【第10回】通訳翻訳研究の世界~翻訳研究編~「翻訳調」とはどんな訳文なのか

今回は「翻訳調」についてお話します。さっそくですが、「翻訳調」を辞書で引いてみると、以下のようにありました。外国語の表現が、そのまま日本語に直訳されているような独特の表現。また、そのような文体の作品(三省堂 大辞林 第三版, Weblio より)。つまり翻訳調とは直訳のような翻訳であることがわかります。具体的に、以下のヘーゲル著『精神現象学』の二種類の訳を比較してみましょう。

① 最初に或は直接的に「我々」の問題であるところの知とは、それ自身直接的な知であるところの知、即ち直接的なもの或は存在するものの知以外のものではありえない。(金子武蔵訳)
② まっさきにわたしたちの目に飛び込んでくる知は、直接の知、直接目の前にあるものを知ること以外にはありえない。(長谷川宏訳)

これを見ると①の訳のほうが、いまの私たちの語感からすると、ゴリゴリした日本語であり「翻訳調」であると感じます。別の言い方をすると、現代の翻訳規範にそぐわない訳。つまり今、プロの翻訳者をめざすのであれば、「翻訳調」の翻訳をしないほうが良い、少なくとも一般的な読者は翻訳調を望んでいないと言えそうです。

翻訳調の歴史的役割

だからと言って、歴史的に翻訳調が常に悪い訳であったわけではありません。時代によって求められてきたものが違うだけの話で、翻訳調は日本の歴史の中で大変重要な役割を果たしてきました。
19世紀半ば、幕末明治の人たちが欧米列強の植民地化の危機を回避するのに、欧米から先端技術を学ぶしかなく、そのために「翻訳主義」をとりました。その目的に合わせて作られた訳出方法が翻訳調でした。ですので、こうして訳された翻訳書は、原文の意味を伝えることを必ずしも目的としていないようでした。山岡洋一氏によれば、「翻訳調の想定読者は主に、原書を読む人であった……(しかし)原書を読めない読者のために、いわば原書購読の疑似体験ができるようにすることも、翻訳調の重要な役割であった。原文の表面、つまりどういう構文や語句が使われているかが透けて見えるように訳してあるので、読者は原文がどうであるかを想像しながら、意味を考えていける」(山岡,2010)。

そういう役割と目的を果たし、翻訳調は日本の成長に大きく貢献しました。しかしながら、今の時代に翻訳調の翻訳をしていたのではプロ翻訳者としては生き残れないでしょう。そうなると、翻訳調でない翻訳とはどのようなものなのか、を正しく知っておくことが大切になります。以下では、翻訳調の特徴をみてみましょう。

翻訳調の特徴

メルドラム氏の論文(*1)を参考に、代表的な翻訳調の特徴をまとめます。

1.代名詞の使用
代名詞とは、英語の「he」「she」「it」などのことで、日本語の「彼」「彼女」「それ」にあたります。英日翻訳において、日本訳に「彼」や「彼女」が多く含まれると、たとえば、「He met his girlfriend」が「彼は彼の彼女に会った」と訳されると、いかにも翻訳調に感じるでしょう。

2借用語(カタカナ語)
「king」→「キング」などのカタカナ語が、頻繁に使用されるならば、翻訳調になります。

3.女性語(役割語)
女性語(役割語)とは、日本語の語尾につけられる「〜わ」や「〜わよ」などの語です。たとえば、「行くわよ」とあれば、女性の話し言葉のような印象を受けます。翻訳調には、このような女性語が多く使われているようです。

4.無生物主語
たとえば、原文の英語が「Nature has given him wonderful strength and beauty」であった場合(無生物の「Nature」が「has given him」の主語の位置にある)、これを直訳して「自然は彼に驚くべき力と美を与えたり」とする訳は、翻訳調であるともいわれます。

実証検証(コーパスベース翻訳研究)

