は劇的に鈍化するでしょう。) The real test of the decoupling thesis, Mr. Rosenberg said, will come if consumer spending starts slowing down.(ローゼンバーグ氏(メリルリンチのエコノミスト)は、「デカップリング論が真に試されるのは、(米国の)個人消費が減速し始めたときです)。 Consumer spending in the United States, which is still on the rise, accounts for an astonishing 20 percent of the global economy, he said. (米国の個人消費はまだ増加傾向にあって、世界経済の20%という圧倒的なシェアを占めているのですから)。“I find it hard to believe,” he said, “that the rest of the world is going to be immune to a consumer sector that’s primarily responsible for pulling in nearly $2 trillion of the world’s output.”( 世界の生産高のうち2兆ドル近くを占める消費者部門に、他の国々が影響を受けないとは考えにくいのです」)。 ・・・ “Before we can say there’s a decoupling, we have to wait for a sneeze,” Mr. Rosenberg said. “All we’ve had is a runny nose.”( 「デカップリングが起きたと言う前に、くしゃみが出るのを待たなければなりません」とローゼンバーグ氏。「今はまだ鼻水しか出ていないのですから」)。 (”ECONOMIC VIEW: Does It Even Matter if the U.S. Has a Cold?”, by Daniel Gross, The New York Times, May 6, 2007) https://www.nytimes.com/2007/05/06/business/yourmoney/06view.html?searchResultPosition=4 |
デカップリング理論は一見もっともらしく見えが、その真価は「米国が風邪をひいてみなければわからない」という趣旨でまとめられている。当時既に米国では、サブプライム問題がかなり深刻化し、不動産バブル崩壊寸前だったが、仮に米国内でバブルが弾けても世界に波及することはないだろうと考えられていた。
しかし、上の記事の8カ月後(2008年1月)に、明確に悲観的な記事が掲載される。
記事3:”World Markets Catch a US Cold(世界市場は米国風邪に罹患する)” by TIME(2008年1月)
Rapid growth in China, India and other emerging markets had spurred a lot hopeful talk about how they had “decoupled” from the world’s traditional growth engine, the U.S. (中国、インド、その他の新興国市場が急成長し、これら諸国が世界の伝統的な成長エンジンである米国からいかに「デカップリング」したかという希望的観測を呼び起こした)。South Korea, for example, now exports more to China than it does to the United States. (例えば、韓国は米国への輸出よりも中国への輸出が多くなっている)。But developing nations have been anything but safe havens in the recent turmoil, indicating that the decoupling theory will now be tested with a vengeance. (しかし、最近の混乱の中で、発展途上国は決して安全な避難所ではなく、デカップリング理論の真価が今まさに徹底的に試されていることを示している。)”There’s no question the slump in the US will have hurt [Asia’s] exports,” says Shanghai-based economist Andy Xie. (上海のエコノミスト、アンディ・シェは「米国の景気後退が(アジアの)輸出に打撃を与えたことは間違いない」と言う)。Morgan Stanley’s Roach believes decoupling is “one of those nice theories you hear at the top of market bubbles.” The fact is, Roach argues, “that Asian consumers are too small to make up for the void created by U.S. consumption.”(モルガン・スタンレーのローチ氏は、「バブルが絶頂期には耳障りのよい理論がまかり通るが、デカップリング論もその一つではないか」と考えている。事実、「米国の消費(減退)がつくった空白を埋め合わせるには、アジアの消費者は小さ過ぎるのだ」と主張する)。 (”World Markets Catch a US Cold(世界市場は米国風邪に罹患する)”、Time, Jan. 23, 2008) https://content.time.com/time/business/article/0,8599,1706082,00.html |
記事4:” The death of the ‘decoupling’ theory?(「デカップリング理論は死んだのか?」)” by NYT(2008年1月)
