【第1回】日英通訳者がソウル大学校語学堂に留学してみたら「BTSのおかげでソウル大へ?!」
여러분, 안녕하세요! 皆さん、ソウルからこんにちは。日英通訳者の古賀朋子と申します。11月の末からソウル大学校の語学堂に短期留学をしています。今回の連載では日英通訳者なのに、なぜか韓国に留学することになった体験を、そこに至るまでのお話と共に皆さんにお伝えしていきたいと思います。
2019年までは、韓国には個人的な旅行や出張で来たことがありましたが、それだけでした。私の母はかなり以前から韓ドラを多く視聴していて、ハングルも読めるようになっていたので、一緒に旅行をした時には、横で読んでいる様子を見ていましたが、私は特段の関心もなく、「ふーん」という感じでした。ハングルは記号にしか見えず、不思議な文字だなぁと思っていました。
そんな私が韓国にハマるきっかけがありました。それは2020年のBTSの曲Dynamiteです。私は会社員だった2019年の終わり頃から少しずつフリーランス通訳者としての仕事を始めており、2020年からフルタイムのフリーランス通訳者になりました。しかし、皆さんご記憶の通り2020年からコロナ禍が始まり、私の仕事も春の繁忙期を経ることもなくいきなり暗礁に乗り上げたのです。
悲嘆に暮れて何も手につかないとまではならなかったものの、仕事はほとんどなく、外に出ることも多くない日々は、家にいるのが好きな私にとっても決して楽な時期ではありませんでした。しかも、実は私アメリカから帰国した直後の2011年にも一度フリーランス通訳者になろうとしていましたが、直後に東日本大震災が発生し(それだけが理由ではありませんでしたが)断念した経験もあり、再び似たような状況になり、「フリーランスになるな」と言われているのだろうかと思ったりもしました。
そんな日々を過ごしている時に、たまたまよく耳にすることになったのが、Dynamiteです。最初の頃は韓国人が歌っているとは全く気づきませんでした。当時洋楽か日本の古い歌しか聞いていなかった私の耳に「洋楽」として聞こえてきたのがDynamiteで、よく耳にするようになったので、気になって調べてみると、なんと英語圏の歌手ではなく、BTS(防弾少年団)という韓国人のグループが歌っていることが分かったのです。
世の中全体が暗い雰囲気になっている中、明るい歌詞のファンク、ディスコポップの曲調がすっかり気に入ってしまい、歌えるようになりたくて、カラオケ動画を見て一生懸命に練習していました。また、BTS自体もさまざまな番組でこの歌を披露していて、アレンジやセットを変えて歌っていたので、そういう動画も見るようになりました。
皆さんも経験があると思いますが、YouTubeって皆さんがどんな映像を見ているかによって、アルゴリズムでおすすめ動画を出してきますよね。Dynamiteばかり見ていた私には、当然彼らの他の楽曲のMVやパフォーマンス動画がおすすめ動画として出されるようになってきました。最初はDynamiteだけ聞こう(見よう)と思っていた私でしたが、おすすめで出てくる映像に興味が湧いて見るようになりました。想像していたより色々な曲調があったのですが、最初は「ラップは苦手だな」とか、「この曲は激しすぎるな」(何様?)とか思っていたんです。
そうこうしているうちに、彼らが自分たちで製作している「走れバンタン(달려라 방탄)」というバラエティ番組の切り抜き動画がおすすめされるようになり、それを見てみると、本当に面白くて!(彼らのファンだからというひいき目ではなく、ファンではない人も純粋に楽しめると思います。もちろん彼らを知っていた方がより面白いですが。)
私はコロナ禍に世の中の多くの人ほど落ち込んではいなかったと思いますが、それでも鬱々とした社会の雰囲気を感じてはいたし、自分のフリーランス通訳者としての将来がどうなるのか見えない不安も多少はあったと思います。そんな時にただただ笑える彼らのコンテンツを見るのが毎日の習慣になり、同時に他の楽曲もどんどん視聴するようになっていきました。そうなってしまえば、いわゆる沼落ちをするのは時間の問題です。仕事もそんなになく時間がたっぷりある日々はBTSを中心に回るようになりました。
そんな日々を過ごすようになると今度は彼らの言語である韓国語に自ずと興味が沸いてきます。日英通訳者として英語も、そしてもっと言えば日本語も極めていない私が、韓国語に手を出すなんてと3、4ヶ月間迷っていましたが、やっぱり彼らの言葉を直接理解したくて、2021年の2月についに韓国語の勉強を始めることにしました。