さて、上記の翻訳調の特徴は多くの翻訳者が「そう思い込んでいること」であり、翻訳研究ではこれが本当なのかどうかを調査することがあります。メルドラムは、これを英日の小説の翻訳で検証しました。検証方法は、1980 年から2006 年までに出版された「翻訳テクスト」(英語から日本語へ翻訳された小説)と「翻訳でないテクスト」(日本語で最初から書かれた小説)を、30 冊ほど用意して、コーパスを作成して比較分析しました。つまり、上の特徴が「翻訳テクスト」に多く見られれば、それは翻訳調の特徴であると断言できるわけです。では、結果を見てみましょう。

代名詞の使用頻度 ※(回数は、10,000 文字当たりの頻度です)

代名詞の使用回数は、どれも「翻訳テクスト」のほうが多いことがわかりました。興味深いのは、「彼」の回数はあまり変わらないのに、「彼女」「彼ら」の使用頻度は「翻訳テクスト」でとても多いということです。

カタカナ語の使用頻度

カタカナ語については、「翻訳ではないテクスト」のほうが使用頻度が多いという驚く結果になりました。人名や固有名詞では、「翻訳テクスト」ではカタカナ語が多く現れるのですが、全体的にみて、カタカナ語の頻繁な使用は必ずしも翻訳調の特徴であるとは断定できないようです。

女性語

女性語の結果も驚きです。これも「翻訳でないテクスト」のほうが全体的に使用頻度が多いのです。女性言葉は翻訳によって作られた、ということがよく言われていたのですが(中村,2013)、この結果を見る限りは、そうとも言い切れないということでした。

無生物主語

無生物主語についても女性語と同じように、「翻訳でないテクスト」のほうが多い結果でした。おそらく、上の例文で見たような「自然が・・・与えた」という日本語の言い回しは、現代日本語として定着した言い方になりつつあるということ。逆にいえば、これらはもはや翻訳調の特徴ではないことが、この結果から示唆されます。

結論と考察

翻訳調の特徴を、実証検証を参照して考察してみましたが、代名詞の頻繁な使用以外は実は、翻訳調の特徴とも言い切れないようです。つまり、私たちが翻訳調であると思いこんでいることは、そうでない可能性があります。一昔前までは、確かに翻訳調だったかもしれない表現も、今や標準的な日本語として取り込まれているかもしれないのです。翻訳調は、今の私たちの言葉を形作る方向に影響力を持ち続けているのだと、あらためて考えさせられました。そして、ことばを扱う翻訳者にとって、このようなトレンドに敏感になりつつ、ときには実証検証を参考にしながら実際の状況を正しく把握しておくことは大事だと思います。

参考文献
ヘーゲル著 金子武蔵訳『精神の現象学』岩波書店刊
ヘーゲル著 長谷川宏訳『精神現象学』作品社刊
(*1)Meldrum, Y.(2009). Translationese-Specific Linguistic
Characteristics: A Corpus-Based Study of Contemporary Japanese
Translationese. 翻訳研究への招待, 第3号, 105-122.
中村桃子(2013)『翻訳が作る日本語:ヒロインは「女ことば」を話し続ける』白澤社
山岡洋一(2001)『翻訳とは何か―職業としての翻訳』日外アソシエーツ
山岡洋一(2010)「翻訳主義と翻訳調」『翻訳通信』2010年6月号

 

関西大学外国語学部 山田研究室

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山田 優(やまだ・まさる)

関西大学外国語学部/外国語教育学研究科教授

立教大学大学院異文化コミュニケーション研究科博士後期課程修了、博士(異文化コミュニケーション学/翻訳通訳学)。社内通訳者・実務翻訳者を経て、最近は翻訳通訳研究に没頭し、2015年より現職。研究の関心は、翻訳テクノロジー論、翻訳プロセス研究、翻訳通訳教育論など。日本通訳翻訳学会(JAITS)理事。