“Decoupling is yesterday’s story,” Stuart Schweitzer, a global strategist at J.P. Morgan Private Bank, declared.(「デカップリングはもう古いですよ」。JPモルガン・プライベート・バンクのグローバル・ストラテジストであるスチュワート・シュバイツァー氏はこう指摘した。) ・・・ True believers in decoupling have ignored another theory that appears to be logically inconsistent with it, has been popular for far longer and, most important, has been shown to work in real life. Remember globalization?(デカップリングの信奉者たちは、デカップリングと論理的に矛盾しているように見え、これよりもはるかに長い間人気があり、そして何と言っても、現実に機能していることが示されている別の理論を無視してきた。グローバリゼーションを覚えているだろうか?) “If anything, global interdependence of economies is rising, not falling,” said Jeff Applegate, chief investment officer of Citi Global Wealth Management.(シティ・グローバル・ウェルス・マネジメントのチーフ・インベストメント・オフィサー、ジェフ・アップルゲート氏は、「どちらかと言えば、世界経済の相互依存関係は低下するどころか、高まっている」と指摘した)。 (” The death of the ‘decoupling’ theory?(「デカップリング理論は死んだのか?」)” By Conrad De Aenlle, The New York Times, Jan. 25, 2008 ) |
そしてこの8カ月後(2008年9月)にリーマンショックが起きて、すべてが吹っ飛んでしまう(ちなみに “Lehman shock”は和製英語と思われる。”Global Financial Crisis(GFC)”、”Great Recession”または”the 2008 crisis”が無難である)。下はリーマンショック後4カ月後の記事。
記事5:デカップリング(論)は「神話」(2009年1月)
And decoupling? Nobody believes in it anymore.(デカップリングはどうかって?もう誰も信じていない)。 “Decoupling is a myth,” said Anand G. Mahindra, vice chairman and managing director of Mahindra & Mahindra, a conglomerate that is one of the country’s biggest companies.(「デカップリングは神話です」と、国内最大手のコングロマリット、マヒンドラ&マヒンドラの副会長兼マネージングディレクター、アナンド・G・マヒンドラ氏は言う)。He should know. Mahindra & Mahindra is perhaps best known in India as a manufacturer of cars and trucks, mainly for the domestic economy. Last month, the company cut production and temporarily shut some plants because demand for vehicles had fallen off significantly.(さもありなん。マヒンドラ&マヒンドラといえば、インドでは主に国内向けの自動車やトラックを製造するメーカーとして知られているのではないだろうか。先月、同社は自動車の需要が大幅に落ち込んだため減産を行い、一部の工場を一時的に閉鎖した。) (” In India, Crisis Pairs With Fraud,” by Joe Nocera. The New York Times, Jan. 9, 2009) |
2018年に原書が出版されたCRASSHED: How a Decade of Financial Crises Changed the World by Adam Tooze(『暴落:金融危機は世界をどう変えたのか』)は、当時をこう振り返っている(原著と訳書から引用する)。
記事6:『暴落:金融危機は世界をどう変えたのか』より
As the shock of 2008 revealed, with supply chains synchronized to perfection, “factory Asia” responded within a mater of weeks to any hesitation of demand in Europe and America. Now were they the only ones to be hit. Germany suffered a 34 percent fall in exports between the second quarter of 2008 and 2009, with its machinery and transport equipment sector taking a deep drive…. As one bank economist remarked: “One has to go back to the 1930s during the Great Depression to find comparably horrible figures.” Meanwhile, emerging markets were hit too. Turkey, which had joined the club of rapidly growing economies after its financial stabilization in 2004, suffered a sudden and jarring stop. 2008年の衝撃が明らかになってくると、サプライ・チェーンが完全に同期化されていたため、「アジアの工場」は数週間のうちに欧州と米国の需要停滞の影響を受けた。