【第3回】通訳翻訳研究の世界~通訳研究編~「意味の理論」を考える

皆さん、お久しぶりです。「通訳研究編」は半年ぶりですね。連載初回(2017年秋号)は、通訳者が何も足さず、何も引かず、何も変えずに「そのまま訳す」ことができるという世間の思い込みと、その根底にある「導管モデル」というコミュニケーションモデルを紹介しました。今回は、主に通訳者を養成する現場で発展した理論である「意味の理論」を取り上げます。なにやら堅苦しい話になりそうだと感じるかもしれませんが、具体例を交えながらわかりやすく説明していきますので、安心してついてきてください。

欧州の通訳訓練において発展
キーワードは「非言語化」

「意味の理論」を提唱したのは、20世紀後半、パリ第三大学通訳翻訳高等学院(ESIT)で通訳を教えていたダニッツァ・セレスコヴィッチを中心とする研究者たちです。国際会議通訳者協会(AIIC)の初期メンバーの一人で、フランス語を母語とする複数言語(独・英・セルビア=クロアチア語)の会議通訳者でもあったセレスコヴィッチは、通訳とは、言葉の表面的な置き換えではなく、より深いレベルで意味を伝達することだと主張しました。その中核をなすのが、「非言語化(deverbalization)」(または「脱言語化」)と名付けられたプロセスです。

図を使って説明しましょう。「意味の理論」によると、通訳者は物理的なインプットとしての単語や句を単純に聞きとるのではなく、その背景にあるメッセージを瞬時に汲みとる(「意味を聞く」)とされます。はたから見ると、通訳者は図の中の「×」の付いた矢印のように、日本語と英語の間で単なる単語の置き換えをしているように見えますが、実際にはいったん、内包された意味を言語から切り離してとらえ(非言語化し)、その意味を別の言語で表現している、というわけです。

例えば、原発話者(original speaker)が英語で“game”という単語を発したとしましょう。これをそのまま何も考えずに「ゲーム」に置き換えたのでは、意図された内容を十分に伝えきれないことってありますよね。動作の主体が子どもなら「遊び」かもしれないし、スポーツの文脈なら「競技」や「試合」と訳した方が適切なこともあるでしょう。さらに、誰かからの誘いに対して“I’m game”と答えたのであれば、「僕もやるよ」「参加します」などと訳さないと意味が通じません。

もちろん、こうした考え方は通訳の基本で、少しでも通訳をかじったことがある人ならよく知っていることなのですが、プロであっても、非常に早口なスピーカーの同時通訳の最中など、余裕がなくなると、つい聞こえてきた言葉をそのまま「おうむ返し」するかの如く単純変換してしまうこともあるのではないでしょうか。恥ずかしながら、私もスピーカーに遅れないようにと焦って、深く意味を考えずに言葉に「飛びつく」ように訳してしまった経験があります。学生の指導をしていても、そのような訳出を耳にすることは少なくありません。


“friendly competition”をどう訳す?
まず、原文の意味を考えよう

ここからは、「意味の理論」をさらによく理解するために、実際の例を見てみましょう。
私は5年前から、サイマル・アカデミーのインターネット講座「基礎からはじめる通訳トレーニング-通訳訓練法と実践演習」を担当しています。この講座は、10 回の講義と、2回の添削課題で構成されていて、受講生は、日本語から英語、英語からの日本語への逐次通訳をして、それを録音し、課題として提出します。

英語から日本語への課題音声は、日本の英語教育に関するネイティブの英語話者によるスピーチなのですが、「英語を学ぶ上で、どのような学習機会を得ることが有効か」という流れで、国際交流などを通じた“friendly competition (with foreign peers)”という表現が出てきます。意味を理解するのはさほど難しくないと思いますが、さて、皆さんならどう訳すでしょうか。

ちなみにこの講座の受講生はのべ約500人です。全員が必ず課題を出すわけではないものの、私はこれまでにおそらく数百の課題音声を聞いてきたと思います。その中で、一番多い訳例は、「友好的な競争」でした(「私もそう訳す!」と思った方もおられるかと思います)。これでももちろん間違いではありません。ただ、「友好的な競争」という表現は、果たして自然な日本語でしょうか。少なくとも日本人がよく使う表現とは言い切れないのではないかと思います。

では、この表現を、「非言語化」してみましょう。国際交流などを通じた“foreign peers”との“friendly competition”ということですので、相手に勝利するのが目的の「競争」ではなく、お互いに競い合うことで、ともに能力の向上を目指す、というような意味合いであることがわかります。そんな意味の日本語の表現がないかな、と考えてみると、おそらくぴったりした表現が見つかるのではないでしょうか。

「玉・石などを切りみがくように、道徳・学問に勉め励んでやまないこと。また、仲間どうし互いに励まし合って学徳をみがくこと」(広辞苑)。そう、「切磋琢磨」です。「国際交流などを通じて、海外の仲間と切磋琢磨する」と訳せば、「友好的な競争」よりも意味が伝わると思いませんか?

こうやって時間をかけて考えればわかりやすいですが、実際の通訳の現場では、耳から聞こえてくる“friendly”や“competition”に影響されて、非言語化した意味にたどり着く前に、つい「友好的な競争」と直訳してしまう。セレスコヴィッチや、「パリ学派」と呼ばれた同僚たちは、数多くの通訳訓練生を教える中でこのような傾向に危機感を覚え、あえて「非言語化」という言葉を用いて警鐘を鳴らしたのだろうと考えられます。

言うは易し、行うは難し
実際の現場で生かすには

「切磋琢磨」のような訳は、ぴったりはまればわかりやすいですし、通訳者の養成において、「非言語化」という作業に一定の有効性があることは、納得できるのではないかと思います。ただ、「意味の理論」は、通訳という行為を、イメージとして巧みに表してはいるものの、実際に非言語化が行われているのかどうかは実証が困難であるため、通訳研究の世界では、「科学的根拠がない」として、繰り返し批判の的となってきました。

また、日本語も英語もわかる人が増えてきている現代の日本においては、せっかく「非言語化」して、わかりやすい訳出をしても、クライアントが使った通りの言葉や語順を踏襲しないと、いらぬ不満や不信感を招いてしまう場合もあります。グローバル化と技術の発展で、通訳者が活動する環境も、求められる役割も、常に変化しつづけています。先人の知見から学ぶべきところは学びつつも、実際の現場に応じて柔軟に対応していく姿勢が必要と言えそうです。

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いかがでしたか。皆さんの日々の通訳実践ならびに通訳訓練において、少しでも参考にしていただければ幸いです。次回は再び、関西大学の山田優(やまだ・まさる)教授が、翻訳研究の世界を案内します。期待して待っていてください。


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松下佳世(まつした・かよ)

立教大学異文化コミュニケーション学部・研究科准教授(PhD)、会議通訳者

朝日新聞記者、サイマル・インターナショナル専属通訳者を経て、研究の世界へ。2014年9月から国際基督教大学教養学部准教授。2017年9月から現職。著書に『通訳者になりたい!ゼロから目指せる10の道』(岩波書店)など。講師を務めるサイマル・アカデミーのインターネット講座「基礎から始める通訳トレーニング」も好評。

企画協力:日本会議通訳者協会

※『通訳翻訳ジャーナル 2018 SPRING』に初掲載。