【第3回】翻訳家ありのまま「夢の夢であった産業翻訳家人生が幕を開けたが…」

学生時代から夢の夢であった翻訳人生が某一流会社の翻訳部に中途入社するという形で幕を開けた。21歳のときに翻訳家になることを夢見始めた私はすでに27歳になっていた。6年間の修練を経て、ようやく「翻訳で飯が食える」ようになったというわけだ。

初出社日に社長から驚くことを聞かされた。翻訳スタッフを5名同時に採用したのは翻訳部を新設するためだったという。それまでは翻訳が必要になったときは国際部の“英語ができる人”が業務の片手間に翻訳をしていたらしいが、通常業務に支障が出るだけでなく、翻訳のクオリティもいまいちなので、それならいっそのこと翻訳の専門家を招き入れて翻訳部を作ろうというのがその理由であった。

新設されただけあって、5名の翻訳スタッフは翻訳経験のある中途採用者ばかりだった(といっても私は“翻訳学習経験”があるに過ぎなかったが)。しかも私以外のスタッフは皆、ピカピカの学歴の持ち主であった。社長兼翻訳部長は京大卒、中途採用された私以外の4名は東大大学院修了、ミシガン大学大学院修了(パブリック・アイビーの一つで米国トップクラスの名門。しかも彼はマサチューセッツ工科大学卒!)、東外大卒、慶應大学卒だった。

(す、す、すごい。今までの人生で京大卒や東大大学院出身の人と一緒に働いたことがない。慶應卒や東外大卒というのも初めてだし、ミシガン大学大学院出身という人も初めてだ。こんなすごい人たち同じ部署で働くことになったとは私も出世したものだ。しかしこの学歴、まるで「学歴ロイヤルストレートフラッシュ」じゃないか!)

「ロイヤルストレートフラッシュ」とは「10」「J」「Q」「K」「A」の札がそろったポーカー最強の組み合わせのことだが、ポーカーをやった人なら誰もが知っているとおり、そんな組み合わせが出現することなどあり得ないくらいすごい組み合わせである。京大、東大大学院、ミシガン大学大学院、東外大、慶應というのは、まさにそれに匹敵するくらいすごい組み合わせのように思えた。母校の青山学院を恥じたことなどなかった私だったが、彼らの中にいると(もう少し頑張ってせめて上智くらいに行っとけば良かったのになぁ…)」と思いがふつふつと湧いてくるのだった。

そんなある日、私の学歴コンプレックスを刺激する出来事が起きた。関連会社から来客があったとき、社長と私の2人が応対したのだが、その際、社長は新設された翻訳部に言及してこんなことを言った。

「今まで翻訳の必要が生じたときは国際部の連中が翻訳していたのですが、このたび社内だけでなく、社外にもクオリティの高い翻訳サービスを提供できるように翻訳の専門家を招き入れて翻訳部を新設したのです。そうそうたるメンバーを揃えましたよ」

 社長はそう言うと、右手を上げ、親指、人差し指、中指、薬指を1本1本折りながらこう言った。

「まず東大大学院でしょう。それからミシガン大学大学院、彼は大学はマサチューセッツ工科大学を出ているのです。それから東京外大でしょう。それから慶應ですよ。書類審査と筆記試験をして厳選しましたからね。どうです、そうそうたるメンバーでしょう」

(ん? 私の母校の青山学院が紹介されていない。私が目の前にいるというのに…。社長、私の母校を忘れているの? それとも言いたくないの?)

 そのときは真相が分からずじまいだったが、その後も他の来客があったとき、まったく同じことが起こった。社長と私の2人で接客しているというのに、私の母校・青山学院だけが紹介されなかったのだ。ということは…。

京大卒の社長からすれば青山学院はぐーんと格下の大学かも知れない。だからわざわざ「青山学院大学出身のスタッフがいます」なんて言いたくないのだろう。しかしもしそうならなぜ来客があったときに私を同席させるのだ。東大大学院出身のスタッフを同席させて、「彼女は東大の大学院を出ているのです」と紹介すればいいではないか。いや、彼女でなくてもミシガン大学大学院でも東外大でも慶應でもいい。なぜ私を同席させるのか。

でもまあ、こればかりはしかたがない。こんなことで腹を立てるなんて大人がすることではない。こういうことをされるのなら、いい仕事をして見返してやるしかない。この中で一番いい仕事をしてやろうではないか。青山学院の名誉にかけても意地でも一番になってやる!

しかしその後、私のこうした反骨精神を揺るがす出来事が起きた。

一つ前の翻訳会社のとき採用面接時に伝えられた月給額と実際の月給額に大きな開きがありトラブルになったため、この会社の採用面接時に社長に給与の額を書面にして出してほしいと申し出たところ、「ええ、いいですよ」と快諾してくれていた。しかし入社後2週間経っても一向に書面を出してくれる気配がないので、しびれを切らした私は恐る恐るこう訊いた。

「あの~、採用面接のときに、給与の額を書面にしてもらえるというお話があったのですが、そろそろ書面にしていただけないでしょうか」

 すると社長、ひょうひょうとこんなことを言い出した。

「いや、それはできない。日本の会社でそんなことをするところはないよ」

(にゃに~。面接のときに「ええ、いいですよ」と言っていたではないか。入社させたら話をひっくり返すのかよ!)

 だが、27歳の私が60歳前後の社長に楯突く度胸など持ち合わせているわけはない。私はあまりのショックで黙り込んだ。私の母校が紹介されないくらいのことならともかく、約束をひっくり返すのはいただけない。

かくして私のモチベーションは奈落の底まで落ちた。ただ、かといって即刻辞めるというわけにもいかない。貯金は底をついているのだ。

(こうなった以上、とりあえずは黙って勤務し、初回の給料の額を見てみるしかない。それからどうするかはそのとき考えよう)

せっかく意気揚々と産業翻訳家人生を駆け出したというのに、入社して2週間で雨雲が立ち込めた。その雨雲がやがて晴れ上がるのか、それとも豪雨となるのかは初回の給料日になるまでは知りようがないのだった。(続く)


宮崎 伸治(みやざき しんじ)

大学職員、英会話講師、産業翻訳家を経て、作家・翻訳家に。 著訳書の数は約60冊にのぼる。趣味は英語、独語、仏語、西語、 伊語、中国語の原書を読むこと。著書に『 出版翻訳家なんてなるんじゃなかった日記』(三五館シンシャ)、 『自分を変える! 大人の学び方大全』(世界文化ブックス、2021年12月刊行予 定)が、訳書に『7つの習慣 最優先事項』(キングベアー出版)がある。