打撃を受けたのは、アジアだけではない。ドイツは2008年第2四半期から2009年にかけて輸出が34%下がり、機械と輸送設備部門は深く落ち込んだ。…ある経済評論家は「これほどひどい数字は、世界大恐慌が起こった1930年代以来だ」と語った。新興市場も打撃を受けた。トルコは2004年に金融安定化を果たしてから急成長経済圏の仲間入りをたが、その勢いがぴたりと止まった。 ・・・ What made the collapse of 2008 so sever was its extraordinary global synchronization…. In the worst six months of 2008, oil prices fell by more than 76 percent. That in turn wreaked havoc with the budgets of the petrostates…. But nowhere was worse affected than boomtown of Dubai…. By 2008 the city bristled with construction cranes. Its palatial malls boasted floor space fort times the per capita level in the United States. In the autumn of 2008 the bubble burst. New credit was slashed. By February 2009, Dubai’s rip-roaring six-year construction boom had com to a halt. Half of a portfolio of $1.1 trillion in construction projects being undertaken in the Gulf Cooperation Council was canceled in a matter of months. Luxury cars were abandoned in droves as Western contract workers scuttled to the airport to escape debtor’s prison. An airlift of charter flights repatriated tens of thousands of migrant guest workers in India. As both household consumption and business investment plummeted, of the sixty countries that supply the IMF with quarterly GDP statistics, fifty-two registered a contraction in the second quarter of 2009. 2008年の崩壊が極めて深刻化したのは、世界規模での極端な同時発生現象だったためである。・・・2008年、最悪の状況にあった半年間で原油価格が76%超下がった。その結果、石油で富を得ている国々の国家予算が悲惨な結果に陥った。・・・どこよりもひどく影響を受けたのは近未来都市ドバイだった。・・・2008年まで、街は建設用のクレーンで埋め尽くされていた。ショッピングセンターは宮殿さながらで、国民一人当たりの床面積がアメリカの4倍であるのが自慢だった。2008年秋、バブルが弾けた。信用枠が大幅に削られ、2009年2月には6年続いた騒々しいほどの建設ブームが終わった。湾岸協力会議で実施が決まっていた1兆1000億炉津の建設計画の半分が、数カ月のうちにキャンセルされた。西側の建設業者が債務者監獄に入れられるのを恐れて空港に急いだため、高級車が大量に乗り捨てられた。チャーター便が出て、何万人もの出稼ぎ労働者をインドに送り返した。 家計消費と事業投資が減ったため、IMFに四半期ごとのGDP統計を出している60カ国のうち52カ国で、2009年第2四半期のGDPが縮小した。 ・・・ …. As he was to affirm on several occasions afterward, for Bernanke, “September and October 2008” was clearly the “worst financial crisis in global history, including the Great Depression.” ・・・後日、いくつかの場面で認めているように、バーナンキ(FRB議長、当時)にとって「2008年の9月と10月」は、間違いなく「世界大恐慌を含めても史上最悪の金融危機」だった。 (原著:Adam Tooze, CRASHED – How a Decade of Financial Crises Changed the World(Viking, 2018) pp159-163. 訳書:アダム・トゥーズ著『暴落(上) 金融危機は世界をどう変えたのか』江口泰子、月沢李歌子訳(みすず書房)pp183-188) |
こうして、華々しく脚光を浴びた「デカップリング『論』」は短命に終わった。いや、これは「論」(theory またはthesis)ですらなく「絵に描いた餅」だったことが明らかとなった。今振り返れば、経済のグローバル化が加速度的に進んでいたのだから当然の帰結だったのだと言えるのだが、当時は、希望的観測と政治的思惑(BRICSなどはその典型かもしれない)を根拠に、この神話が信じられていた。参考までに、”decoupling theory”または”decoupling thesis”で検索しニューヨーク・タイムズ紙の記事数を挙げておく(()内は、上に紹介「decoupling」1語の検索数)
2005 年 0件(8)