1時間でハングルが読めるようになるという触れ込みの本を買い、Duolingoというアプリを始めました。Duolingoは連続で勉強した日数を記録してくれるので、これを途切れさせるのが嫌で、忙しくなり始めた秋の繁忙期にもなんとか韓国語の勉強をする時間を捻出していました。また並行してハングル講座を見るなどして、コツコツと勉強を進め2022年の5月から韓国人の先生とZoomで会話をするようになりました。今と比べても本当に言えることが少なくて、私もさることながら、先生はもっと大変だったと思いますが、それでも自分で話していることでコミュニケーションを取れるようになったのは、本当にうれしかったです。
コロナ禍で減っていた仕事は2020年秋から戻り始めていて、日英通訳者としてフル稼働するかたわら、DuolingoとZoomで勉強を続けて、言えることが少ないもどかしい思いを抱えながらも、楽しく先生を会話していた2024年8月のある日、先生からLINEが来て「レッスンを止めたい」と言われました。次回の日程もすでに決めていた私にとっては本当に青天の霹靂でした。
その少し後に親友が東京に来てご飯を一緒に食べる機会があり、「急に先生から止めようと言われてショックを受けた」と話していたら、「だから留学したらって前から言っているじゃん」と言われたんですよね。確かに彼女はアメリカと中国に留学の経験があり、現地に住んで学ぶことの効果を私よりももっと良く身をもって知っていました。しかもどちらも大人になってからの留学でした。彼女のアドバイスに絶大な信頼を寄せる私は、「そうか!」となって、以前Kindleで読んだ雑誌の韓国留学記事を改めて読み返し、いくつかの留学エージェンシーに問い合わせをしてみたのです。
そういう雑誌を購入して読んでいた時点で「いつかは留学もいいかも」とうっすら思ってはいたのですが、フリーランスの仕事も順調に軌道に乗っているし、留学は大変そうだしとなかなか踏ん切りがつきませんでした。でも、先生にレッスンを止めたいと言われたことで、「それならいっそ」という気持ちになったのですよね。本当に予想外の展開ですね。
仕事についても12,1,2月は比較的仕事が少ない時期でもあり、勢いで冬学期(12-2月)に行こうということになり、エージェンシーを通してとんとん拍子に話が進み、ソウル大の語学堂に留学することになりました。慌てて卒業証明書や成績証明書を手配し、行政書士の方にアポスティーユをお願いしました。私もよく知らなかったのですが、アポスティーユを検索すると「日本の公文書を外国の官公庁に提出する際に必要となる外務省の証明書」と書いてあります。ソウル大は官公庁なのか?という疑問はさておき、急いで提出しなければならなかったので、大学から直で行政書士の方に送っていただきました。また出願書に添付する写真を撮ってもらい、出願理由を文章でまとめて(日本語)、履歴書のようなものと一緒に送りました。エージェンシーの方曰く犯罪歴など余程のことがなければ、入学できるはずだとのことだったので、大丈夫だろうとは思いましたが、それでもなんとなく落ち着かない気持ちでした。
心配していた住居の手配もエージェンシーから寄宿舎(寮)の一人部屋があると言われ、希望を出してもらいました。こちらも入れるのかヤキモキしていましたが、無事に入れることになりました。韓国も日本と同様、普通の賃貸住宅は2年契約が多いようなので、3ヶ月も滞在しない私にとっては寄宿舎に入れないとなると大きな問題なので、本当にホッとしました。(ちなみに日本のようなウィークリーやマンスリーマンションはあまりなく、現実的な選択ではないようです。)もちろん諸々の手続きを全て自分ですることもおそらく不可能ではないでしょうが、自分の韓国語の能力からしても、仕事を目一杯していることからしても留学エージェンシーにお願いをしたのは賢明な選択だったと思っています。
実は2015年ごろ渋谷の会社に勤めていて、マルイの大きな広告で「防弾少年団」という文字を見かけたことがあって、「変な名前!」と思ったことを鮮明に覚えていたのですが、まさかその彼らに沼落ちし、彼らの言葉を理解したい気持ちが昂じて留学まですることになるとは夢にも思いませんでした。本当にいつ何がどう転ぶか分からないですね。我ながら面白いですし、ここまで私を突き動かしたBTSに感謝しかないです!
古賀朋子
フリーランス英日通訳者。千葉県出身。英会話学校で主任講師などを務めた後、2002年に渡米。モントレー国際大学院(現ミドルベリー国際大学院)にて会議通訳修士号を取得。ホンダのアラバマ工場で社内通翻訳者として勤務。2010年に帰国後、製薬会社、損害保険会社、MLM企業の社内通翻訳者を経て、2020年1月より本格的にフリーランス通訳者に。主な専門分野は自動車、製薬。DEI、サステナビリティ、市場調査、マーケティング、ファッション案件なども担当。2024年11月末よりソウル大韓国語教育センター(語学堂)に留学中。