2006年 0件(9)
2007年 4件(34)
2008年 28件(98)
2009年 11件(41)
2010年 4件(23)
2011年 0件(9)
2012年 3件(19)
2013年 2件(11)
2014年 0件(7)
2015年 0件(10)
2013年に大和総研が当時の「デカップリング論」についての総括的なレポートを発表しているのでご紹介する。
記事7:デカップリング論の再来とその本質(2013年11月)(記事下のカーソルを左から右にスクロールしてお読みください)
以前に「デカップリング論」が隆盛したのは07-09年頃であり、当時は先進国不調、新興国好調という、現在とは逆の形で景気の方向感の差異が確認された。しかし当時も盛んに指摘されたことであるが、こうした先進国と新興国の景気循環のずれは、両者の間にある経済の相互関係が薄まっている結果では決してない。むしろ先進国と新興国の間に存在する強力なリンケージの帰結である。そしてこの構図は現在も変わらない。乱暴な言い方をしてしまえば、前回は「先進国経済が不調だからこそ新興国経済が好調」だったわけであり、今回は「先進国経済が好調だからこそ新興国経済が不調」なのである。 https://www.dir.co.jp/report/column/20131126_007924.html |
さて、当時の日本では、「デカップリング(論)」はどう捉えられていたのだろう?下記は、現在も国際大学グローバル・コミュニケーション・センターに残っている、当時のデイリー・ヨミウリの記事の抜粋だ(元記事は残っていない)。
記事8:リーマンショック直前の日本人の「デカップリング」観(2008年8月)
It has been argued that emerging economies, especially the Asian economies including China and India, are so strong by themselves that they might be immune to the downturn of the U.S. economy. (新興国、特に中国やインドをはじめとするアジア経済は、国内経済が非常に強いので米国経済が低迷してもその影響を受けずに済むかもしれない、という議論がなされてきた)。This is what is called the “decoupling theory,” meaning that advanced economies and emerging economies tend to show independent movements, and not to fall into recession at the same time.(これはいわゆる「デカップリング理論」と呼ばれている。先進国経済と新興国経済はそれぞれ独立して成長するようになったので、両社が同時に不況に陥ることはない、という意味である)。 Many of those who are optimistic about the Japanese economy believed this theory, hoping that decreases in exports for the U.S. and other advanced economies would be offset by increases in exports for emerging economies.(日本経済を楽観視する人の多くはこの説を信じ、米国をはじめとする先進国向けの輸出の減少を、新興国向けの輸出の増加で相殺することを期待した)。 (国際大学グローバル・コミュニケーション・センターのGlobal Communications Platformに紹介された2008年8月17日付デイリー・ヨミウリの記事より抜粋) http://www.glocom.org/media_reviews/n_review/20080818_news_review459/index.html |
これが実態だったはずだ。そしてこの日本人一般のデカップリング観を象徴したのが、リーマンショック2日後に発せられた我が国経済財政担当大臣(当時)による次の談話である。
記事9:リーマン破綻は「ハチが刺した程度」(2008年9月)(記事下のカーソルを左から右にスクロールしてお読みください)
「与謝野馨経済財政担当相は米証券大手リーマン・ブラザーズの経営破綻(注:2008年9月15日)に関して「日本にももちろん影響はあるが、ハチが刺した程度。これで日本の金融機関が痛むことは絶対にない。沈着冷静な行動が求められる」と述べ、日本経済への影響は限定的との見方を示した。」(青色は鈴木) (2008/09/17 日本経済新聞 夕刊 「世界金融危機と変化する日本の金融」名古屋大学総長補佐 大学院刑事学研究所教授 家森信善(2009年6月)より)http://www.iar.nagoya-u.ac.jp/~oldsite/Activities_Programs/IARgakumon/IARgakumon2009/gakumon_2009_7/docs_2009_7/yamori_ppt.pdf |
今なら多少の揶揄も込めて苦笑してしまう内容だ。世論に不安を与えないとの配慮が下敷きにあったにせよ、これは当時の日本政府、市場関係者、そして多くの日本人が、米国のサブプライム問題を「米国の国内問題」と大真面目に捉えていたことを裏付ける談話だったと言えるだろう。
続きは後編へ
金融翻訳者。あだ名は「チャーリー」。一橋大学社会学部卒。米コロンビア大学ビジネススクール修了(MBA:専攻は会計とファイナンス)。野村證券勤務などを経て、2002年、42歳の時に翻訳者として独立。現在は主にマクロ経済や金融分野のレポート、契約書などの英日翻訳を手がける。訳書に『ティール組織――マネジメントの常識を覆す次世代型組織の出現』(英治出版)、『Q思考――シンプルな問いで本質をつかむ思考法』(ダイヤモンド社)、『世界でいちばん大切にしたい会社 コンシャス・カンパニー』(翔泳社)、『ブレイクアウト・ネーションズ』(ハヤカワ・ノンフィクション文庫)など。著書に『金融英語の基礎と応用 すぐに役立つ表現・文例1300』(講談社)。